- はじめに―ICTで授業はどう変わるのか
- 第1章 ICTで変わる国語授業
- ICT担当になったら
- ICT導入のための教員の意識改革
- 学習指導要領と国語教育におけるICT
- COLUMN ICTあるある失敗事例@ キーボードあるなし論争
- 第2章 ICT活用のために身につけたい基礎スキル
- PDFの利用
- グループ機能を使ったグループ学習の展開
- チャットで発言を促進
- 電子黒板で「探究学習」の活性化
- COLUMN ICTあるある失敗事例A ICTで進まない授業
- 第3章 実践!ICTを取り入れた国語授業づくり
- 読むこと
- 無料の教育用SNSで意見交換初発の感想を投稿して学び合いをしよう
- スマホを活用した短歌の探究学習Web検索を活用してプレゼン合戦をしよう
- 青空文庫で「ごんぎつね」を再読テキスト共有機能で名作を集団読みしよう
- タブレット端末で「鳥獣人物戯画」を読む非連続型テキストを読み解いてプレゼンしよう
- タブレット端末で読書会電子書籍で宮沢賢治の魅力に迫ろう
- タブレット×プリントで古典知識を定着PDFの学習プリントで学びを深める
- 「Google Earth」で考える芭蕉の気持ち地図アプリを使い古典に親しむ
- デジタル教科書&ロイロノートで音読発表会声優になって「扇の的」の音入れをしよう
- アプリを使って国語でプログラミング論理を読むこととプログラミングとの共通項を探そう
- 話すこと・聞くこと
- YouTubeで届ける国語深夜便「少年の日の思い出」編反転学習用の動画教材で学びを深めよう
- アプリを使って楽々動画制作慣用句についての動画をつくって学ぼう
- QRコードとスマホでYouTubeの壁新聞づくり動画の魅力を模造紙にまとめて共有しよう
- 教育用SNSで学校の「壁」を超える他校の生徒の意見と自分の意見を読み比べよう
- 書くこと
- QRコードで文学作品の読みを共有スマホで夏目漱石『こころ』論を書いてみよう
- 電子ブックによるポートフォリオ「わたし」についての本をつくろう
- 教育用SNSを活用した意見の交流架空の人物になって書き込みをしよう
- タブレット端末による電子ブック制作「本」についての本をつくろう
- デジタル教科書・教材を活用したマルチメディアな学びデジタル教科書から「幻の魚は生きていた」新聞をつくろう
- プログラミングで表現力を拡張しようプログラミングで調査報告アニメを制作しよう
- COLUMN ICTあるある失敗事例B 先進校訪問の落とし穴
- 第4章 これならできる!簡単なICT活用事例
- その日,タブレットがやってきた!
- 書画カメラを活用したプレゼンテーション
- 書画カメラで作品を共有する書写の授業
- 現代版いろは歌
- Skypeでインタビュー
- おすすめの本を情報共有
- パワーポイントかワードで古典の世界を表現する
- すぐに結果がわかる自動採点テスト
- COLUMN ICTあるある失敗事例C ICTでユビキタスというけれど
- 第5章 ICTが拓く未来の教育
- ICT導入に難色を示す管理職への対応
- 図書館活用とICT
- 海外と日本の学習ICT活用はどこが違うのか
- 付録 ICT用語集
- BYOD/CBT/eポートフォリオ/LMS/one to one/Wi-Fi/セルラーモデル/アプリ/クラウド/実物投影機(書画カメラ)/デジタル教科書/電子黒板/反転学習(反転授業)/プラットフォーム/プログラミング/ログ
はじめに
ICTで授業はどう変わるのか
―SAMRモデルで考える教育の未来―
ツールとしての教育ICT
教育ICTというと,電子黒板やデジタル教科書,タブレット端末やプレゼンテーション用のアプリケーションなどを思い浮かべ,何か特別なものだと考えてしまいがちです。でも,Information(情報)とCommunication(伝達)のためのTechnology(技術)であるという略称の内実をおさえ,「情報通信技術」という訳語の意味を考えれば,黒板やチョークやノートや鉛筆も立派にICTであることがわかります。情報を伝達し,教室で知を共有するための技術という意味では,ホワイトボードでも電子黒板でも,あるいは教科書でもタブレット端末でも,基本的な機能は同じだからです。ですから,教育ICTのことを特別視する必要はありませんし,むやみに敵視する必要もありません。毛筆での学びから鉛筆での学びに切りかえたように,シャープペンシルで書く学びをキーボードで入力する学びに,時代の変化に合わせて少しずつ切りかえていくことができればよいだけの話です。基本的にICTは,教育の目的を実現するためのツールです。
ただし,ICTを「単なるツール」であると考えるべきではありません。例えば,言語は情報伝達のためのツールですが,「単なるツール」ではないはずです。これは,国語科教育に関わる者なら誰もが了解していることではないでしょうか。日本語を通して世界を見るか,英語を通して世界を見るかによって,見えてくる世界は異なります。どのような言語環境を獲得するかによって,外界をどのように認識し行動するかということが規定されます。だからこそ,国語科教育に関わる者は,皮相な知識や技術の伝達にとどまらない学びの実りを模索して,悪戦苦闘を続けてきたはずです。同様に,文字も紙も活版印刷も情報伝達のためのツールですが,「単なるツール」ではありません。人類が文字や紙や活版印刷を獲得したことで,社会のあり方が大きく変容したことは,疑いようのない事実です。文字と紙と活版印刷によって生み出された大量の書物が,知識を記録して共有するツールとして広範に利用されるようになったことで,産業革命が可能になり,市民革命が可能になりました。同様に,インターネットの出現と情報端末の普及は,これまでとはまったく異なる次元で,知識を記録して共有することを可能にしています。だとすれば,国語科の教員は,情報の伝達や共有の基盤となる言語の教育に取り組む者として,ICTというツールのメリットとデメリット,可能性と不可能性を冷静に見極める必要があるのではないでしょうか。
なお本書では,「ICTの教育」という含意の「ICT教育」ではなく,「教育のためのICT」という含意で「教育ICT」という語を使うことにします。
SAMRモデルで考える教育ICT
教育ICTの導入によって何が起こるかについての見通しを立てようとするなら,SAMRモデルが有効です。Ruben Puentedura が2006年に提唱したもので(http://hippasus.com/resources/tte/ 最終閲覧2018年12月1日),テクノロジーによる教育の変化を4つの段階に分けて整理しています。
Substitution(代替),Augmentation(拡張),Modification(変容),Redefinition(再定義)の4つの段階からなり,それぞれの言葉の頭文字を取ってSAMRモデルと呼ばれます。
教育機能の代替(Substitution)は,これまで行われてきた教育を新しく出現した別のテクノロジーを使って実現するという段階です。例えば,鉛筆やシャープペンシル代わりにワードプロセッサーを使うというのがこれにあたります。黒板の代わりにプロジェクターを使ったり,紙のプリントの代わりにPDFファイルを使ったりするのも,教育機能の代替と言えます。これまでに使ってきたツールとは異なるツールを使っていますが,基本的な教育機能は変わりません。
教育機能の拡張(Augmentation)は,単なる代替にとどまらず,テクノロジーを使うことによって教育機能が改善され,教育のありようが強化される段階です。鉛筆やシャープペンシルの代わりにワードプロセッサーを使うことによって,語順を簡単に入れ替えたり,誤字や脱字をチェックしたり,迅速かつ的確に推敲できるようになります。板書の代わりにプロジェクターを使うことによって,前時の学習内容を簡単に確認することができます。文字をプロジェクターで大きく映し出すことで,画数の多い漢字の字体を即座に確認したり,たくさんのPDFファイルを迅速かつ確実に配布したりすることもできます。
教育機能の代替(Substitution)や拡張(Augmentation)に対して,変容(Modification)と再定義(Redefinition)は,従来とは異なる次元に教育を移行させます。その含意を反映させるために,ここでは「学びの変容」(Modification),「学びの再定義」(Redefinition)と呼ぶことにします。つまり,ツールという概念に対応する「教育機能」という言葉を使わず,ツールを用いて学習者が何を成し遂げるかという意味合いを「学び」という言葉に込めておきます。言い換えれば,どちらかというと,教える側が主体であるニュアンスが強い「教育」に対して,学ぶ側が主体であるニュアンスが強い「学び」を対置しているということです。
学びの変容(Modification)は,テクノロジーを使うことによって「教える/学ぶ」関係が変容する段階です。例えば,ワードプロセッサーを使って書いた文章は,クラウドサービスを使うと多くの人々によって簡単に共有することができるものになります。しかも,1つの文書に多くの生徒が同時にアクセスして,思い思いの箇所で同時にコメントを書き込むことさえ可能です。今までなら原稿用紙に書いた文章を教員が添削するという方法が一般的でしたが,生徒同士で誤字や脱字を指摘し合ったり,わかりやすいとか面白いなどとほめ合ったり,場所や時間を問わず,教室でも家庭でも協働して推敲することができます。わざわざ提出したり回覧したりしなくても互いに読み合うことができるので,執筆段階から共有して互いに刺激し合いながら執筆作業を進めることも可能です。教科担任だけではなく,学級担任ともリアルタイムで共有できますから,1人の教員だけでは気づくことができない問題を見つけることができるかもしれません。さらに言えば,遠く離れた場所にいる専門家からリアルタイムでアドバイスを受けることすら不可能ではありません。多くの他者からのフィードバックを受けながら「書くこと」の学びを実現することができるのです。そして,できあがった文章をインターネットで公開することができれば,より広い範囲の人々からの反応があるかもしれませんし,場合によっては社会に具体的な変化をもたらしたり,影響を与えたりすることができるかもしれません。こうした状態が,「教育機能の代替」や「教育機能の拡張」と異なることは明らかでしょう。教師の役割は相対的に切り下げられますが,そのぶん抱え込む負担は減ります。また,生徒の学びは,より主体的・対話的なものになっていくはずですし,社会に開かれた教育課程の実現に向けての確かな一歩ともなるはずです。
最後は,学びの再定義(Redefinition)です。これは,テクノロジーを使うことによって,学びの可能性が広がり,学びのありようが根本的に変容する段階です。言い換えれば,教育の原点に立ち戻り,進化する段階です。そもそも何のために学校があり,教室があり,授業があるのか,学びの主体である生徒にとって教師はどのような役割を果たすべきかという課題に,一人ひとりの教員が向き合うことになるかもしれません。例えば,反転授業を活用して家庭で課題を探究し,他の生徒とチャットで意見交換をしながら学ぶことができるのだとしたら,学校や教師は何をなすべきなのでしょうか。アバターの教師では代替することができず,生身の教師でなければできないことは何なのでしょうか。もちろん,そのような問いに向き合う段階になるまでには,まだまだ時間がかかるでしょう。しかし,テクノロジーの導入は,不可避で不可逆です。そして,教育ICTの導入が進み,1人1台の情報端末で学ぶ環境が整えられ,そうした環境の中で生徒たちが「主体的・対話的で深い学び」を実現できる状態になったときには,このような意味における「学びの再定義」が求められることは避けられないでしょう。
SAMRモデルが示すこうした現実から,目を背けることなく,これまでの国語科教育の美質をいかに未来に手渡すことができるのかを,今から私たちは考え始めるべきです。そのための道しるべとして,本書は以下のような内容で構成されています。
第1章の「ICTで変わる国語授業」は,ICT担当になったらどうするか,いかに教員の意識を変えていくか,新しい学習指導要領が示す教育改革の方向性をどのように理解すべきかなど,学校全体で教育ICTを導入していくうえで考えておくべき基本的かつ根本的な事項を確認しています。
第2章の「ICT活用のために身につけたい基礎スキル」では,PDFファイルや教育用SNS,チャットや電子黒板など,教育ICTならではの基礎スキルの紹介を通して,授業改善の可能性を概観しています。
第3章の「実践!ICTを取り入れた国語授業づくり」は,試行錯誤を重ねながら教育ICTを導入してきた執筆陣による事例紹介です。いずれも,本格的な導入に取り組み始めてせいぜい5年前後です。最先端の教育ICTに熟達したベテラン教員は,原理的に存在できません。事例に示されたさまざまなチャレンジの中から,それぞれの現場に合わせた授業を,執筆陣と同じように,失敗を重ねながらつかみ取ってください。
第4章の「これならできる!簡単なICT活用事例」は,はじめの一歩として挑戦できるような事例の紹介です。懇切丁寧なマニュアルにはしていませんが,困ったときには,情報機器が得意な同僚や生徒に相談したりインターネットで検索したりすることで,ほとんどの問題は解消します。
第5章の「ICTが拓く未来の教育」では,管理職への対応,図書館との連携,諸外国のICT事情など,教育ICTの実践をより価値のあるものにしていくための課題を考察しています。
未来を生きる生徒たちのために,国語科の授業づくりのヒントを,本書の中からぜひつかみ取ってください。
2019年1月 /野中 潤
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