- 特集 討論の授業がどんな言語技術を身につけさせるか
- まえがき
- 第一部 誌上シンポジウム「討論の授業がどんな言語技術を身につけさせるか」
- 提案
- 1 野口芳宏の「論破」の授業
- 論破の力をつける指導をしよう /野口 芳宏
- 2 向山洋一の討論の授業
- 指名なし発言 /向山 洋一
- 3 読み研方式の討論の授業
- 「二重討論」による授業で主体的に言語技術を学ぶ /阿部 昇
- 4 ディベートの授業
- 立論・質疑・反駁における言語技術 /上條 晴夫
- 5 パネルディスカッションの授業
- パネルディスカッションの授業で身につけさせる言語技術 /高橋 俊三
- 意見
- 1 討論は実証の代用・補助である /宇佐 美寛
- 2 討論の技術を究明することが先決である /大内 善一
- 3 提案への納得と疑問と注文と /杉山 明信
- 意見を読んでのコメント
- 1 さらなる前進に勇気を得た─大方の励ましに支えられて─ /野口 芳宏
- 2 「討論」について「現場体験」をもとに考える /向山 洋一
- 3 「クライマックスが二つ以上有ってはなぜ悪いのか」をめぐって /阿部 昇
- 4 限られた時間の中でどのような<討論>を行うか? /上條 晴夫
- 5 適する討論法を選んで活用できる言語技術を /高橋 俊三
- 第二部 提案・言語技術教育としての討論の授業
- T 提言「討論の授業──問題点と課題」
- 1 実践することこそ最大の課題である /石黒 修
- 2 声の文化と文字の文化の間で /井関 義久
- 3 討論の授業が成立する条件を考える /市毛 勝雄
- 4 子どもの現状をふまえて問答から討論へ /小林 義明
- 5 「討論」の吟味と提案五つ─自身の体験に引き寄せながら─ /望月 善次
- U 実践「言語技術教育としての討論の授業」
- 1 文学教材の授業
- その1 〜「舞姫」(森鴎外)を例に「舞姫」の最高潮を考える討論の授業 /加藤 郁夫
- その2 討論で鍛える言語技術─「読者論的読み」と「言語技術教育」の融合を指向して /堀 裕嗣
- 2 説明的文章の授業
- その1 「論理展開の予想」に「討論」を取り入れる /井上 敬夫
- その2 「根拠」を示し、「理由」を説明する力をつける /門島 伸佳
- 3 ディベート・音声言語の授業
- その1 ディベートの授業 ディベート授業での反駁指導の三段階─第二段階の反駁エンドレスゲームを中心に─ /近藤 聡
- その2 音声言語の授業 蝉論争をシミュレーションする〜中学3年「おくのほそ道・立石寺」 /荻野 勝
- V 討論の授業──理論・実践の総括
- 討論の授業をめぐって──先行実践の整理と総括──
- W 海外の言語技術教育──討論の授業編
- 1 アメリカの言語技術教育教育(その2) インタラクティヴな言語技術 /向山 浩子
- 2 ドイツの言語技術教育(その7) 討論の授業「絵の分析(Bildbetrachtung)」 /三森 ゆりか
- 第三部 書評と第6回大会の報告
- 書評
- 1 鶴田清司著『「大造じいさんとガン」の<解釈>と<分析>』(明治図書) /丸山 義昭
- 2 長崎伸仁著『新しく拓く説明的文章の授業』(明治図書) /渋谷 孝
- 3 上谷順三郎著『読者論で国語の授業を見直す』(明治図書) /井上 一郎
- 4 庭野三省著『多読で読解の授業を変える』(明治図書) /桜沢 修司
- 5 石黒修著『学年別・討論の授業』シリーズ 小学1年・小学4年(明治図書) /喜岡 淳治
- 6 田近洵一『国語教育の方法──ことばの「学び」の成立──』(国土社) /佐藤 洋一
- 7 小田迪夫 他編著『二十一世紀に生きる説明文学習』(東京書籍) /薄井 道正
- 日本言語技術教育学会 第6回大会の報告 /阿部 昇
- 編集後記 /鶴田 清司
まえがき
学習院大学教授 /波多野 里望
本号も、なかなかの力作ぞろいで、読みごたえがある。国語科の多くの教師が、本号から何かを学び、それを授業で実践してくれれば、論理に強い児童・生徒が増えるのではないかと、今から楽しみにしている。
しかし、本号にも問題がまったくないわけではない。
第一に、第一部の「意見」で指摘されている点はいずれももっともであるが、その大半は、「提案」の筆者の考え方の問題であるというより、筆者に与えられた時間ないし紙数の制約の問題ではないかと思われる。
第二に、望月が第二部T提言の5の冒頭で「討論とは何だろうか」と問うているように、「討論」の概念そのものが執筆者の間でかならずしも統一されていないように見受けられる。それは、たんに、第一部の「提案」のタイトルが、「討論」(阿部・向山)・ディベート(上条)・パネルディスカッション(高橋)と異なっているにとどまらず、内容にも深くかかわってくる。たとえば、石黒と望月は、「『討論』は、debateの訳語として、明治十年代から用いられ出した」という「広辞苑」(岩波書店)を引用している。その限りでは、「討論」は「ディベート」と同義語だということになろう。それに対して、上条は「ディベートは討論の一種である」と規定し、向山は「ディベートと討論は似て非なるものである」と言い切っている(彼は、さらに「討論と討議は違う」とも言っている)。それに加えて、高橋は、「パネルディスカッションとシンポジウムの区別をして、討論に取り掛かろう」と提案するのだから、話がややこしい。すくなくとも、日本言語技術教育学会としては、このへんの交通整理が必要ではなかろうか。
第三に、「第一部」と「第二部」との棲み分け(?)が明確でない。「第一部」の主眼は、「討論の授業で身につけさせる」べき言語技術とは何かを問うことにある。言いかえれば、そこでは達成目標としての言語技術の内容が語られるべきであろう。ところが、筆者の多くが、授業の方法に紙数の大半を割いている。それこそは、むしろ、「第二部」で論じられるべきところなのにである。次号以下においては、執筆要領などにおいて、各執筆者が分担すべき分野をもっと明確にすることが求められる。
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- 明治図書
- 本書を通し、討論の指導技術を学びたいと思っています。早く復刊するよう願っています。2013/4/18たろう