- はじめに /西郷 竹彦
- T 「人間」を教える詩の授業
- /足立 悦男
- 1 国語教育で、今もとめられているもの
- 2 文芸とは何か、教育とは何か
- 3 この詩の授業記録から何を読むか
- U 詩の授業で「人間」を教える
- /西郷 竹彦(授業者)
- 工藤直子「はきはき」の授業
- 1 「みのむしせつこさんって、どんな人?―」
- 2 「はきはき」の授業
- 高田敏子「白い馬」の授業
- 1 「天人合一」の世界にふれる
- 2 「白い馬」の授業二六
- 原田直友「村の人口」の授業
- 1 「五万二千七百九十四 命」にたどりつく
- 2 「村の人口」の授業
- 3 「村の人口」の授業をめぐって
- 佐野美津男「なんておもったら」の授業
- 1 作者と読者が向かい合って詩を作る
- 2 「なんておもったら」の授業
- まど・みちお「キリン」の授業
- 1 詩の表記から人間の姿に迫る
- 2 「キリン」の授業
- まど・みちお「根」の授業
- 1 題を隠す授業の仕掛が見えないものを見せる
- 2 「根」の授業
- 近藤東「きかんしゃ」の授業
- 1 労働はものを価値あるものに変えること
- 2 「きかんしゃ」の授業
- 3 「きかんしゃ」の授業で育てたいもの
- 村野四郎「鉄棒」の授業
- 1 〈ぼく〉の変身が鉄棒を〈地平線〉に変えた
- 2 「鉄棒」の授業
- V 西郷実験授業から学ぶもの
- /藤井 和壽
- 1 ユーモアあふれる授業から学ぶ
- 2 人間観を教えることから学ぶ
- 3 典型化の指導から学ぶ
- 4 おもしろさ(美)を味わうために学ぶ
- 5 表現方法を内容とつなぐことから学ぶ
- 6 ねらいが一貫した授業から学ぶ
- 7 おわりに
はじめに
――「人間のわかる人間」を育てる詩の授業
文芸(詩)は人間を描く芸術です。その詩を相手どって、なぜ私は授業をするのか。一言で言うと、「人間のわかる人間」を育てたいということです。「人間がわかる」ということは、人間の生きるこの現実世界がわかるということでもあるのです。
だから、詩のわかり方が、そのまま人間のわかり方になる。世界のわかり方になる。そんな授業をしたいのが私の切実な願いです。たとえば、「条件的にみる」という「ものの見方・考え方」(認識の方法)で具体的に詩を読み解くというなかで、自分と自分をとりまく現実の世界を、「条件的」にみることのできる、また「条件的」に変革することのできる主体を育てたいと願っています。もちろん、「条件的」にみるというだけではありません。「相関的に」とか「関連的に」とか、小学校段階であれば、十種類ぐらいの「ものの見方・考え方」を、教え学ばせたいと考えております。
ですから、私はそこに教材があるから、その教材をどう授業するか、という考え方はしません。目の前の子どもたちにどんな力を育てたいか、育てるべきか、そのために、では、どの詩がその目的に相応しいかと考えるのです。そこに教材があるから授業するのではありません。目的があり、その目的を果たすために、その目的に最も相応しいと思われる詩を教材として選ぶのです。そうして、その目的に向かって、ひたすら問いを進めるのです。目的を明確にして、その目的に向かって、必要にして十分と考えるかたちで授業を進めます。その目的に添わないものは切り捨てます。あれもこれもと持ち込む授業は「ねらい」がぼけてしまいます。「教材を教えるのではありません」。「教材で認識の力を育てたいのです」。「うまい授業ではなく、いい授業をしたい」。それが、私の念願です。もちろん「いい授業」とは、先に述べた目的の明確な、そして、実際に、認識の力のつく授業ということです。
ところで、これは私の願いであり、理想です。はたして私の一つ一つの授業が、この目的をどう実現しているか、批判的に検討し、もし至らないと思われるところがあれば読者の皆さん自身、その原因を明らかにし、自分ならどうするかを勘案してみてください。
私の授業の「見所」について、足立悦男・藤井和壽両君が、懇切な「解説」をつけてくれました。
最後になりましたが、企画から刊行まで、明治図書出版編集部の庄司進氏には大変お世話になりました。
追記・最近刊の左の拙著を紹介致します。
『西郷竹彦・名詩の世界・西郷文芸学入門講座』(全七巻)光村図書出版刊
二〇〇六年一月 文芸教育研究協議会会長 /西郷 竹彦
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- 明治図書