- まえがき
- 前編『ごんぎつね』各部の分析
- 〜作文に生かすために
- 1 だれでもできること(「あらすじ」)から〜第「1」部を読む・1
- 2 豊かな感想も引き出せる〜第「1」部を読む・2
- 3 段落の冒頭文と反復表現に着目して〜第「1」部を読む・3
- 4 理解力と表現力を同時に鍛えるあらすじ作成〜第「1」部を読む・4
- 5 取材の目を育てるために〜第「2」部を読む・1
- 6 空間(場所)と(人物)行動の表現法を学ぷ〜第「2」部を読む・2
- 7 主語と述語から、表現の着眼点を学ぷ〜第「2」部を読む・3
- 8 主語のあり方から、表現の着眼点を学ぶ〜第「2」部を読む・4
- 9 作文スケッチへの誘い〜練習法の一試案〜 第「3」部を読む・1
- 10 作文スケッチへの誘い〜短時間の動きとのぞきみしたこと〜 第「3」部を読む・2
- 11 作文スケッチへの誘い〜耳を傾けた経験を〜 第「4・5」部を読む・1
- 12 作文スケッチへの誘い〜会話を生かして〜 第「4・5」部を読む・2
- 13 ラスト・シーンの読み取り学習の例(1)〜第「6」部を読む・1
- 14 ラスト・シーンの読み取り学習の例(2)〜第「6」部を読む・2
- 15 ラスト・シーンの読み取り学習の例(3)〜第「6」部を読む・3
- 16 ラスト・シーンの読み取り学習の例(4)〜第「6」部を読む・4
- 17 ラスト・シーンの読み取り学習の例(5)〜第「6」部を読む・5
- 18 ラスト・シーンの読み取り学習の例(6)〜第「6」部と第「1」部とを読む
- 後編『ごんぎつね』の表現を読む
- 〜文法読みの試み
- 1 なぜ表現なのか
- 作家の言葉から/ 国語教室の現状から
- 2 表現学習の二側面
- 無意識に読めるように/ 意識して読むように
- 3 段落の表現から
- 第「1」部について/ 第「2」部の段落について/ 第「3」部の段落から/ 第「4・5」部の段落から/ 第「6」部の段落から
- 4 会話文と地の文の組合せから
- 第「1」部の会話文から/ 第「6」部の会話文から/ 応用例として、『石うすの歌』の会話文から/ 第「2」部の会話文から/ 第「3」部の会話文から/ 第「4・5」部の会話文から
- 5 連文(文と文のつながり方)から
- 二文の連接から/ 三文の連接から/ 四文の連接から/ 五文の連接から
- 6 一文の構成から
- 7 語彙から〜理解と表現に生きる方法で〜
- 「小川」の関連語彙を項目にしたがって整理すると「思う」の意味を細かく分類して
まえがき
「文学言語を読む」としてTUの二巻を刊行することになった。これまで書いてきたものの中からいくつか選び、新たに書き加えて、自分の考えが明確になるようにした。今、わたしはこのように文学教材を読んでいます、という報告である。自分のたどってきた道筋を示して、現時点ではこういう地点に立っている、という自己確認を最大のねらいとした。
『ごんぎつね』の前編は、隔月刊行の雑誌『実践国語研究』(明治図書)に連載したものをそのまま、タイトルを加えて採録した。十八回、三年にわたる長い期間の連載を許してもらったために、予てから希望していたような記述が存分にできた。というのも、いろいろな雑誌に掲載した論稿を読んでくださった実践家の方々から、具体例があっておもしろいのだが、一例にすぎず、それもすぐに終わっている。もっと具体に即して、数々の例を示してほしい、との要望があったし、自分でも諸断片を統一的な形にまとめてみたいと願っていたからである。書く立場からの考察が、一つの新しい提案になることを期待している。
多くの『ごんぎつね』の授業を参観して、何回も教材研究をする機会に恵まれてきた。特に授業中でのヒントは貴重な視点を与えてくれるものであった。参観を許された先生と児童に深く感謝する次第である。そのような機会がなかったら、まとめる内容も生まれなかったと思っている。それらの結果をふまえた講演をお聞きくださった先生方にも、同じ意味で感謝を捧げたい。
後編は「文法読みの試み」と副題を付しているように、恩師の藤原與一先生のご提唱になる方法を『ごんぎつね』に応用してみたものである。先生の「文法読み」をじゅうぶんに理解し、生かしているか(懸命にそう努めたのであるが)、心もとない面がある。自己流の歪曲が加わっていないかおそれている。だが、先生のご提唱が『毎日の国語教育』(福村出版、昭和四〇年)、『国語教育の技術と精神』(新光閣書店、昭和四二年)にあるにもかかわらず、現在、絶版になり、広く普及しないうらみがあるため、この優れた「技術と精神」を少しでも多くの方々に知ってもらうために、今回、新たに書き加えた部分である。「自分は文章が読めない、言葉を見つめてといわれても、どう見つめてよいかわからない。」というわたしの悩みに打開の望みを与え、これならと希望をいだかせてくれた方法である。現在もその方法にしたがっている。その方法による読み取りが本書の成果といってよい、U巻を含めて。
「文法読み」そのものについて、そんなに大切なものなら、それ自体をとりあげて考察すべきだ、という声があろう。その声に忠実に応えるには、先生の著書そのものについて見てもらうほかはない。絶版になっている二冊の書物は見ることができないので、本書刊行とあわせて、明治図書から再び刊行してもらうように依頼している。その書物への案内となれば、これ以上の幸せはない。
今回もまた、明治図書の江部満、間瀬季夫、松本幸子の諸氏にお世話になった。『実践国語研究』の連載が契機になってまとめたものだけに、これらの方々への感謝の思いはひとしおのものがある。松本さんの電話の声がいまだに耳に残っている。ありがとうございました。
一九九七(平成九)年五月連休終わりの日に /中西 一弘
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- 明治図書
- 基本文献の一つでしょう。2012/3/27bonpata