- まえがき /市毛 勝雄
 - 第一部 誌上パネル〈到達度・絶対評価の基準としての言語技術〉
 - T 到達度・絶対評価の基準としての「読み」の技術
 - 提案1 説明文・論説文教材の場合 /鶴田 清司
 - 提案2 授業展開に合わせ、二段階で考える /兵藤 伸彦
 - 意見1 基準としての言語技術の意味規定の広狭、それぞれの長所短所の問題 /渋谷 孝
 - 意見2 基礎学力&ロ障としての評価基準を新しいリテラシーを創るステップに /佐藤 洋一
 - 意見3「読み」の言語技術として不足していること――キーとキー以外の関係性、人物の性格の把握など /阿部 昇
 
- U 到達度・絶対評価の基準としての「書き」の技術
 - 提案1 言語技術あっての評価基準 /大森 修
 - 提案2 報告と論説が「書くこと」の絶対評価の基準になる… /長谷川 祥子
 - 意見1「規準づくり」の反省を基準づくりへ /向山 洋一
 - 意見2「目標規準」と「判定(達成)基準」との違いを意識した評価基準づくりを /大内 善一
 - 意見3「絶対評価」の役割(大森)と作文評価の具体的提案(長谷川) /市毛 勝雄
 
- V 到達度・絶対評価の基準としての「聞く・話す」の技術
 - 提案1「聞く・話す」技術のゆるやかな系統化をめざす /有働 玲子
 - 提案2 インターネット(TOSSランド)との連動で評価基準の明確化・共有化と、評価方法・指導方法の共有化が可能である /谷 和樹
 - 意見1「技術」の構造解明の上に立つ評価論を /野口 芳宏
 - 意見2 到達度・絶対評価の基準としての言語技術の提示法 /高橋 俊三
 - 意見3 声の文化の言語技術 /井関 義久
 
- 第二部 基礎学力としてのメディア・リテラシー
 - T 提言〈基礎学力としてのメディア・リテラシーの技術〉
 - 1 国語科でメディア・リテラシー育成に取り組むには何が必要か? /中村 敦雄
 - 2 メディア表現能力を大切に /栗原 裕一
 - 3 基礎学力としてのメディア・リテラシーの技術 /井上 尚美
 - 4「基礎学力としてのメディア・リテラシー」としての五つの項目 /藤川 大祐
 - 5「主語」を言語技術に位置づけて /椿原 正和
 
- U 実践〈項目別・メディア・リテラシーの技術〉
 - 1 テレビ・コマーシャル
 - テレビ・コマーシャルを分析する技術 /上條 晴夫
 - 2 ニュース・報道
 - 高校生が特派員になって、海外の新聞に記事を書く /近藤 聡
 - 3 新聞
 - 事実と論理のクリティカルな吟味を /高橋 喜代治
 - 4 雑誌
 - 記事や広告から雑誌の「意図」を読む /加藤 郁夫
 - 5 写真
 - 映像を読み解く言語技術の基礎 /中村 純子
 - 6 ビデオ・クリップ
 - ビデオ・クリップを授業化する /石川 晋
 - 7 テレビ・ドラマ
 - テレビ・ドラマを斬る /臺野 芳孝
 - 8 映画
 - 映画を読み解く技術 /杉山 明信
 
- 第三部 書評と第十回大会の報告
 - T 書評
 - 1 大内善一著(明治図書) 『「伝え合う力」を育てる双方向型作文学習の創造』 /菅原 稔
 - 2 有働玲子著(明治図書) 『声の復権―教室に読み聞かせを!』 /村松 賢一
 - 3 渋谷孝著(明治図書) 『作文教材の新しい教え方』 /小林 義明
 - 4 村松賢一著(明治図書) 『対話能力を育む話すこと・聞くことの学習――理論と実践――』 /深川 明子
 - 5 大槻和夫著(明治図書) 『国語科重要用語300の基礎知識』 /桜沢 修司
 - 6 井上尚美・中村敦雄編著 『メディア・リテラシーを育てる国語の授業』 /阿部 昇
 
- U 日本言語技術教育学会 第十回大会の報告 /深谷 幸恵
 
- 編集後記 /鶴田 清司
 
まえがき
二〇〇二年度から、指導要録の記述に到達度絶対評価が取り入れられることになった。これは単に成績のつけ方が変更になるだけでなく、授業のやり方までがすっかり変わる大改革となる。
これまで約五〇年間利用してきた相対評価は、標準偏差という科学的外観を見せてはいたが、「生徒の集団内での成績の位置づけを示す」という大づかみなものであった。一九五〇年代以降のベビーブーム時代には、多人数の成績処理、とくに入学試験のときに、この相対評価は威力を発揮した。だが、二〇〇二年の現在、生徒数は減少し価値観は多様化し、競争としての学力ではなく習熟度別学習が重視されるという進化を遂げた。教室の「学習指導・評価」の質と意義とが、教師ごとに問われる時代になった。さらに新しく「情報公開」という課題が加わった。これは保護者や学校評議員に評価基準を公開し、学校が説明する責任である。そのための授業公開は、当然の前提になった。
絶対評価は、「学習の観点」と「到達度評価」とがセットになっている。ある種の指導理論のように、授業は「理想的な」学習活動を何十時間も行いながら、成績は市販テストによって決めるという奇妙な評価はできなくなる。一時間の学習活動については、目標とした学力と到達度とを、いつでも説明できる態勢が必要である。国語科の授業に対して、社会は「趣味と教養」の学習ではなく、論理的な思考を学び、論理的な言葉を駆使する学習を求めている。その到達度・絶対評価の基準としては、言語技術としての基準がよく合致するはずである。
第十一回日本言語技術教育学会新潟大会のテーマを「到達度・絶対評価の基準としての言語技術」として討議・研究するのは、右のような認識による。本書が新潟大会のよい手引きとなり、その討議を深めることを期待している。
二〇〇二年三月 日本言語技術教育学会会長 /市毛 勝雄
- 
明治図書
 
















