- 特集 「我流」からの脱皮!チェックポイントはここだ
- ゆったりと包み込む雰囲気があるか
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- 子どもの力を信じないから余計な行為ばかりが増える
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- 向山型算数ノート作りをしているか?
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- 向山型算数を貫く大原則
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- 『チェックリスト』の活用と確認・詰め
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- 毎日が,我流からの脱皮
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- 我流に陥っていた確認とスキルの使い方
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- ミニ特集 向山型算数はTT授業をシステム化する
- 自由介入と評価基準統一がポイント
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- 片々の技術の趣意説明をする
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- 向山型算数を実践して
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- 二つのポイントでシステム化する
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- 確認と励ましのシステム
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- 発問指示を検討できる
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- 子どもの声・親の声
- にがてな算数が大すきになりました!
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- 向山型算数キーワード
- 我流
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- 向山型算数実物ノートと指導のポイント (第13回)
- ノート指導は、教科書チェックと連動させよ!
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- 巻頭論文 算数授業へのこだわり
- 許しがたい一部指導主事と管理職の暴言
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- 学年別10月教材こう授業する
- 小1教材こう授業する
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- 向山型算数に挑戦/論文審査 (第11回)
- 向山は「この二つは,めったに使わない」のだ
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- 向山型算数実力急増講座 (第13回)
- 「我流度チェック」からのスタート
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- 向山型算数の原理原則と応用 (第13回)
- 『意図的間違い』の原理『もう一歩』の原理で、ひきざんの定着を図る
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- 向山型算数と出会ってTT授業が変わる (第7回)
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- 子どもがシーンとする奥深い算数エピソード (第13回)
- 数は宇宙を支配する完全なものか?
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- 中学校からの発信!「向山型数学」実践講座 (第7回)
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- もう一つの向山型算数 難問良問1問選択システム (第13回)
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- 親子で挑戦!ダブル・キムラ先生の算数 ザ・宿題 (第13回)
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- “向山型算数”授業のバーチャル体験 (第3回)
- 向山洋一は“筆算と検算”をこう授業した!B
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- 腹の底からの実感!向山型算数を知る前と後
- 子ども達、保護者、教師が変わっていく向山型算数
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巻頭論文
算数授業へのこだわり
許しがたい一部指導主事と管理職の暴言
向山洋一
手紙を,メールを読むたびに「許しがたい」と思う気持ちがつのってくる。
問題(課題)解決学習をすすめる一部の「指導主事」「校長」「算数主任」に対してである。
例えば,ある指導主事は,向山型算数をやっている教師に,次のように圧力をかけたという。
指導主事の指導「これからの算数教育では計算指導は必要ない。」「考える力をつけるのであるから,教科書での指導を止めよ。」
これは,犯罪的な行為ではないのか?
なぜ「文部省検定の算数教科書」を使って授業するのがいけないのか。
しかも,多くの子が「算数が好きになった」「算数が分かるようになった」と言い,親からの感謝の言葉も届き,市販テストの平均点も急上昇しているのにである。
これの,どこがいけないのか?問題解決学習は,犯罪的な学習方法である。およそ考えられる中で,最低の授業である。
落ちこぼれは続出する。
算数嫌いが,激増する。
テストの点も悪い。
授業時間がやたらと伸びる。
授業がつまらない。分からない。
問題解決学習をやっている教師なら,みんな心の底で感じている疑問だ。
一人一人の教師の心の中に芽生える疑問を問題解決学習ではとりあげない。
検討をしない。
子どもの事実で,検証することもない。
そして,やっているのは指導主事,校長,算数主任による疑問と言論の圧殺だ。
これは,権力をバックにしたファッショである。
教育には,指導方法は,いろいろあってよ
い。いろいろな方法をとりあげるのが研究だ。
どちらがいいか,事実で確認していけばいい。子どもの意見,親の意見も聞くべきだ。
研究とは「公開」「平等」「自由」が原則である。
それを,若い教師をよびつけてしめ上げる。何たる指導主事?!何たる校長?!何たる算数主任?!
そんな,いいかげんなことが通るのは,学校が閉鎖されているからだ。
このような,あまりにもひどい報告を受けると,私の血がさわぐ。
このまま許しておくものかと思う。
そこで,算数指導に関するエピソードを,あらゆる所で話すことになる。
大臣になった人が何人もいる国会議員の勉強会。そこに私は招かれたのだが,当然,問題解決学習のひどさを訴えた。
「先生。そんなこと本当にあるのですか?」と信じられない様子である。
「小学生相手に一問しかやらない,教科書は使わないし,ノートを使わない。計算練習は宿題にされる」と説明すると,「そんな馬鹿なことが本当にされているのですか」と言う。
「これが,『算数の学力低下問題』のポイントの一つです」と私は説明する。
東大工学部を優秀な成績で卒業した人々の小宴。
政府高官もいれば企業のトップもいる。私は「問題解決学習」の事実を描写する。
方々は,びっくりぎょうてんの様子。
「まさか,そんなにひどいことはないでしょう」と,数学が専門の方々がいう。
信じられない様子だ。
「いや,本当のことです」
「教科書を使うな」「計算はできなくてもいい」と校長,指導主事に言われるのです――と言うと,「これは大変,何とかせねば…」となってくれる。
問題解決学習を,好き勝手にやっている人々の論理を「うけ入れる人」は誰一人いない。
そんなのが通じるのは歪んだ教師だけの世界だ。
どこで話しても,どの人々に聞いても「問題解決学習」を応援する人は一人もいなかった。
それぞれに,社会的立場のある方々である。
私は「いろいろな指導法があっていい」ということなら賛成する。
いろいろな方法の中に,問題解決学習があってもいい。
しかし「向山型は駄目だ。教科書を使うな」ということなら話は別である。
どこまでも,トコトン論争していく。
指導主事,校長,附属小教官なら責任は重い。
必ず,名指しで,ご批判したいと思う。
これからは,心して,ご発言いただきたい。
日本は,言論自由の国である。
学問,研究の自由も保証されている。
法律もある。
教育法を普通に理解すれば,「教科書」が,第一級の教材である。
だから,文部省も検定をする。
その文部省検定の教科書を「使うな」と指導主事や校長が発言するのであるから,首を覚悟のことと思う。
それほどの決意で言っているのであろうから,私は正面からお相手したい。
「論争」「批判」も覚悟のことと思う。
必ず参上するので,ぜひとも,自らの意見を学校通信,研究通信,研究冊子などに書かれることをお願いする。
どれだけ,力で押さえつけても「教師の良心」までは押さえつけられない。
一年,二年は黙っていても,何年も黙らせることはできない。
亭主が問題解決にのめり込んでいて女房が,向山型を内緒でやっている人は山ほどいる。
反対もいる。
まして,校長の押しつけなど通用はしない。
教師は,突然,目覚めるのである。
子どもの事実が,教師の心をゆさぶるのである。
□45 才(女性)
10年前,研究協力校として「問題解決学習」のすばらしさをたたきこまれて以来,ずっと取り組んできました。しかし,学力の低い子が目の前でお手あげしているのに,このままでよいのか,ずっと悩みつつの時,昨年夏,本屋で「向山型算数」の雑誌を手に取り,それはもう目からウロコの驚きでした。それからは,インターネットで明治図書にアクセスして向山型算数,ツーウェイ,バックナンバーを取りよせて読みました。それからが,法則化との出会い。しかし,です。私は今40代半ば,あと15 年しかありません。その中で1つでも技術として身につけたいと思っています。
若い人の集まりの中で大変はずかしい気もしますが,少しでもプロに近づきたいと思います。
「後,15年の教師生活」となって,「プロになりたい」と願う教師も出てくる。
□女教師メールN
問題解決学習での算数の県指定の公開研究会までしたことがあるNです。それなりの成果を授業の中で出さねばならず,とても嫌で悩みました。
確かに,問題解決型学習での問題点はたくさんありました。しかし,やってみてどこが無駄でどこが悪いのか分かりました。向山型算数では,下位が伸び,問題解決型では伸びません。
問題を解くための計算順序が分かるか否か?というこに尽きます。それの説明なので,向山型算数をやっていれば,説明もできるようになります。下位の子どもも,上位の子どもの言い方に合わせて学ぶからです。
実際に問題解決学習で行き詰まった担任の複数から研究についての不満が出ました。その時を大事にして学年で,やり方を換えて実験しました。1ヶ月1単元だけ実験的に学年で打ち合わせをしてやりました。当然のごとくとき方を考えさせる授業のクラスでは,算数の時間にお腹が痛くなる子どもが出たり,教室逃亡をはかる子どもも出ました。
途中で研究主任が変わり,目指す児童像が公開の4ヶ月前に変わりました。
授業の半分は問題解決型,残りの半分は向山型風算数のような授業をし,公開研究会以降は一度も問題解決型の授業をすることはありませんでした。
向山型算数を知った後は「子どもの事実」に感動する。にせものの「問題解決学習」には,ひかれないのである。
教育の仕事は,「子どもの事実」こそが,評価の基準だ。
「事実がどう変化したか」ということが,教育の方法を判定する。
但し,中にはごまかす人がいる。
過度の練習をさせる人がいる。
それは,本人が知っている。
ごまかしであることを知っている。
だから「自分自身ズシーンと手ごたえのある実感」も,評価の基準となる。
自分のことを,自分は,ごまかせないのだ。「子どもの事実」と「腹の底までの手ごたえ」の二つこそが,教育実践の評価の基準である。
この二つがあるからこそ,向山型算数は,急速に伸びているのである。
秋には,「向山型国語」誌が発刊される。
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- 明治図書