授業への挑戦74
主題認識の構造
―文学教材指導の原理と方法―

授業への挑戦74主題認識の構造―文学教材指導の原理と方法―

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文学教材を国語科授業で扱うことの意味を解明した労作で,「主題」指導の在り方を問い,国語科文学教材指導の改善の方法を積極的に提言した。


復刊時予価: 2,871円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-353215-9
ジャンル:
国語
刊行:
4刷
対象:
小・中・高
仕様:
A5判 204頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

まえがき
第一章 主題指導の現状
一 教室の風景
二 読解指導における主題観
第二章 文学上の定義
一 辞典の説明
二 「新批評」派の定義
三 主題と細部
第三章 これまでの主題指導理論
一 蓑手重則氏の「主題設定理論」
二 「細部抽象理論」
三 「価値意識」の実態
四 論理的思考は論理的文章で
第四章 論理的文章と文学的文章
一 文種別指導
二 性質
三 用語
四 文章構成
第五章 「語り」と描写
一 古代物語の記録性
二 「語り」の文体
三 民話(古代物語)の本質
四 心理描写の発生
五 「語り」から描写へ
六 描写の発生
七 描写の確立
八 描写が表現するもの
第六章 各「主題論」の考察
一 考察の観点
二 藤原宏氏の「との様の茶わん」論
三 教科研の主題論
四 西郷竹彦氏の主題論
五 児言研の主題論
第七章 主題認識の構造
一 やせた描写と豊かな描写
二 主題認識の諸相
三 教科書教材の主題論
第八章 結論
作品年表
索引
参考文献一覧

まえがき

 今から数年前の夏のことである。

 筆者はある地区の小・中学校の先生方の研修会に招かれて、文学教育を魅力あるものにするにはどうすればよいか、という主旨の話をした。そして一通りの話を終えた時だった。

 一人の中年の婦人の先生が立ち上って、じつは自分は先日「大きなしらかば」という教材を扱ったところ、行き詰ってしまって困っている、どうしたらよいものであろうか、と話を始められた。筆者も大いに関心を持ってうかがうと、大要は次のようなものだった。

 「大きなしらかば」の主題は″母の賢い愛情″ということになっていて、その結論に導くためには登場人物のうちの主人公を母親であると設定しなければならない。これまでは話し合いをさせてもとくに問題はなかったのに、先日はどうしたことか子どもたちの話し合いの結果、主人公はアリョーシャではないか、という″結論″になってしまい、どう説得しても承服しないので閉口している、というのであった。

 筆者はそれに対して、子どもたちが先生に対して自分たちの説を主張してゆずらないというのは自主性を育てたことであり、それはとりもなおさず先生ご自身の功績でしょう、というようなことをしゃべったのだが、主題指導の問題の影の大きさには考えが及ばないままに話を終えた。その先生も釈然としない表情ながら、つつましい態度で「わかりました」とおっしゃった。しかし筆者は自分の問題のとらえ方が、質問された先生の深みに到達していないことを痛感した。

 このことがあってから、筆者は注意して研究会などに出席してみると、主題指導は国語科教育の中でも大きな問題の一つであり、しかも小学校の先生方の大部分は″国語科以外″の専攻で(八教科のうちの一教科だから八分の一に過ぎない)あるために、文学教材の文章を、定義された概念の操作による社会科や理科の説明文と同じ読み方で指導なさっているらしいこと、しかも研究授業などには国語科関係の先生方が担当なさることが多く、その他の多数の先生方が文学教材の文章をどのように指導なさっているかは、その実際が筆者のような立場の者にはなかなかうかがい知れないことなどがわかってきた。

 だがここ数年、いくつかの論文を調べ、先生方の指導研究にかかわらせていただいているうちに、主題指導についての材料が数多く集まってきたし、いろいろな事例について研究を深めることができたようである。したがって、この本は数えきれぬくらいの多くの先生方のご教示のたまものの結果であるといえるのである。そうした筆者の得た感触は、やはり文学教材指導の際に使われる「主題」という概念は理数系の先生方や、同じ国語科の中でも自然科学に近い方法で文法など言語法則の研究をなさった先生方には、客観的実在物を指定するかのように考えられている、というものだった。

 文学の作品の文章は特別の術語を含まない日常のことばによってイメージを作りだし、そのイメージによって人間像を描きだしたり、思想を語ったりするから、文学作品の主題に関する多くの先生方の考え方は明らかに方法的に異質なものだと言わざるを得ず、その考え方による指導が徹底すればするほど、子どもたちはものごとの認識のしかたについて現実と観念との関係を倒立させなければならなくなる。このような教育の方法は年齢の成熟と思考の発達との関係を無視したものと言わなければならず、その報いは子どもたちの拒否反応として現われるはずである。小学生たちが上級学年になるほど国語がきらいになるという統計があり、その原因の一つがここにあるのではないかと懸念した筆者は早速「文学教材の指導上の問題について――主題認識の構造――」という三〇枚ほどの小論を『国文学 言語と文芸』第83号に発表した。一九七六年のことである。

 この小論が飛田多喜雄先生のお目にとまり、さらに明治図書の江部さんの知るところとなり、ご懇篤なお便りが筆者に届いたのが一九七七年の夏であった。

 江部さんのお勧めに従って一冊の本にまとめるべく筆者は仕事にとりかかったが、問題は調べるほど大きく深く、それに対して筆者自身の時間と能力がいかに乏しいかを痛感せざるを得なかった。だがその悪戦苦闘の最中でも、なぜか子どもたちに文学作品のおもしろさを教えたいという気持ちだけは変らなかった。そのためには先生方に一人でも多く文学の楽しみを知っていただくほかはない。このため本書では文学のおもしろさ楽しさを具体的に、しかも理論的に説明してみようと企画し、その中心に描写論を据えて歴史的に跡づけてみようとした。資料の捜索・選択もさることながら、文体論の未確立の現状における体系づけのために筆は遅々として進まなかった。またこのために理論的記述が過ぎて、実際指導の技術的処理を本書に期待なさる向きには読みにくさもあるであろう。しかしここのところは文体論とも深くかかわるところで、日本近代文学研究においてもほとんど未開拓な部分なので辛抱をお願いしたいところなのである。

 雪国とはいうものの山形市の冬は明るく、風はないが寒気が厳しい。一九八〇年の正月は終りごろになって急に大雪となった。雪のあいだ大学の研究室は静かで、そして寒かった。こうして山形の街角からやっと雪が消えかかったころ、原稿がまとまった。

 三年間もお待たせしたにもかかわらず、お会いした江部さんは温顔をほころばせながら、例の早口で「よかった、よかったですね」と言ってくださった。そのご様子に筆者は深く学ぶところがあった。

 本書がこうして成ったのは、筆者の研究に協力の労を惜しまれなかった各地の先生方のおかげである。ここに心から御礼を申し上げたい。また本書が不完全な部分を多く内包しているのも、筆者は実感しているところであり、多くのかたがたのご批判は最も歓迎するところである。この種の議論が大いに活発となって、文学作品を一人でも多くの子どもたちが喜んで読むようになることこそ、筆者の最大の念願だからである。

 最後になったが、本書が書物として形を整える段階で、わが研究室の村上正子・押切祐子・菅原道生・平泉靖子・福田純子・本間昭子・松田裕子・吉田ゆきの諸君の多大な協力を得た。特に記して感謝の意を表わしたい。


  一九八〇年八月 著者

著者紹介

市毛 勝雄(いちげ かつお)著書を検索»

 昭和6年,東京は神田の生まれ。原産地は水戸郊外,東京2世。東京府立航空工業学校を経て東京教育大学国語国文科卒業。日大三高,都立武蔵高,都立小石川高,教育大付属

高を経て,現在は山形大学教育学部助教授。

※この情報は、本書が刊行された当時の奥付の記載内容に基づいて作成されています。
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      明治図書
    • 文学の読みの授業を、一つの主題に縛られず、人物の変化や描写などに目を向けて豊かに読むことを提唱した画期的な本で、それまでの文学の授業のありかたを変えた名著だと思います。国語教育に携わる方にぜひ読んでほしい本です。
      2018/3/17桜 花子

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