- はじめに
- T 教師の音声言語技術を高める
- 1 話し方の基本的事項
- 2 冬休み前にどんな話をするか
- 3 万引き事件発生! そのときどう話すか
- 4 子どもの心を揺さぶる話し方
- 5 子どもを変えた親の一言
- 6 技術の一人歩きは禁物
- 7 話し方を鍛えるには人間を磨くこと
- U 心を育てる話し方の指導
- はじめに
- 1 心の正体、それは認識だ
- 2 認識とは言葉そのものだ
- 3 言葉が変われば認識が変わる
- 4 言葉の教育、その進め方
- V 子どもの話し方の向上的変容
- 1 話し言葉の授業場面における問題点
- 2 発言者が偏る要因
- 3 生活場面における問題点
- 4 教えられないからできない
- W 低学年もここまでできる
- 1 具体的な指導成果の確認を
- 2 聞く態度の指導の基礎基本
- 3 教育ブームへの警戒――音読と黙読のバランスに触れて――
- X 話し言葉の具体的な学習
- はじめに
- 1 短歌「馬を洗はば……」
- 2 俳句「愛されずして……」
- 3 基本的な話し言葉のしつけ
- Y 演習・「話す力」の鍛え方
- 1 毎日毎時の指導が大切
- 2 教え子の四傑
- 3 書くことは大変な能力
- 4 話し方の指導はされていない
- 5 話し方の基礎指導
- 6 話し方の実技練習
- 7 「論破」の進め方の実際
- 8 考えが変わった意義の自覚をさせる
- 9 技法の分析三項目
- 10 話す力の鍛え方・六つのポイント
- Z 討論の指導技法
- 1 「記号」と「意味化」のずれ
- 2 「論破の授業」のすすめ
- 3 「論破の授業」の実際
- [ 誌上総合演習・音声言語指導の理論と実際
- はじめに
- T 二つの俳句の優劣の検討
- 1 どちらがすぐれた句か
- 2 「論破」と「話し合い」
- 3 Aは贋作でBは真作か
- 4 「向上的変容」の大切さ
- 5 AとBとではどちらが秀作か
- 6 「主観」から「分析」へ
- 7 「思います」文末の変更
- 8 平行線になったら教師の出番
- 9 朝か昼か夕方か
- 10 「朝」「夕方」とする論拠
- 11 「夕方」の「群声」が妥当な解
- 12 名文・立石寺
- U 茂吉の短歌の鑑賞
- 1 「のど赤き……」の鑑賞
- 2 「つばめ」と「つばくらめ」ほか
- 3 「たらたらと漆の木より……」
- おわりに
はじめに――「硬派の授業論」をこそ――
平成十年に、二十一世紀の初頭をリードする『学習指導要領』が公表された。いくつかの大胆な改訂と改善が提言されている。どのような国語学力が新たに形成されることになるのだろうか。まことに楽しみだ。
改訂の論点の中でも最も注目されることの一つに「話すこと・聞くこと」という音声言語領域が筆頭分野として位置づけられたということがある。「読み・書き・そろばん」という言葉が「基礎学力」のキーワードとして長く親しまれてきたことを思うと、この新しい位置づけには大きな願いがこめられているのに違いないと思われる。
このことについて『小学校学習指導要領解説 国語編』の第二節「改訂の基本方針」には次のように説明されている。
(前略)特に、文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導の在り方を改め、自分の考えをもち、論理的に意見を述べる能力、目的や場面などに応じて適切に表現する能力、目的に応じて的確に読みとる能力や読書に親しむ態度を育てることを重視する。
この文言から「これまでの国語科が文学教材の指導に偏りがちであった」という認識がなされたことが分かる。確かにその通りだと言ってよい。各学校の研究主題は断然「文学教材」の「詳細な読解」に偏って取り上げられていた。夥しい公開研究会の主題を見ればそのことが十分に頷ける。
今次の改訂は、そんなことよりも「自分の考えをもち、論理的に意見を述べる能力」や「目的や場面などに応じて適切に表現する能力」や「目的に応じて的確に読みとる能力」あるいは「読書に親しむ態度を育てる」ことを重視すべきだと提言している。この提言は、教育課程審議会からなされたものであるが、私はこの提言の方向を端的に次のように要約して把握している。
教養主義的国語教育から、実用主義的日常的国語教育への転換を図ること。
「文学的文章の詳細な読解」というのは、要するに教養主義的な古典解釈流の国語教育ということである。それを改めて「目的や場面などに応じ」た言語能力、あるいは「日常生活に必要な話す・聞く、書く、読む」などの「基礎的な内容」を身につけることが大切だというのである。その通りだ。
本書は、国語科の授業の目的を「国語学力の形成」という基本の一点に絞り、そのための授業の原理と技法を具体的に述べたものである。国語科の授業は何のために存在しなければならないかと言えば、それはまず「学力形成」のためにこそ存在する。学力を形成しない授業はどんなに楽しくても授業とは言えない。この極めて当然の確認が近頃薄らいできている。学力形成に代わって、近頃「楽しさ」や「意欲」や「自分で行う」ことが大切にされている。そこでは「賞讃」と「肯定」と「励まし」が重視され、「否定」や「叱正」や「強制」はあってはならないもののように考えられている。とんでもない誤認である。それは一見いかにも温かな授業観に立っているように見えるが、結果的に子どもに生きる力をつけえないだろう。それは「軟派の授業論」と言わねばならない。
本来の学力形成を第一義として重視する「硬派の授業論」こそが今求められなければならない。本書の読者は、必ずや読後に私の主張に賛同され、骨太の授業人としての意欲を高められることだろう。それを私は願っている。
平成十二年十月三十一日 KKR札幌にて早朝に記す /野口 芳宏
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