市毛勝雄著作集2国語科教育の授業改革論

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国語の授業で何を教えるか/教材とは何か/授業理論の考察/21世紀の発信型の授業/授業研究の改革などを通して新しい授業づくりを糾明する。


復刊時予価: 2,585円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-652215-4
ジャンル:
国語
刊行:
対象:
小・中・高
仕様:
A5判 164頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

T 国語の授業で何を教えるか
一 日本語の社会的使用を体験させる
二 認識の形式を通して思考・感情の表現技術を教える
三 一斉授業で個性的な指導ができるか
U 国語科の教材とは何か
一 教科書教材の仕組みを研究する
二 「聞く話す」教材・説明文教材・作文教材の現状
三 これからの教科書はどうなるか
V 二十世紀の授業理論を考察する
一 二十世紀の授業理論のいろいろ
1 三読法
2 教科研方式
3 単元学習
4 一読総合法
5 文芸研の読み
6 基本的指導過程
7 課題解決学習(課題づくり学習)
二 二十世紀の授業の問題点
W 教材研究と授業研究
1 これまでは先生のための教材研究だった
2 表現学習は生徒のための教材研究になる
3 表現学習の最終的な成果とは
4 授業の組み立て
X 二十一世紀の発信型の授業
一 発信型音声言語の授業(話す・聞く)
1 教材
@母語教育の中における音声言語教育
A音声言語指導の教材が少ない
B画期的な「発信型・音声言語教材」が現れた
C活動事項を具体的に提示する
D音声言語教材の原型はこうして作る
☆文章教材以外の教材を探す
☆条件を設定して表現様式を決める
☆課題を決める
2 学習活動
@教室内で
A教室外で
3 評価
4 実践例
@口頭作文
A口頭作文の文章構成の原理
B口頭作文の文章例
二 発信型作文の授業(話す・書く)
1 教材
@これまでの作文指導は「つぶやき」指導だった
A発信型作文は自己表現の技術訓練である
B言語技術教育は言語能力を高める
2 指導事項
@作文の指導事項
A簡潔に表現する技術
B体験を文章に表現する技術
C内容にふさわしい構成の文章を書く
D発信型の教育
3 学習活動
@形式の決まっている短い文章を書く
A共通体験がよい題材になる
B書き方を具体的に指導する
Cクラスのみんなが経験していることを文章に書く
D「どちらがじょうずかな」
4 評 価(授業評価)
@評価の観点
A簡潔な文章で表現する
B自分の判断・意見を表現する
5 発信型作文(日誌・記録・報告)の指導
@日誌指導
A記録指導
B報告指導
6 実践例
作文「身近な問題を取り上げて」の学習指導案 /田邊 泰
三 説明文教材の発信型授業(読む・書く)
1 教材
@説明文の授業の目的は
A説明文の教材はどんなものになるか
2 指導事項
@説明文の指導では何をするのか
A説明文の授業の運び方は
3 学習活動
@音読指導
A「意味段落と形式段落」の指導
B「主要な語句」の指導
4 実践例
※ 「金星大気の教えるもの」 /田邊 泰
5 説明文の読み方指導からの発展
@説明文の授業は教師自身の論理性の反映である
A「資料読み」の指導
B「箇条書き」の指導
C説明文(論文)の本質は意見である
D説明文(論文)は個性的である
四 文学教材の発信型授業(読む・話す)
@文学教材の新しい役割
A自己表現の練習教材として
B表現学習のための課題例
C朗読会の意義と効用
Y 授業研究の改革
一 学習指導案の改革
1 これまでの学習指導案
@学習指導案とは何か
A指導案と指導技術
B研究成果は指導案に現れる
C指導案の役割
D指導案の形式
Eこれまでの指導案に対する考察
2 これからの指導案
@簡単明瞭な指導案を作ろう
A「本時の展開」を具体的に書こう
B指導案モデル
Cこれからの指導案についての提案
3 具体的な記述をした学習指導案の実践例
※ 「金星大気の教えるもの」 /田邊 泰
二 研究授業を気楽にやろう
@二人で研究授業を気楽にやろう
Aわからなくてもいいから上手な授業を見よう
B試行錯誤が良い教師を作る
C失敗した研究授業こそ研究の宝庫である
D指導案は一人で作る
E事前研究よりも事後研究が大事
F流行のテーマでなく、授業困難点をテーマに
G模擬授業が便利だ
三 研究授業の報告書を書こう
@研究授業をしたら、記録として残そう
A報告書の作り方
B報告書を作る時の留意点
Z 国語の授業に関する研究ノート
参考文献・解題
索引
あとがき

著作集へのまえがき

 東京で中学・高校の教師生活を一八年間送った後、私は山形大学に勤めることになった。

 中学と高校では教材研究と授業に没頭していて、よその教室のことはほとんど分からなかったので、文学教材は楽しく自由に読めば良いし、説明文は正確に読み書く力をつける指導が当然だと信じていた。そして、卒業生たちはそういう私の授業がのちのち大いに役に立ったと支持してくれたので、私以外の先生方もみんなそういう授業をしているのだろう、と考えていた。

 ところが、大学に着任して教育実習の反省会や、各地の授業研究会に出席するようになって、驚いた。そこでは抽象的な教育理念の言葉がしきりに使われ、その理念から出発しているものの、子どもの気持ちを無視した形式的な指導が幅を利かしているのであった。その後、国語科教育という看板のおかげで全国各地の教育センターや授業研究会に呼ばれるようになり、小学校や中学校で国語の授業を参観し、研究会に参加する回数が増すにつれて、日本の国語教育の直面している問題点がうつすらと見えかけて、これはやりがいのある仕事だ、と考え始めた。

 その頃「主題認識の構造」という数ページの論文を学会誌『国文学/言語と文芸』に書いた。それを飛田多喜雄先生にお見せした。それからしばらくして突然、明治図書の江部満編集長からお手紙が届いた。それは、「飛田先生から論文を見せていただいた。あのテーマで本を一冊書いて欲しい」というものであった。この時の驚きと喜びとが、その後の私の人生を決定した。

 学生時代の家庭教師・塾をはじめ、中学校・夜間高校、バレー部の指導・高校紛争等の経験は、国語教育の理論とともに人生の体験が、言葉の指導に役に立つことを教えてくれた。また、教育センターや授業研究会に出席なさった先生方と質疑応答を交わすうちに、多くの先生方が困っているという国語教育の問題がはっきりと見えてきた。それらを要約すると、次のようになる。

1 これまで、大学の研究者はドイツの教育学の説、日本の古典文学の解釈学の方法などを、国語教育学として大学で講義した。

2 また、他の研究者は大正時代から昭和初期の小学校の国語教育の実践や、昭和三〇年代の指導実践から指導理論を組み立てようとした。

3 かくて、小中学校の先生方は、大学の研究者が提供する国語教育理論の大部分を、現在の授業の役には立たない、と考えるに至った。

4 良心的な若い先生方は大学の国語教育学の講義に見切りをつけて、民間の研究団体に参加して授業の理論を研究したり、模擬授業をして授業の技術を学び合ったりしている。その他の生活派の先生方は「赤刷り」と呼ばれる書物を使いながら、授業をしのいでいる。

5 中学校の国語の先生は、専科以外の臨時の教科担任が多く、研究したくともできない例が多い。一方、教科研究をやりたい専科の先生は部活動や生活指導に奔走を余儀なくされている。「教材研究を国語科としてやりたい」というと「そんな贅沢な寝言は許されない」と叱られるという。

6 このため、調査・文集作りという生徒の活動任せ(主体的活動ではない)の授業が多くなり、中学生の知的欲求不満が高まり、それがまた学級経営にはねかえるという悪循環をもたらしている。

7 高枝の先生方は文学部出身者が多く、文学教材への思い入れが深いが、近年の高校生は大学受験に関心が強く、考える授業が成り立たない。答えは筆記するが、後は寝ていると言って悩む先生が多い。特に、小論文の指導研究の蓄積がない。授業は教材文の解釈でお茶を濁し、小論文の添削は予備校任せという先生が多い。

8 小中高の国語教育がこのように大問題に直面して四苦八苦しているのに、大学の国語教育学の多くの研究者はこの現状から問題点を汲みとろうとはせず、研究室の伝統的な傾向に沿った研究テーマを設定して論文を書いている。このため、教室の実践に対する考察も「参観者の印象」に終始して、授業研究に到達しない。

9 教育改革が叫ばれるようになって、子どもの興味・関心・態度を育てる指導が大切だ、と言われるようになった。その結果、指導はいけない、援助だ、という。だが、国語の授業の中身を検討すると、子どもの活動だけあって専門的な指導がない観念的な授業の肥大版である。授業の専門的な指導技術を磨かないので、具体的な「支援」はできないし、まして勉強したいという個性的な子どもたちに、具体的な指導のできるわけがない。

 こういう大きな諸問題に、個別につき合って押したり引いたりしていては、根本的な解決には到達しない、少々荒っぽく見えても、大胆な具体的提案が有効である、というのが江部満氏の持論であり、私も全く同感であった。その成果がいくつかの著作・雑誌連載・編著のシリーズとなった。それらは一定の役割を果たしたようで、多くの読者からご支持のお便りをいただき、研究会にも数多くお招きをいただいた。それに応じて、少なからぬ方々に不快感と反感を抱かせた。これら相反する反応は、国語教育界に多少の刺激をもたらしたようで、私の考えが生きて働いた何よりの証拠であり、うれしいことであった。快も不快も与えない書物や活動などは、存在理由がないからである。

 国語教育界では、相変わらず神秘的な文学至上主義を振りまく難解な授業論や、学習指導案の原型も示せない単元学習論や、筋道も手段もわからない「国語の課題作り学習」論が、多くの先生方を悩ませている。これらの指導法の特色は、未だに誰も「模範的な授業」ができない点である。一〇年たってできない授業が、五〇年たつとできるようになるのであろうか。もしも永久にできない授業だったら、誰が責任をとるのであろうか。

 近年、研究を進めるにつれて、私はいっそう明快な授業が大切だと考えるようになった。明快でないと、まず子どもたちに理解してもらえない。次に、授業の意図・構成・意義を、専門家である先生方にも理解してもらえない。私自身がよほど明快な授業ができたつもりでも、他の先生が見ると「意図不明」の部分がいくつかあると言う。この「明快に、より明快に」という努力の結果、私はついに指導技術・言語技術の確立が絶対に必要だという考えに到達するに至った。

 ちょうどそのとき、江部満氏から、これまでの仕事をまとめないか、というお話があった。私はありがたくお受けした。そして、これまでの仕事のまとめだけでなく、新たな領域の成果をつけ加えたい、と申し出た。これまでの仕事のいくつかはすでに古くなって、全く作りかえたほうがいいと思われたからである。それに対して、江部満氏はいくつかの適切な指示を下さった。そのため、本著作集は単なる集約的な性質から、挑戦的な性質に変貌した。これはまことに我が意を得たものであった。ここに改めて、江部満氏に感謝を捧げたい。

 言葉は現代の思考を表現する役目がある。特に論理的な思考と表現の役割は、今後ますます大きくなるだろう。国語教育界は世界に通用する論理的な思考と表現の指導態勢を整えるために、大きく変化する必要がある。本著作集がその変化のきっかけとなることを、切に祈るものである。


  一九九八年 四月   /市毛 勝雄

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