- 1 向山洋一全集全一〇〇巻刊行へのまえがき
- /向山 洋一
- 2 私とTOSS―こうしてであった教師修業のドラマ
- /前田 利憲
- T 一年 算数教育の基礎を培う一年教材の授業ポイント
- 1 小学校一年生最初のテストを作る力量 啓林館「かずとすうじ」
- 2 「一対一対応」そして「一目で分かる方法」 啓林館「ちがいはいくつ」
- 3 細部をよく考える 東京書籍「かずのちがい」
- 4 単元の芯をしっかりと! 啓林館「扉の絵」
- 5 すぐれたサイトの活用も大切 啓林館「10より大きいかず」
- 6 「子どもの考え」を真剣に予測する 啓林館「100までのかず」
- 7 まずどの場面を切りとれば分かりやすいのか 東京書籍「なんばんめ」
- 8 「教材の原理」と「子どもの事実」を「高い技量」で組み立てる 啓林館「かずのならべ方」
- 9 「よけいなことば」を削る。それには哲学が必要だ 学校図書「おおきなかず」
- 10 「固まり対応」も含めた視点を持って 学校図書「チャレンジ どちらが おおい」
- 11 教科書を検討する視点 啓林館「こうえん」
- 12 もっと言葉を削れ 大日本図書「たしざんとひきざん」
- 13 「電車ごっこ」と「木に隠れている」を論理的に結びつける 東京書籍「たしざんとひきざん」
- 14 ポイントをよく考え、整理して表現する 特別に取り上げた著名校長の計算プリント
- 15 授業内容を詰めて考える 啓林館「いろいろなかたち」
- U 二年 ポイントをふまえ分かりやすく限定する算数授業
- 1 この問題全体をどうとらえるか 学校図書「どんな計算になるのかな」
- 2 ポイントをふまえ、分かりやすく限定する 学校図書「ひき算のひっ算」
- 3 原理をきちんと考えて組み立てる 東京書籍「計算のしかたをくふうしよう」
- 4 知的に熱中する授業が向山型だ 啓林館「長さをしらべよう」
- 5 授業のポイントをつかめ! 東京書籍「長さのたんい」
- 6 活動(操作)をさせ、整理する 東京書籍「100より大きい数をしらべよう」
- 7 百マス計算の害悪から子どもを守るため家庭用教材にも「向山型スキル」を! 啓林館「一〇〇〇までの数」
- 8 指導には、いくつもの正しい方法がある 東京書籍「一〇〇〇より大きい数をしらべよう」
- 9 定義をさまざまに工夫して授業する 東京書籍「三角形と四角形」
- 10 すぐれた応募論文は密度が濃い 啓林館「形づくり」
- 11 算数の授業をもっと知的に! 啓林館「九九をこえて」
- 12 ほぼ全滅。十点以下。九九の授業ではない。九九の表の授業だ 啓林館「九九のひょう」
- あとがき
- /木村 重夫・兼田 麻子・大関 貴之
1 向山洋一全集全一〇〇巻刊行へのまえがき
/向山 洋一
向山洋一全集全一〇〇巻が刊行されることになった。
これは、日本の教育界で初めてのことであり、他の分野でもほとんど耳にしない出来事である。
私が、小学校で三十二年間実践したことのすべて、千葉大学、玉川大学で十年余にわたって教えたこと、NHKクイズ面白ゼミナール、進研ゼミ、セシールゼミ、光村、旺文社、正進社、PHP、サンマーク出版、主婦の友社などで発刊した教材群(その多くは、日本一のシェアをとった)などが入っている。
すべての子どもの学力を保障するために、とりわけ発達障がいの子の学力、境界知能の子の学力を保障するために、慶応大学など多くの専門医と協同研究をしてきた成果でもある。
教育技術の法則化運動は、結成して一年で日本一の大きな研究団体となり、二十一世紀にそれをひきついだTOSSは、アクセス一億、一ケ月で七十七ヶ国からのアクセスがあるなど、ギネスものの無料のポータルサイトとなって、多くの教師、父母の方々に情報を提供するようになった。
TOSS学生サークルも全国六十大学に広がり、TOSS保護者の支援サークルも生まれている。
総務省、観光庁、郵便事業会社と全面的に協力した社会貢献活動もすすめてきた。例えば、「調べ学習」として、全国一八一〇自治体すべての「観光読本」(カラー版)を自費で作り、八〇〇余の知事、市、町村長からのメッセージをいただいている。
このような大きな教育運動の中で、多くの方々と出会い仕事を共にしてきた。波多野里望先生、椎川忍総務省局長はじめ、幾多の方々の応援に支えられてきた。
また、こうした活動を普及していく多くの編集者とも出会ってきた。
とりわけ、お世話になったのが、向山洋一全集全一〇〇巻のほぼ全部を創ってくれた江部・樋口編集長である。多くの方々に心から御礼の意を表したい。
この一〇〇巻が完成する時、二〇一一年三月一一日、一〇〇〇年に一度といわれる巨大地震が日本をおそった。
東北地方太平洋岸が壊滅的な被害をうけた。
向山洋一全集全一〇〇巻と共に、この東日本大震災のことも、この全集に含めておきたい。
どこよりもはやく、東日本復興の企画会議を招集し、今回百数十人から寄せられた「復興企画」の中から寄稿をお願いしたものである。
「TOSSの活動、願い、実行力」を具体的に示すものとして、後世に長く伝えられていくことと思う。
2 私とTOSS―こうしてであった教師修業のドラマ
/前田 利憲
「知りたいことは、これだったんだ。」ページをめくってすぐに衝撃が走った。
『子供を動かす法則と応用』に出会った、十五年前のことだ。
教師になって三年目だった私は、クラスと授業にどうしようもない閉塞感を持っていた。決して荒れていたクラスではなかった。子どもたちは個性豊かで、トラブルこそあったが、力強く学び、つたない私の授業に一生懸命ついてきてくれていた。初めて受け持った子どもたちを大好きだった。保護者も温かく見守ってくれており、周囲の先輩たちもとてもよく教えてくれていた。
ところが、内心は焦っていた。授業をすればするほど、できる子ができ、苦手な子を切り捨てていく授業を続けていた。何かが違う、何かがおかしい。その何かが分からなかった。指導書を読んでも、書かれている理想の展開は三年目の教師がとうてい実践できる内容ではなかった。やってみたとしても、形をなぞっただけで、子どもたちの力がついたという実感は少しもなかった。大量にプリントを用意して、授業で使ったり、宿題で出したりしたこともあった。その取り組みは、得意な子どもは次々と量をこなし、習熟していくのに対し、不得意な子はちっとも進められないという結果を生んだだけだった。周りの研究会に参加しても、単元構成や教科目標の設定など、学ぶにはスケールが大きすぎた。教育書も読んでおもしろい教材を作っても、授業はそれなりに盛り上がるが、毎時間毎時間おもしろい教材を準備することもできず、そもそも教材に依存する授業で子どもを変えることにつなげられなかった。
全体指導をするときも、常に怒鳴っていた。指示をしてもすぐに集団はばらばらとなり、活動を進めることができない。怒鳴ることが全体を動かす手段だった。力で子どもたちをねじ伏せていた。ただそれだけだった。
教師でござい、と毎日子どもたちの前に立ち、思いついたことをだらだらと続けていた。授業は間延びし、時数ばかりとってしまい、最後は慌てて、教科書を読んで終わらせようとしていた。一方で、大好きだからこそ、子どもたちに申し訳なくて、授業から、クラスから逃げることばかり考えていた。「結局、家庭の意識の問題じゃないか。」「元々ある、得意不得意はどうしようもない。」「経験が少ないのだもの。仕方ないじゃないか。」と自分を慰めようとしたこともある。
明日、子どもたちの前に立って、何をすればよいのか、それが知りたかった。
『子供を動かす法則と応用』は、そんな甘えを吹き飛ばすものだった。
「子供を動かす」ことは、それ自体が教育の場なのである。
だから「動く」ことにおいて、学んでもいく。
ところが「法則」通りに動かせる教師は少ない。
どのくらい少ないかというと、私の見るところ、若い教師はまず駄目である。まるで、でたらめの動かし方をしている。
まさに、自分のことだった。ここに書いてある法則を知りたいと思った。借りた本であることも忘れ、線を引き、書き込みをした。
子供を動かす法則 最後の行動まで示してから、子供を動かせ。
それまで、指示を出していたのは、単なる命令だったことに気がついた。騒いでいると叱られた子どもは、言われたことをきちんと済ませた後、自由にしていただけだった。
まず、ほめることだ。
子どものいいところを探してやることだ。
ほめる? 恥ずかしい話だが、意識してほめたことはなかった。生の感情を子どもたちにぶつけ、それが教師としての誠実さだと勘違いしていた。一私人として、感情を振り回し、少しも、教師たろうとしていなかったのだ。黒板の前に立つだけで、自分は教師だと思い込んでいた。向山洋一氏は、とてもシンプルな、けれども誰も教えてくれなかったことを明確に教えてくれていた。その先に書いてあることは、今まで考えもしなかったことばかりだった。
その後、法則化の本を読みあさった。近くにないときは、都内に出て、まとめ買いをした。周囲には、法則化を実践している教師はいなかったし、一学年一クラスが当たり前の小さな学校だったので、ひたすら独学だった。本を読んで、書かれている実践をできるところからやってみた。記録もとらず、ただただ毎日夢中で、法則を実践してみた。すると、子どもたちの動きがはっきりと変わっていった。怒鳴ることが確実に減っていった。それと同時に、授業も少しずつ見えるようになってきた。決して急に平均点が上がったわけではない。けれども、授業のどこが駄目だったのか、具体的に考えられるようになった。
何よりも、ほめることが子どもと向かい合う大前提となった。「そうだ。怒鳴られても、叱られても人は変われない。自分で変わろうと思ったときに人は変わる。やる気を引き出すことこそが、教師の仕事なんだ。」そう思えるようになってから、子どもの良さが見えるようになった。法則化は打ち出の小槌ではなく、道標だったのだ。
「一斉授業で子どもの個性を認めていない。」「教師主導では、子どもの考える力が育たない。」という批判も多く聞いた。法則化の実践というだけで、引っかかりを持たれたこともある。法則化だから実践しているのではない。その逆で、子どもを動かすことができ、力をつけることができたのが法則化だったのだ。これほどまで、手応えのある実践は、十年以上未だ出会っていない。
縁を求めて、サークルに入り、自由に話せる仲間にも出会えた。TOSSデーにも参加し、多くの実践を学んだ。どれも、明日、すぐにやってみたいものばかりだった。あかねこスキル、うつしまるくん、TOSSノート、五色百人一首、向山型算数、暗唱、理科の自由試行と、今では絶対に外せない学級の柱だ。
あれからカリキュラムは変わり、総合的学習や外国語など新しい教科も導入された。ADHDの子どもへの対応の大切さもクローズアップされている。しかし、それでもなお、向山氏が示した法則は揺るがない。向山氏は「身銭を切って学べ。」「本を読め。」「人と出会え。」と繰り返し繰り返し、主張されている。法則化は、常に学び、新しいものを吸収する。子どもに力をつけさせる、よいものであれば、何でも取り入れる。だからこそ、どんなに時代が変わっても、最先端の情報を発信することができる。揺るぎない原則と、最先端を取り込む貪欲とも言える知的好奇心と、この二つの両輪で走り続ける法則化の流れの中で、全国の何万の教師たちがそうであるように、私も、向山氏の背中を追っている。
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- 明治図書