- はじめに
- 序章 今,「学級」の何が問題なのか?
- 1 子どもが逃げ出す教室
- 2 不登校のきっかけ
- 3 不登校児童生徒の本音
- 4 「自分でいられない」教室
- 5 岐路に立つ学級経営
- 第1章 オルタナティブ教育の本質
- 1 オルタナティブ教育の定義と歴史
- 2 従来の学校教育との違い
- 3 様々なオルタナティブ教育
- 4 日本におけるオルタナティブ教育の現状
- 第2章 瀬戸ツクルスクールの理念と実践
- 1 瀬戸ツクルスクールの設立背景と目的
- 2 基本理念
- 3 6つの基本施策
- 4 瀬戸ツクルスクールが大切にしていること
- 5 瀬戸ツクルスクールのスケジュール
- 6 安全で創造的な学習空間デザイン
- 7 参観記@「子どもを信じる」
- 〜瀬戸ツクルスクールから見えてきた可能性〜
- 8 参観記A「本物の主体性」を目の当たりにして
- 9 保護者から見た瀬戸ツクルスクール
- 第3章 子どもの動きを引き出す仕組み
- 1 個を尊重する学習環境の構築
- @ 自己決定を保障する仕組み
- A 多様な学習方法の提案と実践
- B 個別のポートフォリオ作成による自己理解の促進
- 2 コミュニティ形成と社会性の育成
- @ クラス会議の運営方法と効果
- A クラス会議実践のポイント
- B 瀬戸ツクルスクールでの実践と効果
- C 異年齢集団での学びの意義
- D 地域社会との連携と体験学習の重要性
- 3 リフレクションと評価
- @ 発達に合わせたリフレクション
- A リフレクションのポイント
- B 評価の方法と意義
- C リフレクションと評価を通じた自己変容
- D リフレクションと評価を通じて探究する自己変容の要素
- E 実際のリフレクションの変化のプロセス
- 4 瀬戸ツクルスクールにおける「教師」の役割
- @ 私(一尾)の仕事
- A ファシリテーターとしての教師像
- B 学校現場における課題
- C 子どもをファシリテーターとして育てる視点
- D 子どもとの関係性
- 5 将来設計と進路指導
- @ 社会と教育をつなげる設計
- A 自己理解に基づくキャリア教育
- B 瀬戸プラクティカルカレッジの取り組み
- 第4章 自分のクラスづくりに応用する
- 1 瀬戸ツクルスクール視点で自分の教室を見つめる
- 2 自己決定の保障と柔軟な学びの環境
- 3 一体感を醸成するシステム化された「共有」
- 4 自己を振り返る活動
- 5 自分の人生の舵を自分で取る習慣を育てる「学校」
- 〜コラボラティブ・トランスフォーメーション〜
- 終章 対談:瀬戸ツクルスクールに見たこれからの教室
- 1 改めて瀬戸ツクルスクールというところ
- 2 瀬戸ツクルスクールの「子ども観」
- 3 公立学校に活用できること
- おわりに
はじめに
/赤坂 真二
今の教育の問題が語られるときに,その大きな割合を占めるのが学級というユニットの問題です。学級の問題をいくつか挙げてみましょう。
学習面においては,「個別最適な学び」と「協働的な学び」を同時に実現することが求められていますが,これらを30〜40人というクラスサイズで両立することが難しいことが指摘されています。指導の個別化,学習の個性化を実現しようとしても,教師が個別対応に集中するあまり,学級全体の集団形成が脆弱になってしまう事例が発生しています。学校生活への適応支援においては,子どものニーズの多様化が進み,一人一人の教師の力では,それらに応えることが難しくなっています。
また,学級崩壊(授業が成立しない状態)現象ですが,その様相が複雑化しており,解決策の考案が難しくなっています。従来の教師への反抗型やルールのなし崩し型から「静かな学級崩壊」と呼ばれる,表面上は問題があるようには見えませんが,学級内で機能不全が進行している状態が増加しているような状況もよく聞かれるようになりました。
学級が難しくなっているのは,子どもの問題ばかりではありません。教師の長時間労働や業務負担が増加しており,個別対応や学級経営に十分な時間を割くことが難しくなっています。指導がうまくいかない事例が増えると学校管理上の理由から,教育活動の質を揃えるために,教師個々の裁量権が狭まるようなことが起こっています。「教師としてのやり甲斐」を感じにくい状況に陥っていて,場問題に対して解決策はわかっているができないという場合もあるようです。
さらに,文部科学省は,小学校における教科担任制をさらに進めようとしています。小学校高学年への教科担任制導入・拡大に加え,さらに中学年に広げようとしています。学級担任を学期ごとに替える交換担任制や中学校におけるチーム担任制,複数担任制など,従来型の学級担任制との調整や新しい指導体制への適応が課題となっています。いじめ,不登校などの問題も,学級があるからこその問題なのかもしれません。こうした問題が指摘される度に「学級なんてものがあるから,問題が起こる,だから,学級をなくしてしまえばいい」という主張が声高に叫ばれます。
しかし,ホームスクーリングなどの子どもが家庭で教育を受けられる仕組みがある国,地域もありますが,世界の多くの地域において公教育は,日本のような制度とは異なる場合があるものの,クラスというユニットをつくって集団教育をしています。日本の場合は,他の選択肢がないことが問題なのであって,学級制度そのものに問題があるとは言えないのではないでしょうか。それに,学級制度廃止論には,具体的な代替案が欠けているように思います。
そこで注目したのが,愛知県瀬戸市で「瀬戸ツクルスクール」というオルタナティブスクールを運営する一尾茂疋氏の実践です。瀬戸ツクルスクールの訪問者たちは,子どもたちの元気さに驚き,その主体的な在り様に圧倒されます。一尾氏の目は単に教育だけでなく,世の中をどうデザインするかを見据えています。つまり,これからの社会で生きるために必要な資質・能力から,教育をデザインし直そうとしていると言えるでしょう。瀬戸ツクルスクールの提案は,荒唐無稽のようでありながら,そこには公教育に生かせるヒントがいっぱいです。本書を片手にこれからの教室の在り方を共に考えてみませんか。
はじめに
/一尾 茂疋
瀬戸市民立小中高一貫校瀬戸ツクルスクールの運営責任者を務めております,一尾茂疋(いちおしげひこ)と申します。今回はこのような貴重な機会を賜り,誠に光栄に感じております。
教員免許も公教育現場での経験も一切ない私が,どれほど皆様のお役に立てるかは未知数です。しかし,そのような立場だからこそ,ときに既成概念にとらわれず,思い切った取り組みを進めることができているのではないかと考えております。
これまで私は,民間の教育業界を中心に,多様な業界,業種を経験してまいりました。正直なところ,あるときまでは教師という職業に対し,大変だな,という程度の認識しか持ち合わせておりませんでした。
しかし,渡邉尚久先生との出会いが私の教師観を大きく変えることになります。そのご縁から,ある日曜日に行われていた勉強会に参加させていただいたときのことです。会場を埋め尽くす熱気と,真剣な眼差しで学び合う先生方の姿に,私は言葉を失いました。こんなにも懸命に子どもたちのために尽力されている先生方がいらっしゃるのか,と衝撃を受けたのです。
その日以来,私は強く思うようになりました。これほどまでに頑張っている先生方がいるのだから,社会全体で先生方を支えていくべきだ,と。
その後も,赤坂真二先生との出会いを通じてクラス会議の実践を知り,土作彰先生の学級を見学した際には,子どもたちの瞳の輝きに深い感銘を受けました。多賀一郎先生の,多様な子どもたち一人一人に対するあたたかい眼差しからは,教育における真の優しさを学ばせていただきました。そして,福山憲市先生との対話を通して,いつの間にか子どもたちの可能性に限界を設けてしまっていた自分に気づかされたのです。
それぞれの現場で,子どもたちの成長を支える先生方の姿から学びを得る中で,自分に何ができるのかを模索してまいりました。特に,公教育という場で,自身の立場から貢献できることは何かを深く考えました。
その結果,私が至った考えは,「誰もが当事者意識を持って学校教育と向き合えるようにすること」でした。昨今の学校教育における様々な課題や負担は,それぞれの立場が責任を曖昧にし,押し付け合っている状況から生じているのではないかと感じたのです。
では,どのようにすれば当事者意識を持てるのか?その問いに対する私の答えは,「選択肢をつくる」ということでした。生徒,保護者,そして先生自身が,自らの意思でその道を選んでいるという感覚を持つことができれば,主体的な関与が生まれるのではないかと考えたのです。
また,選択肢として機能するためには,できる限り多くの人が選びやすく,既存の枠組みとは異なるものである必要があると考えました。
その思考の先に生まれたものが,今回ご紹介させていただく実践です。
具体的な取り組みは異なるかもしれませんが,子どもたちが幸せな日々を送ることを願うという根源的な想いは,皆様と共通していると信じております。
これまで多くの学校現場の先生方から学びをいただいてきました。今回,微力ながら皆様のお役に立てるような点がございましたら幸いです。
本稿の中には,批判的に感じられる部分もあるかもしれません。しかし,それは決して先生個人を批判する意図はなく,よりよい教育システム全体の構築に向けた,私なりの問題提起としてご理解いただければ幸いです。
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- 明治図書
- 私は公立の教員ですが、著者のような覚悟をもって子供たちの前に立てているかどうか。オルタナティブだからできる、ということではなく、大人として子供たちの未来を真剣に考えているかどうかを問われる本でした。2025/9/1440代・小学校教員