- まえがき
- T国語の基礎学力とは何か
- 一 学力の「基礎」と「基本」
- 1 「基礎・基本」とは何か
- 2 安彦忠彦氏による「基礎」と「基本」の区別
- 3 浜本純逸氏による「基礎」と「基本」の区別
- 4 「基礎学力」としての言語技術
- 二 国語の入試問題を分析する(その1)
- ――大学入試センター試験の問題
- 1 入試問題で求められる国語学力
- 2 大学入試センター試験の分析小説編
- 3 大学入試センター試験の分析評論文編
- 4 大学入試センター試験に求められない国語学力
- 三 国語の入試問題を分析する(その2)
- ――どんな設問が適切か
- 1 どんな国語学力を求めるのか
- 2 どんな設問が適切か
- 3 入試問題の改革が先決である
- 四 「読み書き算」は古い学力か
- ――「基礎学力論争」が残したもの
- 1 基礎学力としての「読み書き算」
- 2 「反復練習」と「詰め込み」は悪いことか
- 3 「読み書き算」の効用山口小学校の実践
- 五 広岡亮蔵氏の「基礎学力」論に学ぶ
- 1 広岡亮蔵『基礎学力』を取り上げる理由
- 2 『基礎学力』の基本的な立場
- 3 学力構造のモデル
- 4 基礎教科としての国語と算数の位置
- 六 勝田守一氏の「学力」論に学ぶ
- 1 学力とは何か
- 2 勝田守一氏の能力モデル
- 3 今日的な学習論・学力論のために
- 七 国語学力の指標としての読書量
- 1 読書の効用
- 2 「学校読書調査」のデータが示すもの
- 3 読書指導への取り組み
- 八 「学力低下」論を検証する(その1)
- ――学力は低下しているか
- 1 今日の「学力低下」論の情況
- 2 「学力低下」を示す客観的データの有無
- 3 苅谷剛彦氏らのグループの調査結果
- 4 「学力低下」のもう一つの問題
- 九 「学力低下」論を検証する(その2)
- ――「学力低下」に隠された真実
- 1 大学生の「学力低下」問題の本質
- 2 「人と関わる力」の低下
- 3 語彙力の低下
- 4 その他の問題
- 一〇 基礎学力としての言語技術とは何か
- ――「話すこと・聞くこと」
- 1 「話すこと・聞くこと」の重要性
- 2 『音声言語指導事典』における能力系統表
- 3 研究集団「ことのは」の系統指導プラン
- 一一 基礎学力としての言語技術とは何か
- ――「書くこと」
- 1 「書くこと」の重要性と作文指導の問題
- 2 「書く技術」の抽出とその指導
- 3 基礎的な指導事項の徹底要約して書く技術
- 一二 基礎学力としての言語技術とは何か
- ――「読むこと」
- 1 「読解指導」の問題
- 2 文学教材で教える言語技術
- 3 説明文・論説文教材で教える言語技術
- U 絶対評価の規準・基準としての言語技術
- 一 教育評価とは何か
- 1 教育評価の目的――よりよい活動のために
- 2 教育評価の方法――フォーマルな評価とインフォーマルな評価
- 3 絶対評価と相対評価
- 二 絶対評価の規準・基準としての言語技術
- 1 言語技術教育と絶対評価
- 2 学習指導要領は学力の評価規準となり得るか
- 3 国立教育政策研究所の「評価規準」の問題
- 4 絶対評価の規準・基準としての言語技術
- 三 絶対評価の限界とその補充
- 1 絶対評価(目標準拠評価)の限界とその補充
- 2 教育評価の科学性の問題
- 3 教育目標とカリキュラムについての考え方
- 4 教育鑑識眼による評価の方法
- 5 まとめ
- V 文学教材の新しい指導法
- 一 読解指導を超える
- ――三つの授業タイプの提案
- 1 これまでの読解指導の問題点
- 2 これからの文学教材の扱い方教材の三つのタイプ
- 3 精読型・活動展開型・言語技術訓練型の決め方
- 4 活動展開型の授業の留意点
- 二 「たべもの」(中江俊夫)の授業案
- ――精読型・活動展開型・言語技術訓練型
- 1 「たべもの」(中江俊夫)の教材化
- 2 授業のねらい
- 3 授業案(略案)
- 三 言語技術訓練型の授業
- ――「山」(藤原定)をめぐって
- 1 模擬授業の目標と計画
- 2 模擬授業の実際と検討会の概要
- 3 授業と検討会を終えて
- 4 「山」(藤原定)の教材研究(再び)
- 5 補論――教材「山」の罠
- W 説明文教材の新しい指導法
- 一 読解指導を超える
- ――実戦的な読み方の提案
- 1 国語科教師の真価が問われる時代
- 2 実戦的な「読みの技術」
- 3 結論――読解主義からの脱却
- 二 要点をすばやくつかむ技術
- 三 情報を吟味して読む技術
- 1 論理的思考としての吟味・批判
- 2 「吟味よみ」の実際
- 3 まとめ――メディア・リテラシーの教育へ
- X コミュニケーション能力を育てる学習ゲーム
- 一 言語技術教育におけるゲーム導入の可能性
- 1 学習ゲームに着目する理由(その1)――学習者論の観点から
- 2 学習ゲームに着目する理由(その2)――言語技術教育の観点から
- 3 パブリックコミュニケーションゲームで身につく言語技術
- 4 学習ゲームの効用
- 二 パブリックコミュニケーションゲームの授業
- 1 コミュニケーション能力を育てる
- 2 隠し言葉当てゲーム
- 3 授業案の実例
- 三 読書ゲームで「読みの技術」を身につける
- 1 読解指導から読書指導への転換
- 2 「アニマシオン」を使った読書ゲーム
- 3 「アニマシオン」と言語技術教育
- 四 ディベートでコミュニケーション能力を高める
- 1 国語科の「改善の基本方針」とディベート
- 2 国語科の「改善の具体的事項」とディベート
- 3 「総合的な学習の時間」とディベート
- あとがき
まえがき
日本言語技術教育学会編『言語技術教育』No.12(二〇〇三年二月、明治図書)の「編集後記」で、私は次のように述べた。
昨年の『言語技術教育』第11号では、「到達度・絶対評価の基準としての言語技術」を徳集しました。近年の「学力低下」問題ともかかわって、国語の基礎学力の中核となるべき言語技術を明らかにすること、そして、それによって具体的かつ客観的な到達目標とそれに準拠した評価の観点・方法を明らかにすることをめざしました。
そもそも「絶対評価」で問われているのは、本当に子どもたち一人ひとりに確かな学力をつけることができたかどうかということです。最近、学校教育の「説明責任」が厳しく問われるようになってきたのもそれと深く関係しています。その意味で、教師が、自らの「指導」と「評価」に緊張した関係を作り出していくことが強く求められていると言えます。興味や活動にまかせた授業では「学力低下」がますます深刻化するでしょう。
以上から、本号では、「『絶対評価』で問われる基礎学力と結果責任〜評価基準としての言語技術〜」というテーマを設定して、国語科の授業で、どのような言語技術を身につけさせるか、それによって、どのような基礎学力を保障していくかという問題に迫っていきたいと考えました。
かつて遠山啓氏(数学教育協議会)は、学校のタイプを「自動車学校型」と「劇場型」に分けたことがある。前者は、一定の技術レベルに到達するための「評価」をともなうのに対して、後者はあくまでも「楽しむ」ことが目的であり、評価は行わない。見たい人が劇場に集まってきて、つまらなかったら帰るというイメージである。
もちろん、これからの学校にはさまざまな要素が必要になってくるだろう。しかし、確かな学力を保障するという観点から、授業において「自動車学校型」の評価・進級システムが根幹とならなくてはならない。国語科で言えば、「言語技術訓練型」の授業である。
もともと言語技術は客観的に測定可能である。「○○ができたか、できないか」という行動目標の基準がはっきりしている。それだけに絶対評価にもなじみやすい。自動車学校では教習課程が決められていて、各段階の検定で一定の運転技術を習得できないと先に進めないことになっている。自動車学校で、交通標識の意味を知らず、ハンドルやブレーキの操作もできない生徒を卒業させたらどうなるだろうか? 考えただけでも恐ろしいことである。
これまでの義務教育ではどうだったかと問われると、心もとないかぎりである。すべての卒業生が「学年別漢字配当表」の漢字を読み書きできるようになったか? きちんとした文章を書けるようになったか? 人前で分かりやすく発表できるようになったか? 文種にふさわしい読み方を身につけたか? まさに学校に対して説明責任が問われているのである。そのためにも絶対評価は必要である。「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」の領域において、それぞれの言語技術を具体化・系統化しつつ評価基準(目標)を作成した上で、その到達度・習熟度を評価基準(尺度)とするような絶対評価をすすめていくべきである。
さて、こうした「言語技術訓練型」の授業においては、次のような点が重要になってくる。言い換えれば、これが絶対評価で問われる教師の指導力ということになる。
(1) どの子どもにも基礎学力の形成を保障したか
どのクラスにも学習上の困難や障害を抱えた子どもがいる。しかし、基本的にすべての子どもが授業によって何らかの進歩・向上を遂げる必要がある。もちろん一律の到達基準ではなく、それぞれのレベルに応じて「できなかったことができるようになる」という体験である。もしそれがなかったとしたら、学校の責任を果たしていないし、親の信頼も得られない。そのための授業の工夫、個別指導の取組みなどが必要になる。
(2) 基礎学力としての言語技術は明確だったか
ともすると曖昧になりがちな「基礎学力」の実体を、国語科では「言語技術」として位置づけることが必要である。言語技術とは、言語知識(言語についての概念・規則・原理・方法を含む)をふまえた読み方・書き方・話し方・聞き方の技術のことである。「読み書き能力」に限っても、それを支えるのは「読み書きの技術」である。つまり、授業では、どんな言語技術の理解・習得・習熟が図られたかということが最大のポイントになる。
(3) 言語技術を学ぶのに適した教材と魅力的な学習課題だったか
いくら言語技術を習得させようとしても、それが単なる形式的な訓練や機械的な反復だけではいけない。子どもは授業から離れていくだろう。そうならないためにも教材研究や指導方法に創意工夫が求められる。当然のことながら、学習者の問題を抜きにはできない。子どもたちが知的な興味や意欲をもって取り組めるかどうかが問われるべきである。言語技術教育では、学習ゲームやロールプレイなどの体験型学習が有効になることが多い。
(4) 言語技術の効用を実感できたか
言語技術を学んだとしても、その意味や効用が分からなかったとしたら、きちんと身につくはずがない。「○○の技術を使ったら、□□ができるようになった、△△が楽しめるようになった」という上達感・効用感がともなわなくてはならない。子どもたちがそうした実感を得られるような学習体験が望まれる。
(5) 目標準拠型評価だけでなく、即時的・形成的な評価ができたか
言語技術教育では、「〜ができる」という形で設定された「行動目標」に到達したかどうか、評価規準(基準)としての言語技術をどれだけ身につけたかということが評価の基本となる。ただし、それがすべてではない。言語についての認識、関心・意欲、態度などは、すべてを事前に教育目標として定式化・明細化することは難しい。「授業の中で何が起こっているか」「子どもにどんな変化があるか」ということを見ぬく力、そしてそれに的確に対応できる力、場合によっては授業を再構成する力が求められるのである。これも教師の指導力として重要である。言語技術教育といえども、目標準拠型の絶対評価だけでは不十分である。
本書は、サブタイトルにもあるように、「学力保障」「言語技術」「絶対評価」といったキーワードをもとにして、これからの国語科教育における学力形成、授業改革の問題などについて論じている。各章は比較的独立性が高いので、どこからお読みいただいても差し支えないようになっている。
忌憚のないご意見やご批判をいただければ幸いである。
/鶴田 清司
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- 明治図書