- 序 /堀 裕嗣
- まえがき /石川 晋
- T 特別支援教育を推進するための五つのポイントを整理する
- 一 二つの実践事例に学ぶ /石川 晋
- 二 特別支援教育を推進するための五つのポイントはこれだ! /石川 晋
- U 特別支援教育の全体像を理解する
- 一 特別支援教育の全体像をつかむ /石川 晋
- 二 誰もが担える特別支援教育コーディネーターでありたい /秋葉 美千代
- 三 特別支援教室の位置づけ・役割はこれだ! /杉野 広子
- 四 特別支援学校の位置づけ・役割はこれだ! /湯藤 瑞代
- V 支援の必要な子どもを見極める
- 一 LD、ADHDの子どもの見極めと指導のポイントはこれだ! /高橋 正一
- 二 高機能自閉症の子どもの見極めと指導のポイントはこれだ! /太田 麻美
- 三 各種検査を活用する /北嶋 公博
- W 学校内の関心を高める
- 一 普通学級担任が特別支援教育とつながるとき /梶 倫之
- 二 相互理解を深め「共に生きる」教室をつくる /平嶋 三奈
- 三 特別支援教育へ校内体制を移行する /木下 尊徳
- 四 日々の支援を支えるワークシート /北嶋 公博
- X 学校間・関係機関との連携を深める
- 一 幼稚園、保育所と小学校の連携を深める /青野 由香利
- 二 小学校と中学校の連携を深める /平山 雅一
- 三 各種機関との連携を深める /笹森 健司
- Y 保護者・地域・研究会と関わる
- 一 保護者・地域との関係を育てる /大野 睦仁
- 二 共に学ぶ場が重要である(専門性の基底を再構築する場を) /市野 孝雄
- 付録 普通学級担任のための特別支援教育入門書
- /石川 晋
- あとがき /石川 晋
序
新卒から三年間、ある男の子を担任したことがある。仮にその子をK君としよう。
札幌市の中学校に赴任した私は、新卒一年目から担任学級をもつことができた。一年二組三十八名─それが私の初めての教え子である。四月一日、辞令をもらった私は午後から勤務校に出勤する。その日の午後は、新入生の受付のあと、最終段階の学級編成会議があった。小学校から引き継がれた生徒指導要録抄本が三十数枚ずつ、既に十の山に分かれている。九学級分に分けられた生徒たちと、これから各学級に分けられることになる、いわゆる「問題傾向」とされる生徒たちの山とである。まずは各担任が学級の山を一つずつ取った。そしていよいよ、問題傾向生徒をそれぞれどの学級に入れるか、という段階になった。
「先生は新卒だから、できるだけ楽な生徒がいいねえ。おっ、これがいい。」
そう言って、学年主任のA先生が私に一枚の抄本を手渡した。私はうなずき、それを受け取った。
その抄本には、Kの氏名と生年月日、成績、委員会記録、保護者のPTA活動記録が雑然とした文字で書かれてあった。そして特記事項にこれまた雑然とした文字で一言、「泣きやすい」とだけあった。
「堀さん、これがいいよ。『よく泣く』というだけなら、経験がなくてもなんとかなるだろう。」
A先生はそう言って笑った。
四月七日。入学式の日。真新しい制服に身を包んだ三十八人の生徒たち。Kは窓側の前から二列目に座っていた。小太りの、かわいらしい男の子だった。
「この子か。なんだ、かわいいじゃないか……。」
まずは出席をとる。Kの名前を呼ぶと、Kは「はいっ!」と胸に響いてくるような返事をした。三十八人の中で、Kだけがまっすぐに空に向かって手を挙げた。本当にこの子が泣きやすいのだろうか……。
出席を取り終え、入学式の説明をしようと、入学式要領の書かれたプリントを探す。ああ、職員室に忘れてきた。あんなに確認したのに……。
「ちょっと待っててね。」
私はそう生徒たちに言い残して、職員室にプリントを取りに行った。教室は四階、職員室は二階。教室に戻ってくるまでには、三分はかかっていなかったと思う。階段を上っている中途で、私は既に異様な気配を察知していた。四階から大騒ぎが聞こえてくる。教室に入って驚いた。Kが教室の真ん中で、「ウオ〜ッ」と叫びながら、椅子を振りまわしている。他の生徒たちは教室の壁に張り付いて、頭を抱えていた。
「Kくん、やめなさい!」
小学校時代にKと同じクラスだった女の子が叫ぶ。とにかく私は、椅子を取り上げなければと思い、Kに近づいた。椅子が私の左肩に当たる。激痛が走った。しかし、椅子の脚をグイッと握り、なんとか椅子を取り上げる。Kが叫びながら私に向かって体当たりをしてくる。それを押さえて抱きかかえると、今度は、足で蹴り上げてくる。
バチン!
私はKの頬を打った。私の教師生活は、まさに教師生活一日目から、体罰で始まったのである。Kは声を上げて泣いた。教室中に響き渡るような、大きな声で泣いた。その声はついさっき、Kがまっすぐに挙げた右腕のように、空にまで届きそうな声だった。窓の外には、透き通った空に春の日差しが燦々と輝いていた。
入学式が終わり、生徒たちが帰った。Kも帰って行った。Kの母親は、私にKが発達が遅れていることを具体的に伝え、「よろしくお願いします」と深々と頭を下げて帰って行った。
「堀さん、とんだ大物をもたしちまったな……。」
A先生がいかにもすまなそうに言った。
私はKの出身小学校に電話をかけた。Kの元担任にどういう接し方をすれば良いのかを尋ねたかったのだ。その先生はさも面倒くさそうに言った。
「いやあ、怒鳴れば大人しくなりますから。あとはSにまかせておけばいいですよ。」
元担任は、そう言って笑った。Sとは、小学校時代からKと常に同じクラスで、Kの面倒を献身的に見続けてきた女の子である。学級編制資料にKとSをつける旨が書いてあったため、確かにSも私のクラスに配属されていた。
しかし、そんな言い方があるのだろうか……。
私は憤りを隠せなかった。なぜもっと、具体的に引き継がなかったのか。なぜ、電話した私に具体的に説明しようとしないのか。そして何より、「怒鳴れば大人しくなる」などと、笑いながら言うことなのか。
こうして、私とKとの格闘の日々が始まった。わからないことはSに聞きながら、家庭訪問に行って、いっしょにファミコンをする。Kの母親が用意してくれた夕食をいっしょに食べながら、ヒーローものの番組の話や、好きなアイドルの話をしたりする。少しずつ少しずつ、私はKを理解していった。そして同時に、Kも私を少しずつ理解していった。しかし、その具体的な格闘の日々を描写することはしまい。いずれにせよ、Kへの指導が機能し始めるまでには、一年半を要した……。
これは十五年前の話である。
もしも当時、「特別支援教育」が根づいていたら。もしも当時、関係機関との連携が根づいていたら。もしも当時、段階的に事実と症状とが引き継がれるシステムが確立していたら。もしも当時、Kを学校全体で見るというコンセンサスがあったら。もしも当時……。
「特別支援教育」の理念に反対する者はほとんどいないだろう。しかし、それが機能するには、今後数年を要するだろう。いや、もしかしたら、数年後はやっと機能し始めた段階で、真に機能するには十年以上の月日を要するのかもしれない。「特別支援教育」は、一部の専門的な教師が専門的に行えば良い、というものではない。すべての教師が、最低限の知識と技能をもち、かつ連携して取り組んでこそ、初めて機能するものである。いや、学校教育のみならず、保護者はもちろん、様々な関係機関、前籍校の教職員など、校外との連携をも常に視野に入れて取り組んでいく必要がある。
しかし、現在、道は半ば……、いや、やっと一歩を踏み出したところというのが現状である。本書は、すべての教師に「特別支援教育」の理念と全体像、最低限身につけなくてはならない知識と技能について理解していただきたいとの、執筆者の切なる願いによって誕生した。
本書が、「特別支援教育」を進めようという意識の高い教師ばかりでなく、ごく一般の、普通学級を担任する教師たちにも手にとっていただけるなら、それは望外の幸甚である。
二〇〇六年一月 /堀 裕嗣
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- 明治図書