ことばが生まれる
伝え合う力を高める表現単元の授業の作り方

ことばが生まれる伝え合う力を高める表現単元の授業の作り方

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長きに亙って<読者としての子ども>を育てる理論研究と授業実践の提唱を行ってきた著者が<表現者としての子ども>を育成する表現単元の授業の創造について体系的に論述。


復刊時予価: 2,904円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-656113-3
ジャンル:
国語
刊行:
3刷
対象:
小・中・他
仕様:
A5判 208頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

前書き――表現者としての子どもへ
序文 伝え合う力を高める表現単元の授業
一 表現単元の授業構想
二 伝え合う力を高める授業の具体化の要点
1 教科目標における「伝え合う力」とその背景
2 「伝え合う力」の具体化の要点
第T章 「表現」の本質と授業過程
一 「表現単元」の「表現」とは何か
一 「表現単元」の「表現」
二 学校における音声言語表現指導の展開と具体化
1 日常生活及び各教科の中での教師全員の取り組み
2 音声言語能力の体系化と系統化
3 音声言語能力の実態把握と評価
4 音声言語教材の開発
5 新しい指導法への挑戦
二 表現単元の指導過程
一 表現単元の指導過程論
1 表現単元の指導過程の諸相
二 表現単元の「一般的指導過程」
三 「一般的指導過程」の全体的な課題と方法
1 表現単元の指導過程は、単元の特質や目標に応じて
2 表現単元の指導過程は、複合的統合体である
3 過程相互に有機性を保ち、断層を起こさないようにする
4 表現単元の指導過程は、循環し、熟成する
四 「一般的指導過程」における課題と留意点
1 第一次指導過程の課題と留意点
2 第二次指導過程の課題と留意点
3 第三次指導過程の課題と留意点
第U章 表現単元の学習課題とモデル学習
一 表現単元の学習課題作り
一 表現単元の指導の機会
二 学習課題設定とモデル学習
二 家族の肖像
一 家族の肖像
1 家族のエッセイ
2 ルポルタージュの中の家族
3 一枚の家族
4 ドラマとしての家族
5 顔が見える書き方
三 子どもの自己発見
一 〈子どもの自己発見〉という課題
二 〈子どもの自己発見〉のアプローチ
1 人生の過程
2 子どもは子ども
3 自己認識と他者認識
4 かけがえのない一人
5 現実に生きる子どもたち
四 老いの輝き
一 〈老い〉が問いかけるもの
二 〈老いの輝き〉の照射
1 老いるということ
2 老いの社会
3 家族として
4 もう一つの人生
5 自然への回帰
6 最後の輝き
五 時間の空白
一 「想像力」を育てる
二 時間の空白を埋める
三 一週間の空白
四 一年の空白
六 始原への帰還
一 始原への帰還――「ぼくが狼だった頃」
二 「ぼくが狼だった頃」の特徴と表現方法
三 「ぼくが狼だった頃」の表現構造
七 人格の移行
一 人格の移行――「りっぱな動物になる方法」
二 「りっぱな動物になる方法」の指導方法
三 子どもが描いた動物生活の考察
四 表現意欲の普遍性
八 ポエジーの交錯
一 映像が喚起するポエジーの交錯
二 「木っていいなあ」の指導方法
三 子どもが見た木の世界
九 心の鏡像
一 表現衝動の解放
二 〈パトスの知〉による心の鏡像の解明
三 詩集『きらわれカラス』――ポエジーの鏡像
四 創作物語「空からふってきたぼうし」――ファンタジーの鏡像
五 絵本『私の犬』――描写の鏡像
第V章 ことばが生まれる
一 ことばが生まれる時
1 心の喜び
2 心の解放
二 表現単元の学習課題とモデル学習の開発
1 学習課題及びモデルを見出す努力
2 学習課題の分節
3 学習課題の特質の把握
4 どのような資料から開発したか

前書き――表現者としての子どもへ

 人が生まれ、「人」となり、豊かな言語主体となるのはいつ頃だろうか。目ざましい成長や発達を乳児期・幼児期に求めるのが通常だろうが、児童期・生徒期の子どもにも、その目ざましさを見て取ることは容易だ。最も分かりやすいのは、小学校一年生である。担任をしていると、その大きな変化に驚かされることが実に多い。文字習得以前と文字習得後の変化は、誰もが知るところだろう。

 小学校時代は、様々な言語芸術との出会いの連続である。最初は、物語系列の作品と説明系列の作品に出会い、その後、自らそのような「作品」を創造していく。文字言語のみならず、音声言語においても、スピーチや紹介などから始まり、音読・朗読を経て劇活動などにまで幅を広げていく姿は、大きな成長を感じさせる。学校という教育環境の中で、新しい言語芸術・言語文化に触発され、教師によって、あるいは自らの学習力によって「自分の言葉」を獲得しながら「人」になっていく姿がそこにある。

 従来、このような児童期・生徒期の成長については、不思議なことだが、指導によって大きく開花することがあまり強いイメージとなっていない傾向があった。しかし、今述べたように児童期・生徒期においても、大きな変化が見られる。とりわけ、交流する人々が家族から学校、地域、社会へと広がることによって大きな開花を見ることにもなるのである。

    ◆

 私は、高校生の時、忘れられない二つの大きな言語体験をした。一つは、弁論大会での発表、もう一つは、文化祭での演劇活動である。

 弁論大会では、一年生の時「生活体験の部」に出場した。聴衆の顔もほとんど見えず、目に入るのは原稿用紙ばかりだった。何度も言葉に詰まり、結果は散々だった。最終学年の四年生、再び挑戦した時には「意見発表の部」に出場した。国際連合の姿勢について、新書本などを参考に自分の意見をまとめ出場したのだった。四〇〇字詰め原稿用紙で一四枚。完璧に暗唱しての出場であった。一週間ほどで記憶した方法は、自分で考えた独自なものだが、今もおもしろい方法だと思う。今度は、聴衆の顔がはっきりと見えた。三〇〇人余りの人が真剣に聴いてくれたことに感銘を受けた。第一位での表彰だった。

 第二は、演劇活動だ。四年間、文化祭があるたびにクラスの友達を誘ってシナリオを書いたり、演じたりした。二年生までは、全く注目されなかった。そこで、三年生の時に、中心人物が三人で、医者や患者が登場するユーモアたっぷりの作品を取り上げた。幕間から登場しては巧みに笑わせ、大爆笑の内に終わった。本人たちは、相当自信満々で評価を受けることをとても楽しみにしていた。しかし、芝居は上手だったが、これはユーモアが勝っているということで評価されなかったことを後で知った。ショックを受けた。劇活動として優れていると思ったのに。

 そこで、最後の四年生はどうするか。考えたあげく「ヘレンケラー」に決め、今度は出演はせず、シナリオライターと演出に徹することにした。「water」の場面では、紙で作った井戸の後ろに給油ポンプを準備しておき、水が実際に出るように演出したりもした。観客が驚きの声を上げた。終わると、四年間で初めての優勝となった。最後に優勝したことも嬉しかったが、演劇活動する喜びを友達と分かち合えたことが、四年間もあり、それが終わることの感激が全身を満たしていた。定時制高校だったので、午後九時の授業終了後に練習を開始したが、集まるのは、ヘレン役、サリバン役、と他に二人ぐらい。暗く淋しい教室での練習は、何度も挫けそうになった。激しいヘレンやサリバンの台詞が、学校中に響いていたように思う。小さな演劇の言葉世界を体験したことを感じた。

 弁論大会も、演劇体験も、中学卒業と同時に「金の卵」として就職した後、どうしても勉強したいと翌年定時制高校に行ったからこそ可能となった言語体験であった。学校に通ったからこそ、生まれた言葉の世界である。ちなみに、人生の中で得た表彰と楯は、この弁論大会と演劇活動で得たものが最初で最後である。

    ◆

 今述べたように、人間関係力を回復させる「伝え合う力」は、児童・生徒が通う「学校」という集団社会の中で与えられる豊かな言語体験によって言語主体へと成長させていくことで育成される。言語主体育成について、今までは、《読者としての子ども》を育てる理論研究と授業実践の提唱を主に行ってきた。一九九三年、読者論に立脚して《読者としての子ども》主体の確立と解放を提起した。(『読者としての子どもと読みの形成』)さらに、文学の授業力を付けるために、『読者としての子どもを育てる文学の授業』(一九九五年)や『文学の授業力をつける』(二〇〇二年)などを刊行してきた。

 本書では、《表現者としての子ども》を育成する表現単元の授業の創造について体系的に論述することにしたい。とりわけ、「伝え合う力」を高めるような表現指導はどうあるべきか、に焦点化することにする。表現指導は、三領域一事項となった今も、《表現者としての子ども》を育成するという点から見れば十分ではない。表現指導をすることはあっても、自己表現の指導になっていない。創造性を最優先し個性を育成する理念がまだ教師の重点となっていないのである。どのような授業を行えば言葉が生まれるのか、どのように着実に表現力を定着させるか、表現生活はどのように構築させればよいのか、など実践事例とともに述べていくことにしたい。

    ◆

 なお、本書収録の授業は、私が主宰する「国語教育カンファランス」研究会員によって実践されたものである。調査実践として、日常の授業単元として、実践の求めに応じて下さった研究会員に深く感謝したい。いつも思うことだが、実践者のサポートなしには教育学的研究は成立しない。だから本書は、単著であり、共著でもあると言えよう。

 明治図書の間瀬季夫氏と松本幸子氏には、本書刊行においても多大なご協力を頂いた。ここに記し感謝の意を表したい。「ことばが生まれる」というイメージを豊かに彩る美しい装丁に仕上げて下さった。お二人と一緒に取り組んだ授業改革への想いは、本書が二〇冊目となった。記念すべき書物である。今まで単著五冊、編著一八冊、共著二九冊刊行してきたが、その中での二〇冊である。長い道のりであり、それは私の激しい主張をお二人が穏やかに包んで下さったからこその成果である。何度も国語教育の現状を嘆き、問題提起しても気持ちが通じないと哀しく思うことがあっても、主張を続ければいつか認められる時が来ますと励まして下さった。今までの一九冊以上に、本書が広く人々に受け入れられることを編集者である間瀬氏・松本氏とともに期待したい。


  人と人とが交響しにくい現代だからこそ、学校は変わらなければならない

  学校だからこそ集団があり、集団学習の中でしか出来ない体験があり、忘れられない日々が出来る

  集団の中にいたからこそ、個人である自分の顔が見えたし、自分を伝えたくなる

  個性的であるからこそ楽しくなって、一層新しい自己表現を求めたくなる


 本書が、このような学校と国語科の授業創出のきっかけを教師に与え、励まし、主体的な《表現者としての子ども》育成の一助となることを願って止まない。


  二〇〇二年九月   /井上 一郎

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