- 序文
- まえがき
- 第1章 国際性を育てる道徳授業の実際
- 外国人を通して日本の伝統や文化を見直す授業
- 1 「日本人ならこれができなきゃ」
- 個人の意思決定とグループ学習を重視した発展性のある授業
- 2 「日本のよいところは?」
- ビンゴゲームで外国人からみた日本のよいところを考える授業
- 外国人への差別や偏見に気づかせる授業
- 1 「ブラジルからの転入生」
- 場面再生法で、差別・偏見に気づかせる授業
- 2 「日本人の顔」
- 世界の教科書の挿絵から差別・偏見に気づかせる授業
- 文化・慣習の違いについて考える授業
- 1 「わたしの国じゃ、へんじゃないよ」
- ディベート的手法で慣習の違いについて考える授業
- 2 「世界のこんにちは」
- 構成的グループ・エンカウンターを活用して世界のあいさつを体験する授業
- 日本に住む外国人の立場に共感する授業
- 1 「芝養生中」
- 五コママンガを活用して、外国人の失敗と願いを知る授業
- 2 「休日の駅で」
- 役割演技で、外国人に対する接し方を疑似体験する授業
- 外国人との関わり方を考える授業
- 1 「外国人の子が転入してきたら」
- ランキングで外国人の子の受け入れ方を考える授業
- 2 「マイクと何をしようかな」
- コンセンサス学習で外国人の子どもとの過ごし方を考える授業
- 物外国人のよさを生かした授業
- 1 「交差占で」
- 四コママンガからさりげない親切について考える授業
- 第2章 国際理解教育と道徳
- 1 国際理解関連の道徳資料の現状
- 2 子どもたちに身につけさせたいもの
- 3 なぜ「在日外国人」を登場させるのか
- 4 どんな授業をするのか
- 5 これからの道徳授業への提案
- 6 テーマを持って取り組む
- おわりに
序
道徳授業がつまらない。子どもたちの声を聞くと、学校生活の楽しさの中で道徳の授業の楽しさは「掃除の時間」と同じぐらいに低い。
それはなぜか。授業者が意欲的に授業をしていないからである。
それはなぜか。「資料」がつまらないからである。答えがすぐに予想できる資料が多い。子どもが頭の中で葛藤する場面が少ないし、読み物としてももの足らないものが多い。
次に、道徳の授業の展開の仕方がわからないからである。教師はひとつの単元を固まった時間で授業展開するのになれている。系統的な指導は得意である。それが、道徳のように一時間一時間というコマ切れの授業展開は不得手である。
そうだから、道徳の授業の名人といわれる人がいない。特設道徳ができて四〇年がたつのに各教科ではいる授業の名人がいない。名人がいないので、新しく道徳の授業をする人がモデルを捜すのに苦労する。
こうした中で新しい動きがある。独自の「資料」を作成し、それにあった指導方法を開発している。その一人が千葉県の市原市の教師土田雄一氏である。
土田氏は、とにかく子どもたちが熱中する資料の開発と指導方法の開発にエネルギーを注ぐ。そして、それを具伏化し授業実践したのが本書である。土田氏は、日本人学校の教師の経験から子どもの国際性の育成に関心を持っていた。また、勤務校がある市原市は在日外国人が多いのに、子どもたちは積極的に交流しようとしない現実に出会う。
そこで、道徳の時間を使って子どもたちの「心の国際化」はできないものか、という問題意識を持つ。
この発想はすばらしい。従来自分の国だけに関心を持っていた道徳の授業を国際化の視点から大転換させる。
こうした発想だけでも評価に値するが、土田氏のすばらしさはそれにとどまらなく、授業実践をしたことである。
日本人の「心の国際化」を意識した「資料」は皆無に近かったので、まずネタを集め在日外国人を素材とした「資料」を開発した。
次に、子どもが授業に意欲的に参加できる指導方法を工夫する。これまでのような一間一答一間型の授業形態ではない「グループ形態の学習」「構成的グループ・エンカウンター」の手法やマンガの「資料」を作成することなどがある。
さらに特筆したいのは、このような斬新な授業が子どもたちからきわめて好意的に受け止められたことである。授業は子どもの変化で評価できる。
本書を参考にした授業が増え、子どもたちの「心の国際化」がすすむことを祈る。
一九九八年 七月 千葉大学教育学部教授 /明石 要一
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