- はじめに
- 第1章 コミュニケーション指導で何を大切にするか
- (1) ことばの教室というところ
- (2) ことばの指導ってなんだろう
- (3) 大石益男先生との出会いで気づいたこと
- (4) 「関係」を育てるということ
- (5) 自閉症と言われる子どもたちとのつきあいに悩む
- (6) 片倉信夫先生との出会いで気づいたこと
- (7) 暮らしを支援する
- (8) 「自分にできそうなこと」を1つずつやっていく
- (9) 小さな研究会を立ち上げる
- (10) 保護者と一緒に地域の療育会を始める
- (11) 「関係」を育て「暮らし」を支援する
- 第2章 「関係」を育て「暮らし」を支援する指導例
- 〜「ストーリー記録」を書こう〜
- 1 子どもとモノとの関係を育てる 〜スマップでことばを育てる〜
- 2 子どもと人との関係を育てる 〜第一段階の教育〜
- 3 子どもの内面と交流する@ 〜子どもの本音とやりとりする〜
- 4 子どもの内面と交流するA 〜「通訳者」としての教師〜
- 5 子どもの内面と交流するB 〜自閉症の告知〜
- 6 子どもの内面と交流するC 〜ピストルが恐いけど運動会に出たいと言いました〜
- 7 子どもの動作を支援する@ 〜自分の意志に反して動くからだ〜
- 8 子どもの動作を支援するA 〜プールって底なし沼じゃないんだね〜
- 9 子どもの動作を支援するB 〜マグロさんストーリー:身体の動きを止める練習〜
- 10 家族が向き合えるために 〜「家庭の流儀」と「家族の一員」〜
- 11 家族が向き合い「一緒に暮らす」ために 〜ホカホカ弁当と大皿取り分けの「教育的配慮」〜
- 12 子どもと周囲との関係を育てる@ 〜「虫」の好きなさやかちゃんとコミュニケーション〜
- 13 子どもと周囲との関係を育てるA 〜子どもの本心にそった行動を引き出す〜
- 14 子どもと周囲との関係を育てるB 〜ぼく,やりたいけれどやれないんだ〜
- 15 暮らしの中の困りごと解決のために 〜登下校ストーリー〜
- 第3章 「関係」を育て「暮らし」を支援する指導とは
- 〜何をどうすればよいのか〜
- (1) 「関係」を育て「暮らしやすさ」を支援する指導の方向性
- (2) 指導のポイントを考える
- (3) 何をどこから始めればよいのか
- 第4章 特別支援教育を創っていくために何が必要か
- 〜「関係」を育て「暮らし」を支援する観点から〜
- (1) 教育的井戸端会議で語り合い
- (2) 徹底取材と個別理解
- (3) 関係が障害する時
- (4) 類型理解と共有
- (5) 専門的知識の使い方
- (6) A基準とB基準
- (7) 関わる側の思いを語り合う
- (8) 家族の思い 〜暮らしにくさの要因〜
- (9) 家族の感じる暮らしにくさへの対応
- 主な参考文献
- おわりに
はじめに
休日に,時折,自閉症の子どもたちと山登りを楽しんでいる。
真夏に汗をたらたら流しながらの山登り。冷たく凍り付きそうな冷気を感じながらの山登り。 紅葉に輝く木々を見つめながらの山登り。
笑顔一杯に登る親子。その中に,随分緊張した面持ちの親子がいた。
登り始めて数分。
子どもの表情に緊張が走る。と思うと,急にその場に座り込もうとした。それを腰から支える。座り込まさない。
「さあ,行こう。1,2,1,2。」
支え続けながらかけ声をかける。
子どもの足に緊張が入るのがわかる。右足,左足。次に動かず足を後ろから触って援助する。
次第に,触らなくても足が前に出るようになる。
子どもの表情が変わった。だんだんと穏やかな顔がよみがえる。ふと見ると,お母さんの顔に,安堵の表情が浮かんでいる。
「さあ,今度はお母さんと歩いてごらん。きっときっと歩けるからね。」
このように声をかけ,僕は少し親子から距離を置いた。
下山後,お母さんが言われた。
「何かを親子でやりたくて……。でも,なかなかうまくいかないから,せめて山登りをしようと思って,お友達の家族と一緒に来たのです。でも,大騒ぎになって,段々,固まって動かなくなってしまったのです。もう,どうしようもなくて,どうにか連れて帰りました。それからは,山のふもとに来ただけで,身体が固くなるんです。」
親子の苦しみが身にしみる。
失敗パターンが,子どもの自信を失わせていったのではないかと思われた。「良かったねー,今日は山に登れたね。良かったねー,今日,山登りに来て。」
山登り前とは別人のように穏やかな表情が,子どもの心を映しだしているようだ。
無くした自信を取り戻す。なんとなく楽しそうな雰囲気の親子が帰宅するのを見て,僕も山を後にした。
「自閉症児を特別なものとして見ることを止めたとき,彼らがよく見えてくることということを最後に言っておく」(十亀史郎)
片倉信夫先生から教えていただいた,故十亀史郎先生のことばが常に私の中に響く。
自閉症の子どもたちと,自閉症を意識しながら,特別なものとして見ないということを,僕なりに追ってきたつもりである。そして,そこから見えてきた子どもたちの姿,気持ちとの交信が,常に僕にとっての重大関心事であった。
子どもたちの内面との交信。
子どもたちとの細かいやりとり。
人づきあい。
それらを,愚直に自前の日本語に置き換え,自分自身を振り返り続けてきた。それは子どもとの「関係」を育てることに他ならなかったと考える。そして,それは,子どもと周囲の「暮らし」を穏やかな日々にするための支援になっていたように思う。
当たり前の穏やかな日々。
特別な人として見ない,当たり前のまなざし。
「関係」を育て「暮らし」を支援する実践を,自前の日本語に置き換えてきた。そのことばを噛みしめ,ことばの奥にある意味に思いを寄せていただければ,本当に嬉しく思う。
2005年1月 著 者
-
- 明治図書
- コミュニケーション指導で何を大切にしながら行ったらよいの迷うところであるが、この本を読んで、迷いがなくなりつつあった。また、指導上の例も書かれていて、とても役にたった。2008/3/31ひーめー