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今月のメッセージ
社会を編み直す「子ども集団づくり」へ
全生研常任委員 竹内 常一
一九九〇年代の半ばをさかいに、高度成長期につくられた「学校から仕事へ」の日本的な雇用慣行が崩れた。新卒一括採用制度・終身雇用・年功秩序からなる雇用システムの解体は、これまでの受験体制の学校の社会的基盤をつきくずすものとなった。
ところが、依然としてこれまでの学校システムにこだわり、子どもを受験体制と管理体制にしばりつける傾向が強い。だが、それはエリートやキャリア組に収斂する競争であるために、一部の子どもを吸引することはできても、実際は多くの子どもをつぎつぎと排除するものとなっている。
そのために、子どもたちはエリートか・ノンエリートか、正規雇用か・非正規雇用か、と繰り返し選別される羽目に追い込まれている。それも「自己責任」の名のもとにおいてである。
そのために、二〇〇〇年代においては、二〇代前半の雇用者のうち男性では五人のうち二人が、女性では二人のうち一人が非正規雇用であるという深刻な事態があらわれており、社会や教育はこれらの若者や子どもたちにたいしてなにをしてきたかが鋭く問われている。
これらの若者や子どもたちも「社会」をつくっているはずなのに、彼ら・彼女らのまわりには「社会」は存在しない。それは、若者・子どもたちにとって、「生命」「自由」「幸福追求の権利」(憲法第一三条「個人の尊重」)を保障する「社会」がなく、「生存権」「教育請求権」「労働権・団体交渉権」などの社会権を保障する「社会」もないことを意味している。
私たちはこれまで生活指導と集団づくりをつうじて、子どもたちに覆いかぶさってくる「社会」を、一人ひとりの人権を連帯して保障する「社会」につくり直すこと、それも子どもたちの手で「破れ砕けている」社会を「編み直す」ことを目指してきた。
だが、社会的、教育的に排除されている子どもが激増している今日的状況を考えるとき、私たちの実践と運動をいまいちど引き直すことが求められている。それは具体的には幼児期の早期から長い期間にわたって社会的、教育的に排除されてきた子どもたちに必要な対人関係・社会関係を原点から改めてつくりなおす実践としてはじまっている。
このような試みは、これまで学級づくりは所与の学級を子どもたちのものにしていくもの、またはその発展形態としてとらえられてきたが、社会的に排除されている子どもたちの今日的な広がりを考えるとき、これを「学級づくり」とは別原理にたつ、自主参加・個人選択による「子ども集団づくり」として把握し、実践の当初から意識的に展開してみる必要があるのではないだろうか。
いや、もともと「子ども集団づくり」という提唱は、学級や学校に縁取られた集団づくりではなく、学校システムを越境する集団づくりとして、子どもの個人参加・自主参加にもとづく「社会づくり」として構想されてきた。(そのことについては「竹内・鈴木対談 子ども集団づくりについて考えよう」本誌二〇〇四年四月臨時増刊号を参照されたい。)
そのなかで意図されたことは、たんなる地域子ども会的なものではなく、社会的に排除される子どもたちの「避難所」「居場所」「ベースキャンプ」となる子どもの「社会づくり」を意味していた。それは、所与の企業社会と学校システムから越境し、ノンエリートの「反競争」・「反貧困」の「社会形成」を意図するものであり、改めて、それから「学級づくり」そのものを問いなおすことを課題とするものであった。
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- 明治図書