- まえがき
- 一 言葉に「モノ」を入れて示せ
- 1 「名前」が持つ力
- 2 「三メートル」の秘密
- 3 「モノ」の力
- 4 意外な「モノ」を提示せよ
- 5 「ゆれのないモノ」で共通のイメージ喚起を
- 二 「数」の威力を活用せよ
- 1 「数」に反応してしまう
- 2 「何行目」の明示で
- 3 「数」を支えとして
- 4 「数」の指示力
- 5 「ごみ10個」で生まれたもの
- 三 「声」と「身体」の鍛え方
- 1 「お話どろぼう」をやめさせる
- 2 「見ること」でおしゃべりが消える
- 3 「三色の磁石」の力
- 4 「向かう身体」の育て方
- 5 「段落」で授業が変わる
- 四 授業で原則を活用する
- 1 「良い話し合い」のできる問題のつくり方
- 2 読解のための基本発問20
- 3 教師と子供による発問づくり
- 4 個への対応の仕方
- 5 「好きな漢字」なら発表できる
- 6 文章を「二つに分ける」授業の面白さ
- 五 指示のない授業はない
- 1 教師の「身体」が指示する
- 2 「物」が指示する
- 六 「場」の教育力を生かす
- 1 最後の五分間
- 2 「語りの場」としての機能
- 七 「見る」ことで問題は解決する
- 1 「身体」がつくる空気
- 2 「言葉かけ」から「目かけ」へ
- 3 「無法地帯」からの脱出
- 4 「見られる」ことの幸せ
- 八 子供の「知」と「意」を見よ
- 1 「波」に見る子供の知と意
- 2 知と意を促す言葉を探す
- 3 技術の発見から子供の発見へ
- 九 「瞬時を生きる力」を鍛える
- 1 瞬時を生きていくシステム
- 2 瞬時を生きる体験
- 3 「型」を支えにして
- 4 変容を共有する喜び
- 5 劇から授業へ
- 十 言葉が力を持つ瞬間
- 1 信頼と自信と
- 2 語る≠スめの技法
- 3 声の豊かさに支えられて
- 4 原則を忘れるほど知覚を
- あとがき
まえがき
拙著『AさせたいならBと言え』(明治図書)は、思いもかけぬほど多くの方に読んでいただいた。
この本の中で紹介した「心を動かす言葉の原則」は、子供だけでなく、人間の心を動かす生理的レベルでの原則だったからであろう。
私が提案した原則を簡単に言うと、次の二点になる。
原則1 AさせたいならBと言え
Aのことをさせたいときは、させたいことをそのまま言葉に出して言うのでなく、聞き手が「おや? はて? なるほど!」と思えるような、ひねりの利いたBの言葉を使うとよい。
原則2 効果的なBの言葉をつくるには「ゆれのないモノ」を挿入せよ
言葉の中に、「ゆれのないモノ」(物・場所・数・音・色)を挿入することにより、効果的なBの言葉をつくることができる。
原則1は、学校の授業や行事の指導を繰り返すうち、次第に煮つまってきた原則である。『AさせたいならBと言え』の言葉をどうしたら生み出すことができるかを考えているうちに見つけたのが原則2であった。
私は、子供の頃、人前で話すのが得意でなかった。知らない集団に入ると、もう、それだけで涙が出てくるほどだった。私は、話すのが得意でない身体≠フまま、教師になってしまった。
だから、原則化は、自分の弱点を克服しようとした結果なのである。『AさせたいならBと言え』の原則など必要ない人の方が多いに違いないのだ。ただ、私と同じように言葉に悩んでいる方には、多少、参考になることもあるのではと思った。
原則2は、とくに、相手が集団の場合には、かなりの力を発揮する。授業や行事の際の、発問・指示づくりの原則として、いつでも、どこでも、活用できる原則ではないかと思っている。
『AさせたいならBと言え』が出てから、二十二年になる。私は、相変わらず、毎日、言葉と悪戦苦闘している。
原則1や2を念頭に、「子供の心を動かす言葉」を作り出したとする。ところが、その言葉を同じ私が言ったとしても、その状況(内的・外的)によって言葉の持つ力が変わったりする。
ましてや、言葉を発する人が違えば、内容は同じでも、伝わり方は、まったく違ってきてしまう。
これは、私の原則の限界だ。つまり、私の原則は、言葉の内容だけに着目して、その場の状況や、関係、環境等、または、言葉を発する人間の身体についての考察がほとんどなされていなかったのである。
ある親は、やや絶望的な表情で言ったのだった。「先生の原則は、すごく分かるのだけれども、実際には、子供の前では、私の言葉はほとんど変わりません。相変わらず、『AさせたいならA』になってしまいます。」
この方の気持ちは、すごく分かる。私自身も、そうなのだから。
原則をもとに、知的に考えた言葉も、身体の中から生まれた小さな感情により、簡単に吹き飛んでしまうのである。
その子との関係の中で生成されてきた親や教師の身体がある。その子の前では、その子への身体向き、心向きになってしまうのだ。結局は、身体や感情の問題だから、知的な努力は無駄ということになりかねない。
この問題を何とか打破したい。その言葉を発したときの、周りの状況や、自分の身体や感情までも、考えてみたい。言葉がどんなときに、本当に生きていたかを探りたいと思ったのである。
前著では、『基礎編』として、「AさせたいならBと言え」の事例を紹介し、『AさせたいならBと言え』の作り方の原則と事例を、『探索編』としてまとめた。
言葉を発した瞬間(とき)の状況と発し手の内面まで、記述しようと試みた本著は、『AさせたいならBと言え』の『活用編』と言えるかもしれない。
遅々たる歩みであるが、前著から、半歩くらいは、登ったかな…と思っている。
しかし、読者の方からは、「ほとんど前進していないぞ…。」と言われるのではと心配している。
/岩下 修
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- 明治図書
- 言葉の力の大きさを学ぶことができました。2016/11/330代・小学校教員
- 若い先生方にぜひ読んでほしい本です。内容に納得できます。2016/8/850代・小学校教員