授業への挑戦8
批評の文法〈改訂版〉
分析批評と文学教育

授業への挑戦8批評の文法〈改訂版〉分析批評と文学教育

投票受付中

作者はどう考えたでしょう―という感想要求主義の国語よさようなら。文章そのものを検討させることによって国語授業を変えようという問題提起


復刊時予価: 2,805円(税込)

送料・代引手数料無料

電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-390912-0
ジャンル:
国語
刊行:
9刷
対象:
小・中・他
仕様:
A5判 194頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

序(小西甚一)
改訂版刊行にあたって
T 文学の教室
文学の教室
U 散文
芥川龍之介『羅生門』
(付)分析の技術
志賀直哉『網走まで』
悲劇の作調――『平家物語』と『史記』――
V 詩
高村光太郎『牛』
宮沢賢治『永訣の朝』
近代俳句
漢詩の分析――『静夜思』と『古詩』――
W 劇
木下順二『夕鶴』
民話劇の教材研究――『彦市ばなし』――
主な批評用語
あとがき

 わたくしと分析批評との出あいは、一九五七年のことであった。スタンフォード大学から客員として招かれたわたくしの任務は、研究の場所を与えられ、何でも好きな事をしていればよいというのであった。アメリカの市民と同じ暮らしをして、知人たちを招待したり、またはされたりするのが、わたくしのしごとなのである。どうしてそんな事をさせたのかというと、どうせ学者は研究のほかにすることが無いはずだから、放っておいたところで、研究をするにきまっているし、本人のやりたい事をやらせておくのが、いちばん充実した成果の得られるゆえんだ――ということだったらしい。さらに、純然たる日本の研究者をアメリカの学者とつきあわせたら、どんな反応がおこり、どんな連鎖反応が生まれるかということも、重要なねらいだったそうである。

 わたくしの面倒をみてくれたのは、スタンフォード大学のロバート・H・ブラワー教授で、和歌に関心の深い人である。それに、ロスアンジェルスのカリフォルニア大学からアール・マイナー教授が加わって、三人で和歌の事を論じたけれども、話がよく通じない。これは、わたくしの英語が拙いからというだけではなく、批評のしかたがまるきり違うのである。そこで、話を通じさせるため、アメリカではこんなふうに批評するという方法を、マイナー教授が解説し、幾つかの英詩を材料にして、批評の実際を示すことになった。マイナー教授の英語がよく理解できない所は、ブラワー教授が日本語で説明してくれた。

 マイナー教授は、十七世紀の英文学を専攻する人で、とくにドライデン研究を中心とするが、その研究方法は、作品の精密な分析を基礎とするもので、これはブラワー教授も同様だった。そのとき、参考におよみなさいといってブラワー教授は、クリアンス・ブルックスとロバート・ペン・ウォレンの共著『詩の理解』(Understanding Poetry)および『小説の理解』(Understanding Fiction)、それからルネ・ウエレックとオースティン・ウォレンの共著『文学理論』(Theory of Literature)などをわたくしにくれた。これらの本をよみながら、そのゆきかたで和歌を論じてゆくうち、だんだん話が通ずるようになってきた。その成果は、ブラワー教授とマイナー教授の共著で『和歌』(Japanese Court Poetry)という大冊にまとめられ、一九六一年にスタンフォード大学から出版された。

 この共同研究を通じてわたくしのまなびえた批評方法は、日本にそれまで知られていなかったもので、明治以来の国文学が閉じこもっていた訓詁・考証ないし印象批評の世界に、新しい光をさしこませるであろうと思われた。これを日本の学界に紹介することは、アメリカに招かれた最初の国文学者として、わたくしの責任であると感じたので、一九五八年の秋に帰国するや否や、勤務校での演習にこれを持ち出し、以後ずっと続けている。スタンフォードの人たちが期待した反応は、日米両国において、右のような形でおこった。

 ところで、この批評方法をどう名づけたらよいのか、はなはだ当惑した。ブルックスたちのは、ふつう「新批評」(New Criticism)とよばれるが、これは手垢のつきすぎた名称であり、わたくしが教わったのは、それよりもずっと進歩したものであるから、何か別の名称がほしい。ブラワー教授に相談したら、アメリカでも決まった名称が無いけれど、analytical criticism というのがわりあい適切でなかろうか――ということだったので、それを訳して分析批評とよぶことにした。

 教室で分析批評を試みるのは、かなり骨の折れるしごとであった。まず、術語を訳するのがたいへんなのである。前の学期に使ってみた訳語が思わしくなくて、次の学期には訳しかえるといったようなことが、しばしばであったから、学生諸君の迷惑はひとかたでなかったろう。さらに、こんなふうに説明したら、どう理解してくれるだろうかという実験のため、わざといろいろな説明のしかたを試みたりしたので、モルモットがわりに使われた学生諸君は、わたくし以上の骨折りであったかもしれない。このようにして、分析批評がだんだん定着してきたのである。

 井関義久君は、わたくしが右のような次第であれこれと試行錯誤を繰り返しながら分析批評の体系化に努めていた頃から、わりあい定着した形に落ちつくまでのプロセスを、教室での作業に加わることによって確実に把握した篤学の士である。おそらく、いちばん長年にわたる受講者だったろう。それに、教壇での経験が加わり、分析批評を高等学校の段階で成功させたのである。スタンフォードの人たちが期待した連鎖反応のひとつは、このようにして日本におこった。


  昭和四十七年一月三十一日   /小西 甚一

    • この商品は皆様からのご感想・ご意見を募集中です

      明治図書
    • 何度も復刊している本なのだから、この際恒常的に出版してはどうか。それができないのなら、オンデマンド製作による出版を行ってもらいたい。
      2022/9/28
    • 是非読みたいです!
      2020/11/23
    • 分析批評について学ぶのに役立つと伺いました
      是非読みたいです。
      2020/11/8
    • 読みたいです
      2020/7/19末丸拓也
    • 国語教育界における名著であり、必読書です!
      2020/1/20

ページトップへ