- まえがき
- 序章 「心・言葉・体・命」を育む国語科授業を創出しよう
- 一 始めに「心」ありき、そして「体」で表現するのだ
- 二 「心」が生まれ、そして「言葉」で表現するのだ
- 三 「言葉」が「命」を育むのだ
- 四 「対話」と「共創」のある国語科授業を創出しよう
- T 五つの「こ」を調和させた国語科授業を創出しよう
- 一 国語科授業創出の基本的な考え方は五つの「こ」である
- 二 目の前の子どもの「こ」から授業は始まるのだ
- 三 学習材であることがらの「こ」をしっかり捉えさせることだ
- 四 学ぶ意思や意欲などの心の「こ」を喚起し持続させることだ
- 五 適切な言葉の運用能力の「こ」を身につけさせることだ
- 六 学んだ言葉の力を行動の「こ」で表現させることだ
- U 心を育む国語科授業を創出しよう
- 一 スピーチ学習で心を育む国語科授業を創る
- 二 パネルディスカッション学習で心を育む国語科授業を創る
- 三 手紙を書く学習で心を育む国語科授業を創る
- 四 意見を書く学習で心を育む国語科授業を創る
- 五 詩歌を読む学習で心を育む国語科授業を創る
- 六 小説を読む学習で心を育む国語科授業を創る
- 七 古典を読む学習で心を育む国語科授業を創る
- 八 論説を読む学習で心を育む国語科授業を創る
- V 心を育む言葉の教育に寄せる声に期待しよう
- 一 小学校教師の心を育む言葉の教育に寄せる思い
- 二 中学校教師の心を育む言葉の教育に寄せる思い
- 三 大学生の心を育む言葉の教育に寄せる思い
- 四 社会人の心を育む言葉の教育に寄せる思い
- 終章 若き友へのメッセージ
- あとがき
まえがき
国語教育は言語の教育である、というのは自明の理である。その言語の教育を通して児童・生徒の人間形成に資するのが、国語科授業の本道である。道徳や各教科や特別活動や総合的な学習の時間などの教育も、それぞれの特性を生かして児童・生徒の人間形成に寄与している。
ところで、言語の教育としての国語教育のあり方について、私は、いま、次のような問題意識を抱くに到っている。
「心を育む言葉の教育」をしなければならないのではないか
ということである。この問題意識を抱くようになったのは、小学校や中学校や高等学校の授業を参観したり、各種の研究会やセミナーや学会などに参加したり、様々な教育雑誌や研究冊子や単行本を読んだり、私自身の授業を振り返ったり、日々新聞やテレビなどで報道される事件などを見聞きしたりする現実の様相などに、触発されたからである。それらは、私にとってある種の危機感や不安感を募らせるものでもあり、また、これからの国語教育のあり方を考える契機となるものでもあった。
本来、「言葉と心」は切り離せないものではないか。国語科授業における「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」の学習においても、「言葉と心」は、常に一体として指導する必要があると考えている。言葉だけを取り出した国語科授業は、いわゆる形式的な言語教育に陥りやすい。知識や技術の習得に偏りやすい。それもまた、国語学力を育てる一方法ではあるが、偏ってはいけない。忘れてならないのは、言語で表現された、あるいは表現しようとする内容である。談話にしても文章にしても、その言語形式と言語内容とが一体化され調和されてこそ聞き手や読み手に明確に伝わるものである。
「心を育む言葉の教育」をしたい、という提案をすると、国語教育は道徳教育ではないという反論が予想される。それもまた十分に承知している。私が考える「心を育む言葉の教育」は「道徳教育」をも含むものである。一般に、「心」は、たとえば次のように定義されている。
A 特に人間に顕著な精神作用を総合的にとらえた称。具体的には、対象に触発され、知覚・感情・理性・意志活動・喜怒哀楽・愛憎・嫉妬となって現れ、その働きの有無が、人間と動物一般、また敬愛・畏怖の対象となる人と憎悪・軽蔑すべき人間を区別するものと考えられる。
B 宗教的感動・美的感興・倫理的高揚など、直接人間の精神構造を高める働きを持つもの。
(『新明解国語辞典』第6版より一部引用)
教育用語として使われてきた「知・徳・体」、あるいは一般的に使われてきた「知・情・意」などの用語をも含む広義の「心」を私は、いま、考えようとしている。
本書は、「心を育む言葉の教育」をしたいと願う私の「心」を様々な事例を挙げてまとめたものである。これからの国語教育を進めるうえで、本書が少しでもお役に立つことができれば幸せである。
なお、本書が成るにあたっては、明治図書の江部満編集長の温かい励ましがあった。記して感謝の気持ちを捧げたい。
二〇〇六年一月一日 元日の朝に 著者 /花田 修一
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明治図書
















