- まえがき
- 第一講 行動主義と認知主義T これからの学校教育
- 一 「費用対効果」と学校教育
- 二 「頭」と「躰」
- 三 「消費者」と「生産者」
- 四 「自分探し」の流行と「脱社会生徒」の登場
- 第二講 行動主義と認知主義U 「主体的・対話的で深い学び」に必要な教師の変化
- 一 産業的身体とAL的身体
- 二 言葉による「洗脳」と経験による「慣れ」
- 三 一斉授業とAL型授業
- 四 いつか来た道の回避と新しい道への努力
- 第三講 行動主義と認知主義V 「主体的・対話的で深い学び」の可能性
- 一 〈説明課題〉とAL型授業
- 二 〈説明課題〉と字数指定
- 三 〈説明課題〉と学びの浅さ
- 四 〈ブレイン・ストーミング〉と〈KJ法〉
- 五 〈認知構造〉と〈AL的身体性〉
- 第四講 動機付けT 驚きと矛盾がやる気を生む
- 一 「学習意欲の自発性」と「学習意欲の持続性」
- 二 「学習意欲の持続性」と適度な刺激
- 三 驚嘆と当惑と矛盾
- 四 教材軸と学習者軸
- 第五講 動機付けU AL型授業の活動ポイント
- 一 「一斉授業」の亡霊
- 二 AL型授業の活動段階
- 三 交流活動の発言順
- 四 「教える」ことの機能
- 第六講 動機付けV 価値ある情報を生むシャッフルタイム
- 一 シャッフルタイムのタイミング
- 二 逆転現象を仕掛けるシャッフルタイム
- 三 思考の固定化を壊すシャッフルタイム
- 四 価値ある情報を創出するシャッフルタイム
- 第七講 メタ認知T 自分が見ている世界と現実との「ズレ」を捉えることから
- 一 自分が見ている世界と現実の世界
- 二 「メタ認知」と「ヒドゥン・カリキュラム」
- 三 話し方の癖とコンテクスト
- 四 表現方法に対する意識と表現内容に対する意識
- 第八講 メタ認知U 教師の思いと子どもの思いの「ズレ」を踏まえた生徒指導
- 一 教師の思いと子どもの思い
- 二 自分に見える世界と現実の世界
- 三 都合の良い解釈と意識していないバイアス
- 四 メタ認知能力の高い教師と低い教師
- 五 原理・原則とメタ認知能力
- 第九講 メタ認知V 「メタ認知」が良い仕事と人間関係を生む
- 一 職員会議の提案
- 二 「子どもたちのために」という宝刀
- 三 さまざまな事情への配慮
- 四 メタ認知能力と教育効果
- 第十講 メタ認知W AL時代を切り拓く!教師に求められる力
- 一 人間の性
- 二 AL型授業が求める力量
- 三 メタ認知に必要な知識
- 四 AL型授業が求めるメタ認知能力
- あとがき
まえがき
こんにちは。堀裕嗣です。「学校現場」シリーズの二冊目です。
本シリーズは、学生時代に教職課程で学んだことが現場では役に立たないと言う人たちに対する、僕なりのアンチテーゼを提出しようというのを基本コンセプトにしています。私の青年期は、まだ大学がかつての教養主義に彩られ、教員養成系大学でさえリトル帝大的な学術を学んでいました。そういう時代でしたから、大学時代に学んだことは現場ではまったくに役に立たないという声が大きかったのです。私はそうした声に反発を抱きながら二十代の教師生活を送っていました。いやいや、大学時代の学びは、間接的に著しく現場に活きているよと。一九九〇年代初頭のことです。
その後、二十世紀末から大学改革が激しく展開されました。教員養成系大学は専門学校の様相を呈し、実学に名を借りた「現場に活きる」とされる技術的なことばかりが扱われるようになりました。確かに教員養成系大学が教養主義だけを追うと、学校現場に出てそれを活かそうとすると、自らの力でもう一段階段を昇る必要が出てきます。間接的にしか使えない教養を直接的に「使える形」にしていく、そうしたワンステップが必要になるのです。
しかし、時代がこんなにも急激に変化している折、実学はすぐに古くなります。技術もすぐに使えなくなります。この二十年で指導案の書き方がどれだけ変化したでしょうか。この二十年で生徒指導の在り方がどれだけ変化したでしょうか。私たちはいま、自分の頭で考えながら、次々に新たな手法を開発しなければ安定した成果を上げられない、そんな世の中を生きています。そして実は、そんな世の中を生き抜くためには、現在の教員養成大学の在り方よりも、かつての在り方のほうが良かったのではないか、そんなふうにさえ思うのです。
現在、鳴り物入りで「アクティブ・ラーニング」(以下「AL」)が学校教育に導入されようとしています。「資質・能力」「主体的・対話的で深い学び」という語も定着しつつあります。従来の一斉授業のみで授業を展開している教師は、現在ほとんどいません。なのに、AL型授業はどこか機能していない。子どもたちがその瞬間には楽しそうに参加しているけれど、いまひとつ長期的な意欲の喚起、長期的な学びの主体性には寄与していない。本書は、私がそんな問題意識を抱いたことを出発点としています。
ご笑覧いただき、ご批正いただければ幸いです。
/堀 裕嗣
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