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巻頭論文
算数授業へのこだわり
プロは最初からプロの仕事をする―授業分析MLの発展を願って―
向山洋一
向山型算数ML上で,「授業分析」が次々と行われている。
自分の授業を再現し,分節ごとに検討していくのだ。
一つの発問,発問と発問との間の秒単位の時間までが検討される。
多くの人が,意見を言い分析を行っている。
日本の教育実践研究史上,授業研究史上,初めてのことだ。
かつて,帝塚山の重松先生は多くの指導案授業記録を集めたが,ここまではやってない。
一番大きな違いは,「向山型算数」の授業分析は「事実そのもの」を再現しようと努力し,「言葉」「発言」を省略していないことだ。
これまで,単行本になった授業記録の99%は,事実を大幅に刈りとっている。中には,ほとんど修正してしまった著名実践者もいる。
民教連の実践家に多い。このことについては,多くの編集者が証言してくれるだろう。
TOSSは,そのようなことはしない。修正は絶対に許されない。
「事実」を出発点にした研究だけが意味を持つと考えているからだ。
ML上で向山型算数授業の分析は,大変にすばらしいことだ。
「分析」をするためには,参加する教師は次のことをしなくてはならないからだ。
第一は,自分の授業をテープにとって,聞いてみることをしなくてはならない。
簡単なことだが,自分の授業テープを5時間分以上聞いたことのある教師は,1%以下だろう。多分,1000人に1人ぐらいだ。
第二に,授業テープを再現しなくてはならない。45分の授業を再現するには,5倍の時間がかかる。
自分の授業の再現を5時間分やったことのある人は,更に少なくなる。
向山は当然やっていた。
いつからやっていたかというと,新卒の時からだ。
京浜教育サークルの最初の学習方法は,各自の授業記録を持ちより,検討を加えることであった。
向山洋一実物資料集には入っている。
これまで,多くの実践家が現れたが,新卒の時から,授業をテープにとり,それを再現し,サークルで研究をしていたのは,向山1人ではないかと思う。
第三に,授業記録の一つ一つの「発言」に対して,価値判断をしていかなくてはならない。それは「いい」のか「悪い」のかを言わなくてはならないのだ。
授業記録をもとに分析するためには,少なくても上記の三つのことは,しなくてはならない。
更に願わくば,「第一級の授業テープ」を,いやというほど聞いておくことが必要だ。
絵画の偽物を見分ける力をつけるには,「本物」を,いやというほど見ることが必要だ。
音楽も同じである。
授業も,そうである。
「第一級の授業」を,見たり聞いたりしなければ,本物は分からない。
有田,野口,酒井,おこがましいが向山などの授業を見たことがない人は,授業を語る資格はない。
もっと大切なのは,「授業テープ,CD」を何度も何十回も,何百回も聞くことだ。
こうして,初めて「違い」が分かるようになる。「分からない」までも「気になる」ようになる。
例えば,「ノートにうつしなさい」という言葉。「できた人はかしこい」という言葉。
こんなに短いフレーズの言葉でも,自己流にやると,全く違ってしまう。
同じセリフを,何人ものタレントに言わせてみれば,みんな違ってしまうのと同じだ。
同じセリフを,悲劇にもできれば,喜劇にもできる。
だから,「追試」をするときは,原実践者の息づかいまで,まねすることが大切だ。
「猿まね」などと軽蔑する馬鹿教師がいる。
向山の授業セリフを「猿まね」できればたいしたものだ教師修業,5年や10年の駆け出し教師にはできないだろう。
さて,以上の四つをやって「授業分析」の力は,どのくらいになるかというと「幼稚園程度」だ。
やっと,入口に辿りついた感じだ。
それでも,今までの日本の教育界には,なかったことなのである。立派なことだ。
なぜ「幼稚園」レベルなのか。
それは「分析」の内容が,印象を語るだけ,思いつきを語るだけだからだ。
意味が語られていない。
理論が語られていない。
昨日,札幌の法則化中学セミナーから帰ってきた。参加140名,元気な会だった。
模擬授業者が5名,中学の教師にしては,上手な方だ。
少し鍛えれば,夏のセミナーの舞台に立てるだろう。
私は,授業に介入した。
5人ともである。
授業開始後,15秒から50秒ぐらいでの介入である。
ある女教師は,アフリカの子どもの写真を見せて「分かったことを書きなさい」と発問した。
ワンフレーズでは私は介入である。
「なぜ最初の言葉が,分かったことを書きなさいなのか,意味を述べなさい」と私は,けっこう,きつく言った。
会場は,シーンとしている。
教師の発言の一つ一つには,重い意味がある。背景もある。それが説明できなくては,プロではない。
「考えたこと,思ったこと,分かったことの中から一つを選びました」と答えた。
少しは,勉強している。
しかし,全く中途半端だ。話にならない。
向山は,「分かったこと,考えたこと,思ったこと」と使っているのである。
当然,この三つは,異なる。
「分かったことは何ですか」と聞くと,クラスの勉強のできる子しか,手があがらない。
自分の考えたことが,「分かったこと」だという自信を持てないのだ。
そこで,「分かったことでなくてもいいよ。
考えたことでもいいんだよ」ということで,「考えたこと」という言葉が入る。
しかし「分かったことはないし,考えたことという高級なものでもない」と思う子がいる。「先生は,この写真どこで手に入れたのだろう。」「写真の男の子と,話してみたいなあ」と思う子もいる。
授業の筋とは,離れている。
でも,こういう子の思いもとり込み,つなぎあわせることで,授業は生き生きとしてくる。そこで「思ったこと」のフレーズが入るのだ。これは,ヤンチャ坊主向けのメッセージである。
以上三つのことから,なぜ「分かったこと」だけをとり出したのか,教師は説明しなくてはならない。
それが,できなかった。考えてもいなかった。授業の教師の言葉が,それほど,厳密であると思っていなかったのだ。
私は「あいさつぬきで,いきなり授業に入れ」と言う。
なぜなのか,意味が語れなくてはならない。「きをつけ,礼,これから〜」という形式的行事は,子どもたちをダラダラした雰囲気におとし込む。
半分の子は,よそ見しながら入っている。
こんな「発端」からは,「形式的な教師の言葉」しか出てこない。
「今日はどこをやるんだったっけ」というような,ダラーとした始まりとなる。
授業の最初から,子どもを「つかむ」ことが大切だ。
そのために「フラッシュカード」やら「百玉ソロバン」やら「一問解答競争」が組まれる。いきなり,集中場面だ。
「いきなり集中場面」を,毎時間毎時間工夫した教師と,ダラダラ形式行事をした教師と腕がどのように違ってくるかお分かりだろう。
一年たてば,天と地の違いとなる。
「いきなり集中」の授業をうけていた子どもたちと「ダラダラ行事」の授業をうけていた子どもたちと,どう違うか,考えるだけでもおそろしい。
最初から「つかむ」ために,プロは考える。
旅役者は,出だしを「大変だあー」と走ってくることから始める。いきなり客の心をつかむのである。
寅さんは,旅役者にくわしい。
それを変形させたのが,寅さんシリーズの前話し(夢物語)のイントロである。
プロは,最初の発話からプロの仕事をするのだ。
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