- 『家庭教育・道徳教育の復権』シリーズ発刊のメッセージ
- まえがき
- T 子どもが見つけたいい言葉
- 一 走って痛くなった足は
- 1 「あなたたちは女の子よ」
- 2 「先生の一番好きな字は『ま』です」
- 3 「かぜをひくことは本人の恥……」
- 4 「千円分の本……」
- 5 「子どもは親の言うとおりにはならないが……」
- 6 「お母さんの言うことは……」
- 7 「自分の精いっぱいの努力をしてみてから……」
- 8 「走って痛くなった足は、走って直すんだ」
- ◆ どうして心に残るのか
- 二 盗んだ人が喜ぶだろう
- 1 忘れられないつぶやき
- 2 つれしょんの一言で
- 3 なぜ、その一語が心をとらえたか
- ◆ 心をとらえた「つぶやき」の功
- U 忘れられない先師の言葉
- 一 問題のある学級ほど健全だ
- 1 子どもたちの裏切り
- 2 うちひしがれた日々
- 3 「問題のある学級ほど健全だ」
- 4 子どもとは「問題を持つ」ものだ
- ◆ 老校長の助言、三つの魅力
- 二 摩擦は、すき間のないところに生ずる
- 1 教育ママに手を焼いて
- 2 老師の言葉で頓悟する
- ◆ 視座の転換ということ
- V 拒絶の言葉は慎重に
- 一 年賀状はいりません
- 1 返事を書いていられないから
- 2 子どもの失望
- 3 母親の戸惑い
- 4 ある校長のコメント
- 5 たかが一語ではあるけれど
- 二 言葉の小さな事件簿
- 1 君じゃあねえ、どうも……
- 2 あなたには無理……
- 3 そんな、夢みたいなこと……
- 4 ああ、話なんかするんじゃなかった
- 5 ここのところの具合が……
- W 言葉の失敗には気づきにくい
- 一 お前たちはみんなやり直しだ
- 1 グランドを横切って
- 2 通知表のコメントにも
- 3 読書嫌いの子どもの親は……
- 4 部分否定と全体否定
- 二 あなたの耳は大きいねえ
- 1 ある母親の述懐
- 2 言葉は意図から離れて歩く
- 三 望ましくない言葉とは
- 1 一方的な言葉
- 2 差別される言葉
- 3 夢を壊す言葉
- 4 飛躍した言葉
- X 学校の言葉を見つめる
- 一 子ども同士も言葉で揺れる
- 1 「どけてくださあい」
- 2 物も言いようで角が立つ
- 3 テストなんて、一回きりじゃないのよ
- 4 言葉が生みだす喜び
- 二 教師の言葉は注目される ─ほめ方だって難しい─
- 1 よくお勉強したからいい学校へ
- 2 よいお子さんをもって幸せですね
- 3 この次はどの子も優等賞を
- 4 名スピーチ「尻尾が大事」
- 5 百二十六の瞳
- 三 通知表の所見に注意
- 1 通知表は四人の人が見る
- 2 会長になりたがっている?
- 3 事実と解釈を区別して
- 4 書き言葉の特性と限界
- 四 掲示の文にもこだわって
- 1 南極大陸の石
- 2 コメントへのこだわり
- 3 ロマンを添えて、私なら
- 4 ユニークなコメント二例
- Y 家庭の言葉も見つめてみよう
- 一 父親の言葉で立ち直る
- 1 浩巳には根性がある
- 2 叱ったことのアフターケア
- 3 愛の言葉が心に残る
- 二 母親の言葉で子どもが変わる
- (一) とっても評判のいい先生よ
- 1 「よかったわね」
- 2 「困っちゃうわね」
- 3 軽い発言でも影響は大きい
- (二) 先生に笑われるよ
- 1 傷つけどおしの言葉
- 2 多弁の迷惑、冗舌の罪
- 3 けなし言葉のとが科
- 4 聞き流す耳、聞き捨てる癖
- 三 親の言葉はそれほど重い
- 1 親の言葉は子どもの手本
- 2 帰宅した子を迎える言葉
- 3 温かい嘘も時には必要
- Z 珠玉の言葉に酔えるセンスを
- 一 あ、川に星が流れている!
- 1 子どもの言葉には詩がある
- 2 あ、川に星が流れている!
- 3 詩を発見できるセンス
- 二 雪だ、雪だ。雪が降ってきた!
- 1 落葉の雪降り
- 2 早く家に入りなさい!
- 3 大人のセンスが大事
- 三 そんなに急ぐと、お人形さんが泣くよ
- 1 西尾先生の随筆
- 2 あなたならどう答えますか
- 四 人がらの投影としての言葉
- [ 望ましい言葉について考える
- 一 答えてしまわない親切 ─自立する子に育てるために─
- 1 尋ねまくる子どもたち
- 2 いちいち答えるのがよいことか
- 3 清々しい疑問を育む
- 4 子どもに考えさせる余地を
- 二 よい言葉、二つの原則
- 1 言葉における「信実」ということ
- 2 言葉における「愛」ということ
- 三 よい言葉、六つの視点
- 1 自分の言葉を自分の耳で聞きながら
- 2 言葉を惜しむ
- 3 虚飾を去る
- 4 タイムリーということ
- 5 指示や命令でなく
- 6 ユーモアなど
- あとがき
『家庭教育・道徳教育の復権』シリーズ発刊のメッセージ
「人は、どこまで行こうともおの己が戸口かしゅったつら出立せねばならぬ」というのは、イギリスの諺だそうです。私は、この諺がとても好きです。思い出す度になるほどなあ、と実感します。「己が戸口」というのは「自分の家の戸口」ということです。どの人も、誰も彼も、みんな「自分の家の戸口」から出かけるのですね。どんなに遠いところへ出かけるにしても─です。これは、何も旅立ちだけのことではありません。あるいはこのしゅったつ「出立」という言葉は、いわゆる旅行だけを意味するものではない、と言った方がよいかもしれません。人の成長、前進、あるいはまた人生そのものを意味するとも言えるでしょう。つまり、どんな人の人生も、みんなそれぞれの「家庭」が出発点になるのだという道理をこの諺は教え、考えさせてくれるものだと思うのです。
そんなことはわかっているよ、と思う方もあるでしょう。そうですね、何も今になって急に始まったような理屈ではありませんから。しかし、私は、この頃の世間を見ていると、頭ではわかっているのかもしれませんが、本当にそれを納得しているのだろうかと疑いたくなることがちょくちょくあるのです。自分の子どもをきちんと教育していくことが親としての重要な大仕事、大義務なのだという自覚を持ち、それを実践しているという家庭が、一体どのくらいあるでしょうか。残念ながら、私はそれはごく少数の家庭に限られるのではないか、と思うのです。多くの家庭が、子どもを「好きなように」させていて、それが子どもの「自主性」や「主体性」を尊重した新しい民主的な子育ての仕方なのだと考えているのではないでしょうか。きちんと、はっきりそのように自覚したり、明言したりはしないにしても、潜在的な子育て観としては、そんなところに大方が落ちつくのではないでしょうか。
ここのところの数年間、かつての日本人の誰もが夢想だにしなかった子どもの事件が多発しています。「子どもが変わってきた」と言う人がいます。そうかもしれません。「学級崩壊」などという現象は、十年以上の昔には存在しませんでしたし、そういう言葉もありませんでした。援助交際も同様です。「不登校」という言葉も、比較的新しい言葉です。最近では、「注意欠陥多動性障害」などという子どもの「病名」も聞かれるようになりました。「子どもが変わってきた」のでしょうか。あるいはそうかもしれませんが、そうとばかりは言えないと私は思うのです。それらの多くは、家庭や学校の「教育の仕方が変わった」ために、結果として子どもが変わってきたのではないかと思うのです。
皆さんは、次のような発言をどう思いますか。一つ一つに賛成か反対か、○×を選んでみて下さい。
@ 火事が多発している。だから、消防車をもっと増やさなくてはいけない。 → ○ ×
A 悩みを抱えている子が多い。だから、学校カウンセラーを増やさなくてはいけない。 → ○ ×
B 争いごとが増えている。だから、弁護士をもっと多くしなければならない。 → ○ ×
C 勉強についていけない子が多い。だから、もっと教科内容を易しくすべきだ。 → ○ ×
D 不登校の子どもが多い。だから、フリースクールを増やして対応するのがいい。 → ○ ×
どの発言も、「現象→対応」という論理構造を持っています。どの発言も、至極尤もなことに思われます。事実この中のいくつかは、国や地方公共団体によって取り組みがなされてもいます。理屈に合うからでしょう。
しかし、私はいずれに対しても賛同しかねます。その対応や解決の仕方は一面的ではないかと思うからです。ここに挙げられている「対応」は、いずれも「現象」をそのまま肯定的に受けとめることが大前提になっています。「現象」自体が孕む問題点や、「現象」そのものを疑い、分析するという発想に欠けているように思えてなりません。例えば、「火事の多発」という「現象」は、そのまま肯定的に受容するのでなく、「火事を出さない」ようにする「防火教育」の徹底、普及こそが肝要なのではないでしょうか。それができないのだ、と諦めてしまえばどうしても「消防車の増設」をしなくてはいけません。しかし、「消防教育」や「火事を出さない」ようにすることは本当に「できない」のでしょうか。根絶、皆無を期するのは無理かもしれませんが、かなりの減少に導くことは決して不可能ではないと思うのです。少なくともその方向で努力することが根本的な態度だと思います。
同様に、「悩みを抱えている子」を、そのまま肯定的に受けとめることにも疑問を感じます。なるほどそのようになってしまった子どもにはカウンセラーが必要でしょう。しかし、もっと根本的なことは、「悩みを抱えない子」に育てていくことです。そんなことはできない、と考えてしまわずに、少々のことではへこたれない、明るく、強く、逞しい子どもに育てていく教育のあり方を探り、考え、具現することが根本的に大切です。私は、今の時代の子どもは、大人や社会や、あるいは親や教師が、その根本的な考え方を疎かにしたための被害者であるように思えてならないのです。不適切な育て方をされたために、雑多で些末な悩み癖がついてしまったとしたら、子どもは不幸です。当たり前に、適切に育てられればカウンセラーのお世話にならなくても済むでしょう。
「争いごとが増える」というのも、「勉強についていけない子が増える」というのも、「不登校の子どもが増える」というのも、その現象自体の解消策が講じられるべきでしょう。それこそが根本的に大切な努力でしょう。
総じて、現代はその場しのぎの「ハウツウもの」が流行し、根本的で本質的で、哲学的な教育が軽んじられ、忘れられ、その故に人々は多く些末な悩みにとらわれている、とは言えないでしょうか。むろんのこと、火事になったら消防車が必要です。病気になったら医師による治療が必要です。しかし、そもそも「教育」というものの本質は「対処」にあるのではなく、「予防」にこそある筈です。学校教育にせよ、家庭教育にせよ、子ども達の生涯が幸せであり、かつ人間として充実感の持てるものであるようにしていくことが、その本来の働きです。この平凡にして当然のことが忘れられて、目先のその場しのぎのハウツウ的な発想が世に歓迎されているのです。
この『家庭教育・道徳教育の復権』シリーズはこのような考え方に立って、子どもの長い人生を間違いなく幸福に導き、その上になお人間としての本来的な生き方をも身につけられるようにするための、根本的、本質的な家庭教育のあり方を提言するものです。しかし、だからと言って難解で、複雑で、ややこしい子育て論だったら結局のところそれらは何の役にも立ちません。このシリーズは、まずわかりやすくて、楽しくて、面白くて、そして役に立つということをモットーに書いてあります。
元来、親が子どもを育てるという営みは、文化の未開な太古の昔からなされてきているのです。文字も、書物も、家庭教育などという言葉さえもない太古の時代から子育ては営々となされてきたのです。むしろ、文化の発展や進歩とともに、子育ての本来のありようがねじ曲げられてきてしまったと考える方がいいかもしれません。子育てを、ややこしく、難しく考えるのでなく、その根本に立ち返って考えてみることが、むしろ解決の糸口になるのかもしれません。どうぞ、読者の皆さんは本書を気楽に読み進めながら子どもを育てることの楽しみや面白さや大切さを味わって下さい。子育てが、楽しく、面白く、大切だと感じ始めたその時から、真当な、本物の家庭教育が始まったのだと考えて間違いはないでしょう。皆さんの子育ての日々に、勇気と希望が生まれてくることを心から願ってメッセージと致します。
二〇〇三年九月一九日 早朝五時半に記す /野口 芳宏
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- 明治図書