- まえがき
- ―発達障害の当事者の立場から
- 第T章 発達障害のある子ども理解と国語科授業
- 1 「国語の授業が苦手」な子どもの思いとは
- (1) 「読み書きが苦手」から考える
- (2) プライベートの話を小出しすること
- 2 インクルーシブ教育と合理的配慮
- (1) インクルーシブ教育と合理的配慮が生まれた背景
- (2) インクルーシブ教育をめぐる誤解
- 3 発達障害のある子どもの理解とは
- (1) 通常学級に在籍する発達障害のある子どもの実態
- (2) 発達障害のある子どもの内面を理解すること
- (3) 発達障害と定型発達との連続性を理解すること
- 4 障害特性に応じた指導を超えて
- (1) 障害特性に応じた指導とは
- (2) 個別の指導計画に対する誤解
- (3) 「応じる」子どもに対する誤解
- (4) 「包摂」と「再包摂」
- 5 自立活動の考えに学ぶ
- (1) 自立活動とは
- (2) 自立活動を実践するために
- (3) 自立活動に学ぶ自己理解と他者理解
- (4) 他者にきちんと頼ることのできる自立へ
- 6 発達障害と貧困との関連性
- (1) 子どもの貧困と発達障害とのつながり
- (2) 暴言や暴力行為を繰り返す菜摘
- 7 物語文「ごんぎつね」を用いた授業の事例
- 8 説明文「ヤドカリとイソギンチャク」を用いた授業の事例
- 第U章 アクティブ・ラーニングをめぐる考え方
- 1 アクティブ・ラーニングが生まれた背景と課題
- (1) アクティブ・ラーニングが生まれた背景
- (2) アクティブ・ラーニングの基本的な考え方と課題
- 2 アクティブな状態とは
- 3 アクティブな国語科授業にむけて
- (1) 能動的な没入とフロー体験
- (2) 人間関係を育むためのアクティブ・ラーニング
- 第V章 インクルーシブな国語科授業をめぐる10のQ&A
- Q1 実際に授業で非言語を意識した授業方法を取り入れてみたいのですが、具体的な指導例を教えてください。
- Q2 国語科で非言語の授業方法を取り入れたいのですが、既存の教科書教材で使えるものは何かありますか?
- Q3 読解指導の際、子どもが話す内容が、教科書の文章内容から離れてしまうことがよくあります。
- Q4 「主題」とかけ離れた子どもの思いや意見に対する評価は、どう考えればよいでしょうか。
- Q5 子どもたちがことばを学ぶ上で、自分の「できないこと」と向き合うことが大切なのはなぜですか。
- Q6 「全員がわかる・できる授業」をつくらなければならない思いが強くあるのですが、どう考えますか?
- Q7 教員が「プライベート」を小出しするメリットとデメリットを教えてください。
- Q8 「子どもの障害特性に応じた授業」とは、どのような授業をめざせばよいのでしょうか。
- Q9 定型発達の子どもを「支援を要する子ども」との学び合いに巻き込むと、授業全体の質は下がるのでは?
- Q10 教員自身に発達障害がある場合、学校現場や授業でカミングアウトしてよいと考えますか?
- 第W章 インクルーシブな国語科授業づくりのポイント
- 1 めざしたいインクルーシブな国語科授業とは
- (1) 二つの状態を授業でめざす
- (2) 「参加」について
- (3) 「包摂」と「再包摂」について
- (4) 「学び合い」に学ぶ
- 2 インクルーシブな国語科授業づくりのポイントと実際
- (1) 〈基盤編〉と〈充実編〉の考え方
- (2) インクルーシブな国語科授業づくり〈基盤編〉
- (3) インクルーシブな国語科授業づくり〈充実編〉
- 3 授業をつくる上で注意したいこと
- (1) 〈基盤編〉の注意事項
- (2) 〈充実編〉の注意事項
- (3) 共通する注意事項
- あとがき
- ―「特別な支援」を必要とするすべての子どもたちへ
まえがき
―発達障害の当事者の立場から
みなさん、はじめまして。原田大介と申します。
本書の目的は、インクルーシブな国語科授業のつくり方について、みなさんとともに考えることにあります。その中でも、本書では、発達障害のある子どもたちを理解するための手立てや、発達障害のある子どもたちがよりよく参加できる国語科授業を提案することを大切にしています。
本書はいわゆる「マニュアル本」ではありません。「スイミーの授業では、○○すればうまくいく!」といった効率的な方法論をならべた本ではなく、発達障害のある子どもの現状や生活背景を丁寧に理解することを重視しています。
このため、「明日の研究授業で使える方法を今すぐに知りたい!」という緊急を要する先生にとって、この本はとても不向きです。一方で、「今の子どもたちが感じる生きづらさとは?」「発達障害ってなに?」「インクルーシブ教育ってなに?」「小学校の国語科授業にはどんな可能性があるの?」などの問いについて、少しだけ時間をかけて考えたい方にはぴったりの本です。
ここで簡単に、自己紹介をさせていただきましょう。
私の専門は国語科教育です。子どもたちの実態把握や授業研究が主なテーマですが、近年はインクルーシブ教育についても研究しています。インクルージョンとは、日本で包容や包摂などと訳される概念のことです。インクルーシブ教育とは、「子どもたちの多様性を包摂する教育」を意味します。わかりやすく言えば、「子どもたちみんなが参加できる教育」のことです。
私が国語科教育だけでなくインクルーシブ教育も研究するようになった理由には、大きく二つあります。
一つめの理由は、教員としての子どもたちとの出会いにあります。
私は大学院を修了したあとに、広島で三年間ほど小学校の教員として勤務しました。そのときに、様々な生きづらさを抱える子どもと出会い、その子どもたちと深くかかわることができました。
それはいわゆる、「特別な支援を要する児童」と位置づけられている子どもたちでした。
LD(学習障害)、ADHD(注意欠如多動性障害)、アスペルガー症候群、高機能自閉症、広汎性発達障害など、医師より発達障害の診断を受けたことのある子ども、診断名はないがその傾向が十分に認められる子ども、日本語を第二言語とする子ども、性的マイノリティの子ども、虐待を受けている子ども、自傷を繰り返す子ども、経済的貧困状態にある子どもなど、子どもたちに必要な教育的支援は多岐にわたることを知りました。と同時に、子どもたちに必要な教育的支援の多くが、未だ不十分な状態であることを実感したのです。この実体験は、これまでの私の国語科教育観を根底から変えるものでした。
インクルーシブ教育を研究するようになった二つめの理由は、私自身が発達障害の当事者であることです。
私は医師より高機能自閉症とADHDの診断名を受けています。「精神障害者保健福祉手帳」(3級)を所持し、服薬も続けています。
私は、幼少期より自分の身体の感じ方や感覚に対して強い違和感がありました。しかし、その思いや感覚を人と共有することはできませんでした。小学校時代、授業という時間や空間は私に合わず、いつもぼんやりと外を眺めているか、時計の針を見て終了時間を計算していました。大人になって医師より診断名を聞いたときは、しこりのようにあった違和感が消えていくのを感じ、妙に納得したものです。
また、発達障害との関連性については明らかにされていませんが、私は吃音の当事者でもあります。吃音とは、ことばを発しようとすると、音がつっかかったり、音が伸びたり、音そのものが出なかったりする言語の障害です。最近は、映画やドラマを通して知られつつありますが、その理解は依然として進んでいません。吃音者の中には、私のように長時間話し続けると、軽度の呼吸困難になる人もいます。なお、吃音は、米国精神医学会が示した『DSM―5 精神疾患の診断・統計マニュアル』において、コミュニケーション障害の一つに位置づけられています。
発達障害や吃音など、身体を理由に生まれる悩みや苦しみであれば、たとえ具体的な答えは出すことはできなくても、子どもたちの思いを少しでも共有できるのではないか。このように考えた私は、国語科教育とインクルーシブ教育とを合わせて研究するようになりました。
教員として出会った子どもたちとの体験も、発達障害や吃音の当事者としての体験も、今では授業を考える上での貴重な財産です。本書においても、この二つの視点を随所に入れていきたいと思います。
本書はまた、アクティブ・ラーニングの考え方にも対応しています。近年、授業づくりを考える上で、アクティブ・ラーニングの存在は無視できないものとなりました。ただし、文部科学省を中心にその定義は提示されているものの、その解釈や考え方は研究者の数だけある状態が続いています。本書では、アクティブ・ラーニングをインクルーシブ教育の観点から新たに位置づけ、アクティブ・ラーニングの知見を取り入れた国語科授業づくりを提案したいと思います。
本書は四つの章からなり、どの章から読まれても内容が理解できる構成にしています。
第T章では、子ども理解や国語科授業の考え方について、発達障害、インクルーシブ教育、障害特性、貧困などをキーワードにまとめています。
第U章では、アクティブ・ラーニングの可能性と課題について述べています。
第V章では、小学校現場で先生方からよく尋ねられる点について、第T章と第U章で十分に取り上げることができなかったことを中心に「Q&A」の形式でまとめています。
第W章では、第T章、第U章、第V章での議論を踏まえ、整理した上で、インクルーシブな国語科授業のつくり方を、より簡略化したかたちで提案しています。
少しでも興味のある章から読んでいただければ幸いです。
本書が、教育現場に携わる先生方や、これから先生になろうとしている学生のみなさんの国語科授業観を見つめる一助になれば、これにまさる喜びはありません。
※なお、本書で登場する子どもたちの名前はすべて仮名です。
「インクルーシブ教育をよく知っている」と思い込んでいる人こそが読むべき一冊。