- はじめに
- T 中学年期の絵綴り方・綴り方
- 1 引き出そう,3年生の素直な思い
- @ 危機は,チャンス!
- A 「聞いてください!」「はい,何ですか?」
- B 受け止めてくれる集団だから(3年生の絵綴り方)
- 2 4年生の深い思い(近い,プレ思春期の入り口)
- @ 3年生とは何かが違う…深い何かを感じる
- A 客観的に見て,値打ちを感じて
- B 素直に素朴で,しかし心を見つめて
- C 思いを素直に・深く
- D 文学作品の読み取りも,深く素直に自分をくぐらせて
- U 中学年期の学級活動と造形表現
- 1 がむしゃらな楽しさと仲間を求める3年生 ――エネルギーの爆発期――
- @「竹ぶんぶんごま」が引き出す子どもたちのエネルギーと表現
- A 大縄遊びにも,みんなで頑張りたい
- 2 値打ちを求め始める4年生 ――エネルギーの充実&プレ思春期への兆し――
- @ 一輪のコスモスの花に託して(一つの花)
- A 竹が引き出す頑張りと,美の感覚(竹うなりごま・竹笛)――竹ぶんぶんごまのエネルギーの発展――
- 竹シリーズ・その1「竹うなりごま」
- 竹シリーズ・その2「竹笛」
- V 高学年期の綴り方
- ――素直に・鋭く見つめる高学年――
- W 高学年期の学級活動と表現
- 1 深い値打ちを求めエネルギーの深まる5年生 ――プレ思春期の入り口――
- @ 迫力ある集団遊びの中で
- A 値打ちを学んだ「米作り」
- 2 自らを見つめ・社会も見つめる6年生
- @ 主体者は,自分たち
- A“ほんもの”を求め・自分を見つめる
- B 社会を見つめ,平和を考える子どもたち
- 終わりに
- ――子どもたちと表現活動―――
- 1 中・高学年期と学級づくり
- @ ほんものに向かわせる
- A 自分に向かわせる
- B 集団で値打ちのあることに向かわせる
- C 民主的な学級づくり
- 2 主体的表現と「絵綴り方・綴り方」
- @ 表現は主体的なもの
- A 無目的は自由ではない
- B 形式的なものは表現とは無縁
- C 必然性が生命
- 3 「生きる力」育てとしての総合学習と表現力
- @ 自己表現力は生きる力
- A 身近なものをこそ
- あとがき
まえがき
「ええーっ,なんでーっ?」「そんなん,いややあ!」「何で先生だけで,そうやって決めるんやあ?」「何で,相談してくれへんかったん?」…大ブーイングが起こりました。5年前に担任した,小学校4年生のクラスでのことです。教師が決めたやり方に対して子どもたちが抗議してきたのです。それまでも,それ以降も,常に子どもたちと相談しながら進めてきたのに,どうしようもない諸般の事情でこの時だけ教師サイドの一方的な計画を発表したのです。市民文化祭に出品する美術作品作りのテーマとやり方についてのことでした。(実は,私自身も何かしら違和感を覚えていたのです。)
彼らは,わがままで感情的になってただ反抗したのではないのです。やり方に不合理さを覚えたからなのです。先ずはその計画自身に納得できなかったからなのです。そして何より,直接自分たちのことなのに,計画段階でも自分たちの全く知らないうちに決められてしまっていたことへの違和感が最大の原因だったのです。
実は,私は子どもたちをこういう風に育てたいと常に考えてきました。自分たちの納得できないことについては,誰に対してもしっかりと意見を出せる子どもたちになって欲しい!と。正当な理由がある時には,しっかりと自分の思いを出せる子どもになってもらいたい!と。子どもたちにしてみれば,“先生”に対して正面切ってきちんと抗議的な意見を出すということは,最もし難いことなのです。それをしっかりとできる子らにしたい!と。つまり,直接自分たちに関わることを自分たち抜きで決められたりした時に,疑問を感じない子どもにはしたくないという意味なのです。
とりわけ,表現というのは最も主体的な活動であるはずなのに,それを勝手に先生が決めてしまって,子どもたちは一方的に押し付けられたことに黙って従うなんて,もっての外です。子どもの表現は先生のものでも誰のものでもない,子どもたち自身のものです。そのことを常に心がけてきたつもりだったのに,それなのに……。
はっと気づかされました。そして,他のことでももしかしたらこんな風に,教師サイドの感覚で一方的に押し進めてしまっていることがあるのかもしれない,ややもすると教師というのは自分の思いやペースで進めてしまっていても,なんら疑問すら感じていないのかもしれない……と。そのことを改めて考える機会になりました。(もちろんその教師サイドの計画は取り消しました。そしていつものように,子どもたちと一から相談して,テーマとやり方について決め直して進めていきました。)
私は,小学生の子どもたちとの25年間の生活の中で,彼らから実に多くを教わってきた気がします。その一つが上のようなできごとであり,また同じ趣旨による「絵綴り方表現」活動の編み出しなのです。これは,“生活綴り方活動の美術版”といっても良いかもしれない方法です。生活に根ざした素朴な思いをそのまま“絵綴っていく”方法です。子どもたちとの日々の中で,子どもたちを完全に主体にしていくこの方法を見出していくことができました。これは,日々の素直な思いをそのままぶつければいいのです。こうあるべきという枠や,作品主義とは対極のものです。一番,子どもたちの側に立った考え方によるものです。一番,自由に思いを表現できる方法の一つであろうと考えています。
表現活動を組織するということは,子どもの思いにしっかりと寄り添う営みなのです。つまり,子ども自身の思いをどれだけ大切にできるかどうかということです。この「絵綴り方表現」というのは,子どもをしっかりと主人公として据え付けていく方法であり,彼らに真の表現力をつけていくための,非常に有効な土台育ての方法であることを,自信を持ってお伝えできると考えています。
中・高学年編である本巻でも,まず基本的な姿勢は「絵綴り方表現」の発想によるものであることです。つまり子どもの表現は子ども自身による選択と子ども自身の納得の中で生み出し,展開していくものであるということです。作品をどう仕上げさせるのかとか,どうすれば良い絵が上手に描けるのか…ではなく,何を言いたいのか,何故それを言いたいのかこそが大事なわけです。必ずしも「絵綴り方表現・綴り方表現」そのものだけを中心においているのではなくて,その発想による教育活動の重要さを主張しているのです。つまりどの表現活動でも・どの分野においても,子どもが主人公であることを大事にしているという意味で,「『絵綴り方・綴り方』を生かした学級づくり」なのです。
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- 明治図書