- 意味を問う──まえがきにかえて
- 第一章 意味を問う教育
- 1 意味を問う教育をめざして
- なされてこなかった意味を問う教育
- 文芸は何をめざしているか
- 〈わけ〉と意味
- 意味の定義について
- 〈わけ〉と〈意味〉の評価について
- 意味づけと解放された学級
- 同じ言葉でも意味は違う
- 川崎洋「とる」
- 意味はあるのではない
- 鈴木敏史「手紙」
- 相手に応じた反応
- 工藤直子「おと」
- 人間は世界を意味・価値づける
- 三越左千夫「おちば」
- 表現のもつ意味をとらえる
- 蔵原伸二郎「五月の雉」
- イメージの意味づけ
- 工藤直子「うた」
- 話者の意味づけた世界
- 谷川俊太郎「東京バラード」
- 「たとえば」と意味づける
- まど・みちお「空気」
- 『花伝書』と文芸学
- 他人を生かすことで自己を生かす
- 文芸を読むとは
- ものを描いて人を描く
- 山田今次「スコップ」
- 対象の変革が自己の変革
- 藤原定「ナワ跳びする少女」
- 小さい存在の大きな力「おおきなかぶ」
- 逆説的な意味づけ「だから わるい」
- ものの本質・価値と意味づけ「おじさんの かさ」
- 相手の気持ちのわかる子どもに
- 【資料】ものの見方・考え方ということ
- 〈もの〉と〈こと〉
- 〈もの〉の見方・考え方
- 〈わかる力〉とは
- どこを〈見る〉のか
- 認識の方法と認識の内容
- 認識の方法の系統表
- 2 金子みすゞ詩の実験授業
- 金子みすゞ「お魚」の授業
- 歌の条件
- 金子みすゞ「お魚」
- 仕掛とは
- 書いてあることの意味を類比してとらえる
- 人に食べられるとわたしに食べられるとではどう違うか
- 牛やこいはかわいそうではないの
- 人間はかわいそうではないのか
- 金子みすゞ「お魚」の授業でどんな力を育てるか
- 金子みすゞをなぜ取り上げたか
- 漁師はどう受けとるか
- 答えを求める中で子どもの思想が耕され深まる
- 文芸は問いを提示する
- 意味を問うことで文芸作品の読みはどう深まるか /足立 悦男
- 第二章 ファンタジーの意味を問う
- 1 工藤直子「うた」の実験授業
- 工藤直子「うた」の授業
- おもしろい読み方をする
- 現実と非現実、両方のイメージを読む
- 一行空きにイメージをつくる
- 世界を深く意味づける
- 子どもたちの感想
- 2 ファンタジーの意味を問う
- 「うた」(工藤直子)の授業をした意味
- 「女の子はどこにいるか」
- 「行あきに言葉をいれるとしたら」
- 「うた」の題名は、何を象徴しているのでしょうか
- どうして「おおきな空を見下ろして」でまとめたか
- 東洋の思想としての「天人合一」
- 高田敏子「白い馬」
- 現実と非現実が一つにとけあった世界
- みずかみ かずよ「馬でかければ──阿蘇草千里」
- 虚構の世界としてのファンタジー
- のろ さかん「ゆうひのてがみ
- 二重性をもったファンタジーの世界
- 村野四郎「にじ色の魚」
- 現実と非現実のあわいに成り立つファンタジーの世界
- 谷川俊太郎「みち」
- ファンタジーを成立させるディテールを読む
- あまんきみこ「白いぼうし」
- ファンタジーの世界を意味づける
- ルシール・クリフト(金原端人訳)「三つのお願い」
- まとめ
- 第三章 文芸教材をゆたかに、深く読む
- 1 アーノルド・ローベル(三木卓訳)「お手紙」
- 筋について
- 手紙の本質とその条件
- 書き出しの仕掛について
- ユーモアとは
- 場面が変わるところの仕掛
- 人物は知らないが読者は知っている
- 語るに落ちる
- ふたりともなぜしあわせな気持ちなのか
- お手紙をもらってなぜ何をよろこんだのか
- 読者が笑うわけ
- 無意味の意味
- 美の体験
- 常識的な意味と特別な意味
- 手紙のもつ意味
- 世間的な意味とかえるくんやがまくんにとっての意味とがある
- 2 杉 みき子「わらぐつの中の神様」
- ものが人間を意味づける
- 不恰好なわらぐつを買っていくことの意味
- 言葉の意味
- おばあさんの話の教育的意味
- 意味の授業の仕方
- 作品の構成について
- 意味はどの段階から指導するのか
- なぜ意味づけるということをあらためて問題にするのか
- 典型化と意味づけの関係
- 教育的意味を考えない総合学習や学校行事
- 教科教育も意味を見失っている
- 〈意味〉不在の現状に気づいたわけ
意味を問う──まえがきにかえて
私たち人間は、そして、ひとり人間のみが自己と自己をとりまく世界をさまざまに意味づけ、価値づけながら生きています。
たとえ四面灰色の壁の牢獄に幽閉されたとしても、人は、そこに限りなくゆたかな深い意味を与え、その世界の主人公として生きていけるのです。
ただ、しかし、それには深い意味づけ、価値づけの力を必要とします。そして、この力を育てるものこそが、〈意味を問う教育〉なのです。
ところが、日本の教育は、戦前も戦後も、〈わけ〉を問うことはあっても、〈意味〉を問うことはほとんど無視されてきました。
たとえば次の詩をとりあげてみましょう。
東京のバラード 谷川俊太郎
東京で空は
しっかり目をつむっていなければ見えない
東京では夢は
しっかり目をあいていなければ見えない
この史の<空>は何を意味しているのでしょう。また、<夢>は何を意味しているのでしょう。おそらくあなたはどう意味づけていいか、途方にくれるでしょう。たとえ、知識・教養があっても意味づける力がないと、この一篇の詩すら「読めない」のです。(本書30ページ参照)
うた 工藤直子
空の下に
ちいさな傘があって
ちいさな傘の下に
女の子がしゃがんでいて
女の子は水たまりを眺めていて
水たまりに
大きな空が映って
うたをうたっている女の子
また、第二章で取り上げた「うた」のようなやさしい詩でも、もし、女の子は「空のなかにいます」いや「水のなかにもいます」と言われたら、これまた理解に苦しむでしょう。
実は、この詩は東洋思想における「天人合一」の境地をうたった深い意味づけができる詩なのです。(27ページ参照)
本書は、意味とは何か、そして意味づける方法とは……ということを具体的にわかりやすく解いたものです。
ところで意味を問う教育ということは、国語科における文芸教材の授業だけでなく、説明文の授業、作文指導においても、重要な課題であるのです。いや、国語科だけではありません。意味を問うということは、他のすべての教科、理科・社会科などにおいても、そして、総合学習の場においても、絶対に必要な課題であるのです。
文芸教育研究協議会会長 /西郷 竹彦
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- 明治図書