著者インタビュー
新刊書籍の内容や発刊にまつわる面白エピソード、授業に取り入れるポイントなどを、著者に直撃インタビューします。
教育の根本は何か、教育の本質は何か、教育の原点はどこにあるのか
植草学園大学名誉教授野口 芳宏
2015/6/22 掲載
 今回は野口芳宏先生に、新刊『名著復刻 授業で鍛える』『名著復刻 学級づくりで鍛える』について伺いました。

野口 芳宏のぐち よしひろ

1958年千葉大学教育学部(国語科専攻)卒業、公立小教諭。
千葉県の小学校教諭、教頭、校長、北海道教育大学教授(国語教育)、同大学、麗澤大学各講師、植草学園大学教授を歴任。現在植草学園大学名誉教授、同フェロー。
〈主な著書〉
『野口芳宏著作集「鍛える国語教室」』全23巻、『野口芳宏第二著作集「国語修業・人間修業」』全15巻別巻1『鍛える国語教室』シリーズ1〜15(以上、いずれも明治図書)、『ちゃんとができる子になる子どもの作法』(さくら社)、『縦の教育、横の教育』((公財)モラロジー研究所)他、編著・監修著書等多数

―それぞれ1986年、1987年初版の本ですが、今でもそのまま通用する内容ですね。改めて読み返して、先生ご自身はどのように感じられましたでしょうか。

 それぞれ30年もの前の執筆だが、著者として現在に役立たない内容はないと改めて思いました。今のどの教室にも通ずる内容です。というよりも、むしろもっと積極的に本書のような原点に返るべきであるとさえ思うのです。
 もともと私は、流行に阿ることを嫌い、常に物事の「根本、本質、原点」を探りつつ実践を重ねてきたので、その内容が時代を超えて通用するのは当然だと言えるでしょう。

―執筆当時と30年たった今とで、教育界でもっとも変化したことは何でしょうか。それに対する先生のお考えもあわせて教えて頂けますか。

 子供1人当たりの教員数の増加、つまり学級児童数の減少にもかかわらず、教員がますます多忙化しています。そして更に子どもの教育への質が、必ずしも上がってはいないのです。教員数が増し、コンピュータが導入され、指導や事務処理が電子化されたのに、多忙が学校現場を襲い、子どもの質を高めるという目的が果たされていない。
 子供の教育に最も必要なのは、担任の豊かな人間性と心のゆとりと笑顔ではないでしょうか。

―『授業で鍛える』について、先生は「子どもたちの『知的活力』を伸ばす鍛え方を述べたもの」と述べられていますが、この「知的活力」とは具体的にどのようなものなのでしょうか。

 本能だけで生きるのが動物です。我々はその本能を満たしたり、制御したりする知性を以て人間たり得るのです。その知性をより活性化するのが「知的活力」です。
 学ぶこと、教わること、考えることによって成長し、向上することを楽しみとする。それが知的活力の内実です。そういう知的な楽しみ、人間的な楽しみを忘れて、目先の珍しさや面白さに引き廻されるのでは淋しい。授業によって、学び合い、考え合い、教われる知的な楽しみを広げてやりたいのです。

―『学級づくりで鍛える』には、「学級づくりは即ち自己修養の所産」とありますが、先生は、自分をみがくために、常にどのようなことを心掛けていらっしゃいますか。

 教育には、文化の伝達という一面と、感化、影響を与えるという一面とがあります。学力向上の責任は、主に前者が負い、人間づくりは後者が負います。伝達された大方はやがて剥落していきますが、感化を受け、影響を受けたことは子供の内面に潜り込んで生き方を方向づけます。敢えて言えば、教育の究極は良き人生観に培う感化を与えることです。
 前者には技術の巧みさが大切になるが、後者には教師の人間性が大切になります。教師自身が常に自らの人間性の未熟の自覚に立って、謙虚に学び続ける姿を保つことが肝要です。学び続ける姿こそが学ばれるのです。

―最後に、全国の先生方へ向け、メッセージをお願いします。

 めまぐるしく社会は変わり続けるが、義務教育という基礎教育の内容は簡単に大きくは変わりません。不易不動であることによって基礎たり得るからです。だから、教育者は時の流行やブームや珍しさに左右されることなく、まずは「根本は何か」「本質は何か」「原点はどこにあるのか」ということをこそ大切にせねばならないでしょう。
 実践に当たる者は、その背後に深く、確かな哲学や信念を持って、悠々と、堂々と子供らの前に立ち続けるべきですね。

(構成:木村)
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