鍛える国語教室シリーズ5野口流・硬派の学校づくり論

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校長としての著者の学校づくり論。職員との対話と助言、校長としての授業管理、保護者と共に伸びることをめざした家庭・地域との連携論など。


復刊時予価: 2,673円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-659414-7
ジャンル:
国語
刊行:
対象:
小学校
仕様:
A5判 176頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

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まえがき
T 硬派の校長実践論
一 校長身辺抄
教頭から校長になって―近ごろ変わったことー/ 校長としての日々―こう動き・こう考える―/ 夏休み中の管理職/ 保育園の運動会を見に
二 職員との対話と助
一日中監視する指導教員から逃げたい/ 事務主事や用務主事に軽んじられている/ 授業中が騒がしくて、思う通りにいかない/ あれこれと自宅に電話してくる親に困る/ 「上司の言葉」考/ 大学から見た学校現場への注文は
三 良心的実践者よ、胸を張れ<時の流れ、世の流れへの対処>
情報公開条例の発効の波紋/ 指導要録に記載すること/ 周指導計画に書くこと/ 私はそうはしない/ 時流へのあるべき対処
四 校長としての授業管理
1 五日制で伸ばせる学力・補強が必要な学力<帰するところは、日常授業の更なる充実>
自由時間を使いこなせる力/ 姿勢ひとつ、構えひとつで/ 補強が必要な国語学力とは
2 作文時間倍増・学校経営でどう配慮するか
作文指導の重要さの自覚を/ 作文指導への発想の転換を/ 必要教材と教員の整備
3 学校経営者としてのTTの考え方 学校体制の一分掌として考えたい
学級担任補助が欲しかった/ TT、私の初体験/ 校長としての対応(その/ TTの実施の基本スタイル/ TT担当者の一年間の反省/ 校長としての対応(その2)/ 二年間のTT・校長としての総括/  小学生に「徒然草」の原文で授業―教師中心の授業・子どもと教師の受けとめ方―/ 教わって、わかって、楽しかった/ 最初とは大ちがいになった/ 「学ぶ喜び」を心の奥から感じた
五 大蔵省の実地監査のこと
六 大嵐の日の登校順末記
登校させるか否かは親の判断/ 戦後最大級の暴風雨の来襲/ 台風はやってきた/ 苦情と抗議と欠席連絡の電話殺到/ 登校児童は二百人余り、約三十八%/ 教育委員会からの第一報/ 市教委からの二報、三報/ お昼には静まり、無事下校/ 職員にまず謝罪、そして感謝/ (至)教育委員会への出頭/ 教育長への謝罪、それへの対応/ 全家庭に向けての謝罪/ 出欠扱いについてのお知らせ
U 保護者と共に伸びる
一 家庭・地域との連携―どんな課題・方法があるか―
無法地帯のような学校/ 我々は立ち上がった/ 三か月で静・整・正の三拍子/ 正念場だった夏休み/ 家庭・地域との連携1どんな課題、方法があるか
二 保護者来校時の駐車システム
運動場はマイカーでいっぱい/ 禁止する訳にはいかない時代/ 受け入れ準備の大変さ/ 雨の日の駐車を許すかどうか/ 駐車場準備からの解決策/ 大切なのは「改善」への行動化
三 夏休み中のプール開放―学校からPTAの自主運営に―
学校のサービスとしての開放/ 本来のプール開放のあり方/ PTAの対応/ 一連の改革から学ぶもの/ 私の実践、私の改革
四 PTA読書会
四半世紀の経験/ 読書会の効用/ 国語人としての基礎体力の養成/ 方法は至って簡単
五 保護者への連絡文書・ご用心誤用例
依然として残る「点検」制度/ 文書の内容のマナー/ 表現技法のマナー/ 表現技法の誤用例
六 保護者向けスピーチの上達ポイント
話材の見つけ方のヒント/ どの年齢にもわかる話し方のコツ/ スピーチの評価/ スピーチ例「性教育の趣旨説明」
7 同じ言うなら「この言葉」で
五人が見る通知表/ 所見が生み出すドラマ/ 部分、断片、そして事実/ ほめる言葉も控え気味に
V 地球文化を掘り起こす
―美を紡ぎ出す巧みたち―
職人衆の力量形成の謎―序に代えて―
一 県展入選の実カ―絵馬師
絵馬の起源考1生馬献上は存在したか/ 五代目本納絵馬師1父の手ほどきから/ 爪のない鷹―なんでも描ける実力を/ 狐と鶏と馬と鳩―絵馬に描かれる人気者/ 伝統と新作と―明るいオリジナリティーを/ 灰皿を持って師に従う―師匠から学ぶこと/ 新しい師匠を求めてー果でない精進の道
二 設計図のない精密技―みこし師
おみこしは、神様の乗り物―平安中期に起源/ 奉公に出す母1小一日を我が子とともに/ 運命を変えた大震災―神仏具店に入る/ 常に気力を持ってー命を支えた腕の技/ 中台神仏具製作所昭和二十五年に独立/ 職人の妻、はるさん―女房として最高の女/ 新しい時代の職人像―四代目中台祐信氏のこと
三 すべての技は隠されて―入れ墨師
古くからあった入れ墨の風習/ 子ども心にも驚嘆―背中一面の入れ墨/ その場で決断―根性の瀬踏み/ 退職金をはたいて入門/ 失敗の許されない世界/ 旅をかける/ その日から一本立ち/ 彫りの現場記/ 手づくりの電動彫機/ 道はるか―奥の深い世界/ 彫師こぼれ話―入れ墨は一生のつき合い 覚悟が必要
あとがき

まえがき

 校長としての私の実践は、教師人生最後のたった四年にしか過ぎない。同期の大方は、私よりずっと前に校長になっていったし、私の二級下の仲間まで私を追い抜いて校長に出世していった。私は、ただ一人とり残されたようにして教頭の座に九年もあった。有り体の世間の眼から見れば、゛私は気の毒であり、多少の同情を買う立場にあったことになる。正直な思いを明かせば、私だって内心一抹の淋しさを感じない訳ではなかった。取り残されていく自分を見るのはやはり辛いことである。

 しかし、人生は長い。人は、様々な運命に巡り遭うものだ。「楽あれば苦あり」「一得一失」「万物流転」「人生無常」などなどと古い格言は教えている。私は長い九年の教頭生活と、またそれに至る二十五年に及ぶ長い教師人生の最後の仕上げを、やはり校長として実践してみたい夢があった。そして、その機会は、最晩年にしてようやく叶えられた。私は、二年ずつ二つの学校で校長を務めさせて貰ったのだが、その四年間で、私は私なりに十分の校長実践ができたと感謝している。四年間、二校の校長生活で私には十分であり、実践年数に不足なんか全く感じていない。それほどに、私は私の持てる力を充分にその四年間に発揮できたと考えている。そして、唯々感謝の想いのみが湧く。

 校長初任校、木更津市立請西小学校の二年間は、学校運営の近代化と合理化に力を注いだ。その成果は、『学校業務マニュアル』という大冊として明治図書出版から刊行され、大きな反響を呼んだ。学校は雑務が多いと嘆く人はいっぱいいるが、大方は愚痴のこぼし合いと諦めに終わっている。私は、愚痴と諦めが嫌いである。愚痴ではなく、改善行動こそが大切なのである。どうにも改善できないことは、諦めるのでなく、「今の段階ではこれが最善′と認識し、積極的にその中で生きていくべきなのだ。「与えられた世界でベストに生きる」ことは、私の生涯を貫くモットーの一つである。校長二校めは木更津市立岩根小学校であり、ここが図らずも私の教師人生の総決算の舞台となった。学校はどこも同じように見えて、しかし、それぞれの学校が実にいろいろと違っているものである。私は、校長としては歓迎されたが、私の改善と改革の激しさは多くの職員、同僚の箪盛を買う結果も招いた。人は誰でも「今まで通り」に安住したがるものだ。私は、私への異論、反論を大いに歓迎しつつ、しかし納得のできないところは強く私の考えを主張し、「善意の説得」の手を緩めなかった。岩根小の職員は、正直者の集団だった自らを偽ることなく、率直に私に反論をしてきたし、大いに私と議論をしたが、決して陰口を言うことはなかった。私は、この学校の職員は信頼できると分かり、大変嬉しかった。そして、一旦分かり合えば、とことん力を合わせるという美風があった。

 岩根小学校での二年めは、私の教師人生のフィナーレである。私は、荒んでいく世相とエゴイズムの蔓延の影響を受けて、純真であるはずの子どもたちの心までもが次第に蝕まれていく危険を感じとり、それを憂えて、いち早く「心の教育」を学校経営の中核に据えた。広く識者を招き、全国の志の高い同志を糾合して一大イベントを催した。

 それが、「心の教育フェスティバル」である。二日間に亘って延べ二〇〇〇人の熱心な教師が、片田舎の岩根小を訪れてくれた。木更津市内のすべてのホテルがいっぱいになり、岩根駅近くの食事の店は軒並み売り切れになった。

 「心の教育フェスティバル」は内外ともに大成功を納めて幕を閉じた。「内外ともに」と言うのは、来会された方からの礼状と賛辞が二か月に亘って毎日のように届けられたことと、岩根小の教職員がこの一大イベントをほとんど自らの力だけを頼りに立派に取り仕切ることによって自信をつけた事実とがあったからである。岩根小の当時の職員は、あの折の団結と協力と燃焼との充実感を忘れまいとして、毎年一度ずつ集まって旧交を温めることにしている。その会の名を「ハート・フェスタ・イワネ」という。もう、三度めの日取りも幹事も決まり、全員がその日を今から心待ちにしている。私は、つくづくそれが嬉しく、その果報に感謝している。

 私は、自らの四年間の校長実践の良い所だけを出して誇ろうとしているのではない。四年間の中には、校長としてぞっとするようないくつかの事件にも襲われた。それほどに、今の学校は日常的に様々な問題を抱えこんでいる。そういう失敗や苦悩の一端も、この本には書かれている。不足、不備、不十分はたくさんあったのだが、その時々、その一つ一つに、私は私なりの力の限界に挑みながら誠実に対処してきたつもりである。それらは、本書を手にされた方々の日々にいくばくかの参考にはして戴けることだろう。

 私は、校長としての量的時間は僅かに四年間と有限ではあったが、その四年間に、思い描いていたあれこれのことは大方具現できたと心の底から感謝をしている。立派にできた、などと言っているのではない。あれが私の精一杯だった、という感慨である。私は、校長を去る時、去ることの淋しさは一片だになかったと断言できる。かっての上司島田良吉校長は、去るに臨んで「さばさばしました」という名言を残し、四宮晟校長は、「一旦去った者は、みだりに前任地に足を踏み入れるべきではない」と語った。お二人共に今は千葉大学の名誉教授である。

 さて私の胸中もまたそれに近い。もはや私は現役の校長ではない。本書は、一人の平凡な校長の小さな実践抄である。これからの時代を担って、いずれは教頭や校長になっていく諸賢に期待しつつ、本書がそういう方々の応援と励ましの一助ともなれば、著者としての幸いこれに過ぐるものはない。


  一九九八年四月二十六日 値千金の函館の春宵、研究室にて記す

   /野口 芳宏

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