- 刊行にあたって /大森 修
- はじめに
- T 到達度を明確にするということはどういうことか
- 一 国研の「評価規準」の具体例
- 二 「評価規準」から「評価基準」へ
- 三 単元ごとの「評価基準」と学年を通した「評価基準」
- 四 高学年の「評価基準」の特徴
- U 到達度を評価するにはどうするか
- 一 スモールステップ化して確認する
- 二 「変化のある繰り返し」で評価する
- 三 到達度を明確にすると授業観が変わる
- V 到達度を明確にした授業――実践例
- 一 高学年【話すこと・聞くこと】の実践例(1)――相手の話を聞き出そう
- インタビューの授業
- 1 「流れのある」インタビューに
- 2 「パブリック・コミュニケーションゲーム」で相手から聞き出す
- 3 インタビューのプロは知っている
- 4 「系統樹的」プランでインタビュー
- 二 高学年【話すこと・聞くこと】の実践例(2)――「クラブ活動はいるかいらないか」
- ディベートの授業
- 1 ディベートは、多人数 → 一対一で
- 2 「係はいるかいらないか?」…学級全体によるディベート
- 3 「テレビゲームかマンガ本か?」「席は自由にすべきか?」…少人数によるディベート
- 4 「クラブ活動はいるかいらないか?」…一対一によるディベート
- 三 高学年【書くこと】の実践例(1)――「給食か弁当か?」
- 意見文の授業
- 1 討論を使って意見文を書く
- 2 討論で書く材料を持たせる
- 3 スモールステップで部分ごとに書く
- 4 推敲はワープロを使って
- 四 高学年【書くこと】の実践例(2)――「ぼくのわたしの成長日記」
- 卒業文集作りの授業
- 1 向山型作文指導から見えてくるもの
- 2 「五感を使った描写」で「クライマックス」を書く
- 3 「クライマックス」の前後、「書き出し」を書く
- 4 「作文チェック表」で推敲する
- 五 高学年【読むこと】の実践(1)――「海にねむる未来」の授業
- 1 向山型要約指導で全文要約文を書かせる
- 2 段落の役割を表した文図を書く
- 3 三〇字以内で全文要約文を書く
- 六 高学年【読むこと】の実践例(2)――「やまなし」
- 「比べ読み」「重ね読み」を取り入れて
- 1 「分析批評」で「比べ読み」「重ね読み」
- 2 「やまなし」の世界
- 3 他の作品と「比べ読み」「重ね読み」
- おわりに
はじめに
「不易と流行」。ありふれたこの言葉の意味を、最近しみじみと思い返す。
私が新採用時代の十数年前。教育の世界は、「基礎学力を付ける」のオンパレードだった。どんな研究授業の協議会でも、
「それで、今日の授業でどんな力が子どもに身に付いたのですか?」
そう言えば、たいがい通用した。
時を経て、「詰め込み教育批判」「ゆとりのある教育を」が叫ばれると、教育界は一変した。教師の誰も彼もが、子どもの「主体性」「自主性」「個性」そればかりを言うようになった。「教える」ことは「押しつけ」とされ、「指導」は「支援」へと変わっていった。
そして今、再度どの学校でも「基礎学力の徹底」が最大のテーマになっている。
まるで振り子だ。
そしてその振り子は、極端から極端へと振れるから始末に悪い。昨日まで、「子どもの主体性こそ大切にすべきだ。楽しい授業こそ求めるべきだ」と言っていた人が、その口の端も乾かぬうちに、「子どもに基礎学力を付けねばならない。基礎学力を付ける授業こそ求めるべきだ」と言う。まるで政治の世界。
何なんだ。時代の「流行」に乗って、自分がなくなってしまっているだけじゃないか。
そんな思いがしてくる。しかもこのことは今に始まったことではない。戦後すぐの「経験主義の時代」その後の「系統主義の時代」と、これまでに繰り返されてきたことなのである。
「流行」に流されるのは御免だ。どんどん自分がなくなっていってしまう。「こうもり」のようになってしまう。
今こそ「不易」なるものを追い求めよう。「本物」を追い求めよう。そんな思いを強くしている。
では、「不易」なるものとは何か?
それは、「子ども一人一人に基礎学力を保障する授業」である。これはどんなに時代が変わろうと変わりはしない。「基礎学力」は、子どもの将来を決める。発展途上国の子どもたちを見るがいい。あの中に、基礎学力を身に付ける機会が与えられさえしたならば、どんなにか伸びるであろう、どんなにか自主的に、主体的に自分の将来を決められるであろう子どもたちが存在しているか。その機会がないが故に、どれだけ自分の将来の可能性を狭めざるを得ないか。自主性や主体性は、それを支える基礎学力の上に成り立っている。
基礎学力を保障するには、「ここまではどの子どもたちも到達させるぞ」という到達目標が必要である。
登山を考えてみるとよい。学級である山を登る際、一人でも到達すべき地点に来ていない子どもがいたらどうするか。普通の教師ならば、その子どものところまで下山してその子を探しにいくであろう。そして優れた教師なら、遅れる子どもが出ないよう、あらかじめ登山コースを調べ、どこが難関かを見定め、どこに足を置くかを指示し、それでもだめなら、おぶってでも到着点までいくであろう。
到達度を明確にし、どの子もその地点まで導く指導は、それに似ている。一度頂上を制覇し、達成感を得た子どもは、次なるもっと高い山を制覇しようとする。教師と一緒に登って身に付けた技能を使って。
したがって、設定した到達度に達しなかった子どもが出た時、それはすべて教師の力量不足である。
この本は、全員に頂上に達した達成感を味わわせたいと願う私の実践の集成である。
/川上 弘宜
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