- まえがき
- 序章 国語教育の哲学
- 一 国語教育の哲学
- 1 哲学とは何か
- 2 国語教育の哲学
- 二 言語をどう観るか
- 1 言語と認識・思考
- 2 言語と感情・行動
- 3 言語能力とは
- 三 国語教育における内容主義と形式主義
- 1 内容主義と形式主義の対立
- 2 言語能力とスキルの問題
- 3 スキル学習とその批判
- 第一部 言語論理教育
- 第一部への手引き
- T 思考力育戚を目指す言語論理教育
- 一 思考の分類とその問題点
- 1 思考の定義と分類
- 2 思考の分類は無意味か
- 二 言語論理教育
- 1 言語論理教育とは
- 2 小学生でも論理を使っている
- 3 国語教科書でも論理が教えられる
- U 言語論理教育の指導内容
- 一 論理的思考力育成への要求と指導の方策
- 1 子どもの実態と論理的思考力育成への要求
- 2 論理に興味を持たせる
- 3 指導の方策
- 二 言語論理教育の具体的な指導内容
- 1 語──概念の明確さ
- 2 文──判断の正確さ
- 3 文章──論の筋道の正しさ
- 4 まとめ──批判的な読みのチェックリスト
- 5 分析事例
- 三 説明的文章及びディベートと言語論理教育
- 四 考える習性をつくる
- 1 自問態勢づくり
- 2 自己モニター能力をつける
- 3 思考指導の事例
- V 最近の思考指導の動向
- 一 アメリカの母国語教育における思考指導
- 1 第二次大戦後のアメリカの母国語教育
- 2 新しい動きの背景
- 3 思考指導のプロジェクト
- 4 思考指導の実践例
- 5 まとめ
- 二 日本における思考指導
- 1 国語科教育からのアプローチ
- 2 教育学・心理学からのアプローチ
- 三 思考指導の問題点
- W アメリカの国語教育における「批判的思考」研究の流れ
- 一 はじめに
- 二 批判的思考の定義
- 三 初期の研究──批判的思考のルーツ
- 四 小学校教科書と批判的思考
- 五 批判的思考研究のプロジェクト
- 六 批判的思考力テストと因子分析
- 七 最近の傾向と将来への展望
- 第二部 国語科の諸問題と思考
- 第二部への手引き
- X 基礎学力論
- 一 基礎学力をどうつけるか
- 1 基礎学力とは何か
- 2 文章読解能力──読みにおける基礎学力
- 3 基礎学力をどうつけるか
- 二 自己学習能力とメタ認知的スキル
- 1 自己学習のためのスキル
- 2 コリンズの「読解過程の指導」
- 3 方法の固定化を防ぐには
- 4 子どもの意欲と課題意識
- Y 新・言語教科書待望論
- 一 戦後日本の言語編教科書
- 1 言語編教科書の辿った道
- 2 時枝編「言語編」教科書の構成
- 3 今後の方向
- ニ アメリカの小学校言語教科書の一例
- 1 各単元の構成
- 2 目標(target)とされるスキル
- 3 ハンドブック
- 三 これからの言語教科書
- 四 高校「現代語」教科書
- 1 「現代語」の位置づけ
- 2 「現代語」の扱い──展開例
- 3 まとめ
- Z 「読み」の認知心理学と国語科教育
- 一 一読法N段階の読み
- ニ 「方略的読み」の研究
- 1 方略的読みの位置づけ
- 2 読みの方略の具体案
- 3 読みの方略について
- 三 読みの方略に関する基礎論の検討
- 1 読みの方略に関する基礎論の研究
- 2 文種による方略の違い
- 3 テクスト(文章)への反応方略
- 四 他者との交流と「方略」の獲得
- 五 読みの方略をどう考えたらよいか
- 1 自問態勢づくり
- 2 「話し合いの柱立て」の枠組みの精錬
- 3 自己モニター機能と話し合い・討論
- 六 認知心理学と国語科教育
- [ イメーシ形成と読解能力
- 一 文章表現とイメージ形成
- 1 文章表現とイメージ
- 2 イメージと視点の問題──「つり橋わたれ」
- 3 イメージを喚起させるための指導
- 二 感動を分析できる能力を
- 1 読解能力をどう育てるか
- 2 感動を起こさせた原因を分析できる能力を
- あとがきに代えて──子どもの哲学を集大成しよう──
まえがき
私が国語科教育に関心を抱くようになってから40年以上になるが、ふり返ってみるとこれまで私が目指してきたのは、国語科教育のインフラ・ストラクチユア(infra structure──基盤構造)の整備ということであった。
たとえていえば、車の運転技術ではなく、車が安全に走れるような道路整備や、進むべき方向を指示する信号や標識の設置という交通の基盤整備に当たるものが、私の任務だと考えてきた(もちろん私も長年公立中学に勤務し、かなりのデコボコ道を運転した実績があるので、運転技術についても多少述べてきたが)。
つまり、教師自身の指導技術・指導方法、また言語観・言語教育観の確立のための基盤づくりに少しでもお役に立ちたいというのが私の念願であった。
私がこういうテーマを志したのは、18年間にわたる中学教師のキャリア、また同じく18年に及ぶ東京学芸大学での国語科教育の授業、また創価大学に移ってからの学生諸君への指導を通じて、教育のすべての問題は教師教育に帰着するということを痛感してきたからである。また、東学大時代にユネスコのAPEID(アジア地域教育開発計画)に参加してアジア各国の教育研究の指導者と話し合いをしたことも、教師教育の重要性を改めて認識するきっかけになった。
今日、話しことば教育やその一環としてのディベート教育の重要性が叫ばれていながら尻ごみする教師が多いのは、教師自身がそういう教育を受けてこなかったからである。つまり「先生の先生」がいなかったからである。教育を変えるには教師の意識を変えなければならないし、それは根本的には大学での教員養成の問題になるのである。
私はこれまで、とくに言語と認識・思考という問題に的を絞って発言してきた。とはいえ、怠け者の私であるから、遅々として進まなかったが、それでもいろいろな機会に書き散らした雑誌論文がいつの間にか溜まっていた。このたび、そのような論文や絶版になった著書の一部、それと今回新たに書いたものを加えて一冊にまとめてみようと思い立った。
以前書いたものを再録する場合、その時期における証拠という意味でそのままの形で載せるか、それともその後の資料の蓄積や研究の発展などを補うべきか迷ったが、結局、大部分のものには手を入れた。その際、複数の論文であっても同一テーマで括れるものは一つにまとめた。また文体も全部「デアル体」に統一した。(内容的に多少ダブるところがあるがお許し願いたい)。
本書は、序章と第一部・第二部から構成されている。右のような成立事情もあるので、各部には「手引き」をつけておいた。
本書を一貫しているテーマは、「どうすれば子どもの思考能力を向上させることができるか」ということである。
新しい世紀を迎えるに当たって、思考力育成は教育にとってまさに焦眉の急といえよう。21世紀は「情報ハイウェイ」といわれるとおり「マルチメディア」の時代であり、それは同時に、テレビの何百というチャンネルに象徴されるように情報氾濫の時代でもある。そうした時代に求められるのは、メディアを主体的・批判的に評価できるメディア・リテラシーである。経済面でも、日本版ビッグバンによって個人の経済活動の選択の場は飛躍的に増大し、ハイリスク、ハイリターンで、うまく行動すれば大きな利益を得られるのに反して、失敗すればその責任は当の個人が負わなくてはならない。
そこで求められるのは、真に役立つ情報をいかにして見つけるかということである。生活用品を買うにしても、莫大な情報の中からいかにして自分に適したものを主体的に・批判的に取捨選択するかということが重大な問題になってくるのである。
そういう問題に応えるためには、考え深い子どもを育てること、少なくとも考えることの大切さを尊重する気風を育てることが重要である。
今日、教育界では、2003年からの週五日制の完全実施に伴い、授業時間数が削減され、教材も精選から厳選へとより厳しくなってくるし、教える内容にもスリム化が要求されている。しかし、私が提唱している言語論理教育は、さらに何か余分なことをつけ加えようとするものではない。むしろ教師に対しては一時間一時間の授業を密度の濃いものにしようということなのであり、子どもに対しては、自己学習のための具体的方策を示そうとしているのである。
よい文章の書き方を書いた本がちっともよい文章でなかったりするのは興醒めであるが、本書も「思考」のことを扱っているくせに、考察に思考力不足の点が多々あることと思う。ご叱正をお願いしたい。
若い友人中村敦雄氏とは、本書のテーマについてしばしば対論する機会があり、いろいろヒントを得ることが多かった。謝意を表したい。
最後に、本書の成立に至るまで絶えず応援して下さった明治図書の江部満氏に深く感謝の意を表する。
1998年1月 /井上 尚美
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- 明治図書