生活指導 2009年10月号
私たちに平和と安全を―子どもたちの意見表明

L671

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生活指導 2009年10月号私たちに平和と安全を―子どもたちの意見表明

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ジャンル:
生活・生徒・進路指導
刊行:
2009年9月8日
対象:
小・中
仕様:
A5判 123頁
状態:
絶版
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目次

もくじの詳細表示

特集 私たちに平和と安全を―子どもたちの意見表明
特集のことば
私たちに平和と安全を―子どもたちの意見表明
高橋 英児
論文
平和・多文化への知的追求と行動を育む
浅野 誠
実践
平和のとりでを築く―和解へ誘う「読み」の授業―
鈴木 和夫
最後の学びは―閉校を前にして―
倉持 利江子
平和学習の中の意見表明
草野 和人
実践を読んで
「希望は戦争」と発言する若者のいる中で
柏木 修
第2特集 ケータイ・ネットによるつながり方―子どもの場合・大人の場合―
子どもたちとケータイ・ネット―現場教師から
<小>ネットで生きる子どもたち
本堂 進
<中>ネットで広がる学校を離反した子どもたちの世界
高木 安夫
教育運動とケータイ・ネットの可能性
つながりの第一歩の声を出すこと
塩崎 義明
ケータイ・ネットのつながりの世界を創り拡げる
彼らの「願い」を知ることを出発点にして
高橋 英児
若者の労働とケータイ・ネット
ばらばらの若者とつながる・生きる・連帯する
山田 真吾
今月のメッセージ
社会を編み直す「子ども集団づくり」へ
竹内 常一
私の授業づくり (第7回)
小学校〈家庭科〉/食事ってなんだ?
今関 和子
中学校〈英語科〉/「学び」のある授業をめざして
沖浜 真治
実践の広場
子ども文化の世界
「リアルなつながり」
西川 裕美
貧困・格差と子どもたち
放課後遊びの時間をうばわれた子ども
秦 和紀
学級のイベント
学校行事を学級のイベントに
鈴木 直
学年・学校行事
子どもが輝く「ふれあいまつり」を!
高尾 和伸
部活動・クラブの指導の工夫
秀平とサッカー部
有川 博延
職員室の対話
職員室雑感…多忙な現状と先生方の対応
山ア 馨
手をつなぐ―親と教師
それはバドミントンから始まった
原田 光三
私が教師を続けるわけ
「こんな状況」ではなかった「ちょっと以前」を知っている五十代
高橋 保
若い教師のメッセージ
子どもと共に歩きたい
西原 誠治
案内板 集会・学習会のお知らせ
教育情報
リストカットと「自己コントロール」
相馬 明子
北から南から
サークルだより・山梨
土屋 雅城
〜三〇年、サークルと共に歩む〜
読書案内
『不可能性の時代』
子安 潤
読者の声
8月号を読んで
シリーズ/各地の実践
栃木
平野 ナナ
〜不安と不信をこえ、認めあい、繋がりあうために〜
全生研の窓
編集室だより
編集後記
井本 傳枝

今月のメッセージ

社会を編み直す「子ども集団づくり」へ

全生研常任委員 竹内 常一


一九九〇年代の半ばをさかいに、高度成長期につくられた「学校から仕事へ」の日本的な雇用慣行が崩れた。新卒一括採用制度・終身雇用・年功秩序からなる雇用システムの解体は、これまでの受験体制の学校の社会的基盤をつきくずすものとなった。

ところが、依然としてこれまでの学校システムにこだわり、子どもを受験体制と管理体制にしばりつける傾向が強い。だが、それはエリートやキャリア組に収斂する競争であるために、一部の子どもを吸引することはできても、実際は多くの子どもをつぎつぎと排除するものとなっている。

そのために、子どもたちはエリートか・ノンエリートか、正規雇用か・非正規雇用か、と繰り返し選別される羽目に追い込まれている。それも「自己責任」の名のもとにおいてである。

そのために、二〇〇〇年代においては、二〇代前半の雇用者のうち男性では五人のうち二人が、女性では二人のうち一人が非正規雇用であるという深刻な事態があらわれており、社会や教育はこれらの若者や子どもたちにたいしてなにをしてきたかが鋭く問われている。

これらの若者や子どもたちも「社会」をつくっているはずなのに、彼ら・彼女らのまわりには「社会」は存在しない。それは、若者・子どもたちにとって、「生命」「自由」「幸福追求の権利」(憲法第一三条「個人の尊重」)を保障する「社会」がなく、「生存権」「教育請求権」「労働権・団体交渉権」などの社会権を保障する「社会」もないことを意味している。

私たちはこれまで生活指導と集団づくりをつうじて、子どもたちに覆いかぶさってくる「社会」を、一人ひとりの人権を連帯して保障する「社会」につくり直すこと、それも子どもたちの手で「破れ砕けている」社会を「編み直す」ことを目指してきた。

だが、社会的、教育的に排除されている子どもが激増している今日的状況を考えるとき、私たちの実践と運動をいまいちど引き直すことが求められている。それは具体的には幼児期の早期から長い期間にわたって社会的、教育的に排除されてきた子どもたちに必要な対人関係・社会関係を原点から改めてつくりなおす実践としてはじまっている。

このような試みは、これまで学級づくりは所与の学級を子どもたちのものにしていくもの、またはその発展形態としてとらえられてきたが、社会的に排除されている子どもたちの今日的な広がりを考えるとき、これを「学級づくり」とは別原理にたつ、自主参加・個人選択による「子ども集団づくり」として把握し、実践の当初から意識的に展開してみる必要があるのではないだろうか。

いや、もともと「子ども集団づくり」という提唱は、学級や学校に縁取られた集団づくりではなく、学校システムを越境する集団づくりとして、子どもの個人参加・自主参加にもとづく「社会づくり」として構想されてきた。(そのことについては「竹内・鈴木対談 子ども集団づくりについて考えよう」本誌二〇〇四年四月臨時増刊号を参照されたい。)

そのなかで意図されたことは、たんなる地域子ども会的なものではなく、社会的に排除される子どもたちの「避難所」「居場所」「ベースキャンプ」となる子どもの「社会づくり」を意味していた。それは、所与の企業社会と学校システムから越境し、ノンエリートの「反競争」・「反貧困」の「社会形成」を意図するものであり、改めて、それから「学級づくり」そのものを問いなおすことを課題とするものであった。

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