- 1 この教材でどんな力を育てるか
- 1 子どもと教材
- 2 教材分析
- 題名/はじめ/ちょうに魅せられた少年―〈僕〉/対比することで明らかになる「美」/現実をふまえて現実をこえる擬人法/美しいからせつない、苦しい/〈僕〉と価値観の違う母、エーミール―美は相関的なものである/やみの中で輝くちょう/再読―現在と過去が重なり合って/作品の美(美の構造)/虚構の方法/認識の内容
- 3 授業の構想
- 2 「少年の日の思い出」の授業
- 1 ≪だんどり≫≪とおしよみ≫〔第一時〕
- 2 ≪たしかめよみ≫
- 〔第二時〕作品世界へ誘いこむ冒頭の仕掛をわからせる
- 〔第三時〕〈僕〉がちょうの美しさに魅せられた人物であることをわからせる
- 〔第四時〕〈僕〉と〈わたし〉は類比することをわからせる
- 〔第五時〕対比によってものの価値は人によって違うことをわからせる
- 〔第六時〕〈僕〉にとってのクジャクヤママユが「美」であることをわからせる
- 〔第七時〕美は個別・特殊・一回的なものであることに気づかせる
- 〔第八時〕対比・類比することで「美」は相関的なものであることに気づかせる
- 3 ≪たしかめよみ≫から≪まとめよみ≫へ
- 〔第九時〕美の構造に気づかせる
- 〔第一〇時〕美の構造をわからせる
- 〔第一一時〕再読によって構成が「美」を浮きぼりにしていることをわからせる
- 4 ≪まとめ≫
- 〔第一二時〕〈終わりの感想〉
- 西郷先生に聞く・この教材をどう扱うか
- 聞き手/福岡文芸研
まえがき
新『文芸研・教材研究ハンドブック』は、先に企画刊行した『文芸研・教材研究ハンドブック』の第二期分として小・中学校の教科書教材のうち代表的なものを選び、それぞれの教材についての分析・研究と授業計画・授業記録の「すべて」を一巻一篇の形でまとめたものです。
教材の分析・研究から授業計画までのすべては文芸研の年二回の合宿研で集団討議をかさね充分に批判・検討されたものであり、その理論的・実践的な内容は西郷の全責任によって監修されたものです。なお、巻末に質疑応答の形で「解説」をつけました。本文に肉づけする意味での補説というべきものです。
教材の研究は当然のことながらすべて文芸研の文芸学理論・文芸教育論・教育的認識論にもとづいてなされています。教材研究のあり方として特におことわりしておきたいことは、「この学年で」「この教材で」「どんな認識・表現の力を育てるか」という文芸研の系統指導の学年課題をもとに、ほかならぬその教材の特質・特色をふまえてなされているということです。この点において、このハンドブックは、これまでの教材分析・研究とはまったくちがった異色なものになっていると思います。
なお、授業の展開については、これも文芸研独自の≪とおしよみ≫≪まとめよみ≫という指導過程によってなされています。(指導過程そのものについて、また指導の方法、技術などについては『授業研究篇』にそれぞれ詳しく述べられておりますから、そちらを参照ください。)
いずれの巻も、おおまかに作家と作品の紹介、教材分析・研究・解釈、授業展開の三部に分けて構成されています。
授業者はいずれも文芸研の授業のベテラン教師です。それぞれの授業者の独自の工夫がなされていますが、理論・概念・用法・方法はすべての巻を通じて統一されていますから、どの巻をお読みいただいても混乱をおこすことはないはずです。
各巻とも、入門書として初心者にも理解しやすいよう具体的に述べてあります。しかし、さらに深く研究されたい方は、『文芸研 国語教育事典』の巻未の文芸研文献紹介、また、『文芸教育』誌等によられることを切望しておきます。
企画から編集にいたるまでこのたびも明治図書出版編集部の庄司進氏に細かいところまでお世話になりました。
一九九一年四月 文芸教育研究協議会会長 /西郷 竹彦
あまりに美しく残酷な無邪気さは胸の奥で罪悪感と優越感が入り混じり燻る。
現在は草思社さんから新訳で出版されていますが、多少の誤訳があったとしても私は高橋健二さんのオリジナル訳(エーミールのあの印象的な台詞を堪能するために)で読みたいと思います。