- まえがき
- T 総合学習の意義と問題
- /鶴田 清司
- 一 「主体的な学習」をめざす総合学習
- 二 「主体的な学習」の成立要件
- 三 遠藤瑛子氏の「総合単元学習」の特色
- 四 私たちの研究の方向性
- U 国語科と総合学習
- /松本 修
- はじめに
- 一 「総合的な学習の時間」と「総合学習」
- 二 「国語科」と「総合学習」
- 三 「練習単元」と上越教育大学でのプロジェクト研究
- 四 今後の課題
- V 地球を救う 番目の提言(中学校一年)
- ――インタビューしたことをまとめよう /石野 秋広
- 一 単元の構想
- 二 指導の実際
- 三 成果の考察
- *石野実践へのコメント
- W 総合的な学習の企画書づくり(中学校三年)
- ――グループワークのための「話合い」トレーニング /渋谷 正宏
- 一 単元の構想
- 二 授業の記録
- 三 まとめ
- *渋谷実践へのコメント
- X 〈プレゼンテーション〉の達人への道(中学校三年)
- /堀 裕嗣
- 一 〈教室プレゼンテーション〉を提唱する
- 二 〈教室プレゼンテーション〉を練習単元として組織する
- 三 〈教室プレゼンテーション〉の成否が「総合」の成否を決める
- *堀実践へのコメント
- Y 総合単元「夢を支える人々」の実践(中学校二年)
- ――シンポジウムを開こう /遠藤 瑛子
- 一 はじめに
- 二 総合単元「夢を支える人々」ができるまで
- 三 単元の構成
- 四 指導の実際
- 五 おわりに 単元のふり返りを踏まえて
- *遠藤実践へのコメント
- あとがき
まえがき
総合学習は、教科の枠にとらわれず、学習者の主体的な問題解決への取り組みを保障しようとするものである。それは、何よりも実際の生活に密着した自然な学習スタイルである。教科学習では、ともすると、受動的に知識を習得するということになりがちである。教師主導、教科書中心の「詰め込み教育」に対抗して、子どもの生活に根ざした興味・関心・意欲・問題意識を生かして、学習をスタートさせるということは大きな意味を持っている。
しかし、実際の総合学習はまだ実践的な課題を残している。確かに、調査・制作・発表といった体験的活動は華やかに行われている。が、それによってどんな学力が形成されたのか不明なものが少なくない。これではかつての「はいまわる経験主義」と同じである。
それは、総合学習についての誤解に基づいている。その主なものは次の二つである。
▼総合学習は「何でもあり」と思っている教師・学校
職人を招いて豆腐や蕎麦を作って食べるという学校がある。「子どもはカレーが大好き」と題してカレー作りを奨励している雑誌もある。そうした体験が全く意味がないとは言わないが、仮にそれによって何らかの知識を得たとしても、特殊的・個別的なもので終わる可能性が高い。「食べる」以外では、文化祭などで代替するという学校もある。総合学習は「体験ごっこ」でも「学校行事」でもないのである。
▼総合学習は「はじめに子どもありき」と思っている教師・学校
低次元の総合学習は、興味本位、子どもまかせ、支援中心(指導の放棄)という共通の問題点を持っている。そうなれば、大学生でも「はいまわる」。その結果、何一つ得るものがなくて「途方に暮れる」「やる気をなくす」。すでに総合学習に取り組んでいる学校では、教師自身が事前にテーマについてどれだけ調査研究しておくか、どれだけ周到に準備・計画するか、実際にどれだけ適切に指導できるのかということに学習の成否がかかっているということを知っているだろう。
そもそも「総合的な学習の時間」の「ねらい」は次の二点であった。
1.自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
2.学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。
いずれも相当高度なものである。これがどれだけ意識されて実践されているだろうか。そして、このような「ねらい」を実現するためにこそ、「読む・書く・話す・聞く」を中心とした基礎的な言語技術、さらには基本的な学習技術が必要なのである。
北俊夫氏(元文部省教科調査官)は、総合学習の現況について、次のような危惧の念を表明している。
・実践のユニークさや多様性のみを追いかけるあまり、また「はじめに子どもありき」とか「子どもの興味・関心に基づいて」と言われることから、実践に当たって「大切なこと」がすでに忘れられているのではないかと思うことがある。
・一時間一時間をもっと大切にしてほしいと思うことが少なくない。
・各教科の基礎・基本の習得が不十分な場合には、総合的な学習の活動がはい回ってしまうという指摘がある。
・教科指導の充実なくして、総合的な学習は成立しないということである。
(カリキュラム開発研究会『《総合的な学習の時間》二〇〇二年への実践課題』二〇〇〇年一〇月、日本教育新聞社、四〜六頁)
まさに、「総合的な学習の質を左右するキー・ポイント」になる「教科の基礎・基本」が問われているのである。
国語科で言えば、言語的な知識・技術をどう身に付けさせるかということである。
そのための具体的な方策として、本書では、総合学習を本格的に展開するまえに(あるいはその過程の中で)、意図的・計画的に国語科としての練習単元を組み込んで、子どもたちに自然な形で実戦的な言語技術(総合的な学習活動に役立つ言語技術)を指導するという方法を提案したい。つまり、「練習単元」という形で基礎的な言語技術を取り立てて指導する時間を特設するのである。スキーで言えば、いきなり自分勝手に滑り出すのではなく、そのまえに実技講習会を開いて、レベルに応じた技術を要素ごとに練習するようなものである(スキーの講習会ではこういうスタイルが一般的である。そこで基礎的な原理や技術を学ぶことによって、スキーというスポーツが本当に楽しめるようになる)。
これまでの総合学習の実践・研究において、こうした練習単元(言語技術単元)のあり方、さらに国語科と総合学習との関係などについて本格的に論議されたことはほとんどない。本書のタイトルを「総合学習に生きる国語科練習単元」としたゆえんである。
読者諸賢の率直なご意見・ご批判をお願いしたい。
/鶴田 清司 /松本 修
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- 明治図書