21世紀型授業づくり100
国語教師の力量を高める ―発問・評価・文章分析の基礎

21世紀型授業づくり100国語教師の力量を高める ―発問・評価・文章分析の基礎

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教育専門家としてのプロフェッショナルな指導技術を獲得する。

本書は「明日の実践にすぐ役立つ」類いのものではない。しかし著者は国語科教育に携わる全ての方々に、教育の専門家として根本原理を、理論を、勉強してほしい、と熱く語りかける。一度は読んでおきたい国語科教育学の理論を、平易な文体でわかりやすく解説した。


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ISBN:
4-18-526814-9
ジャンル:
国語
刊行:
5刷
対象:
小・中
仕様:
A5判 224頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

まえがき
序章 授業にとって何が必要か
1 目標と指導と評価の一体化
2 オルガナイザーとしての教師
3 楽しい授業に学級崩壊なし
第T章 理解・表現過程の言語心理
一 理解⇔内言化(イメージ・思考)⇔表現
1 思考過程の分析
2 理解と表現における意識の流れ
3 スキーマの形成
4 わかりやすく書くには
5 批判的思考の重要性
二 理解・表現における認識の深まり
1 読みにおける理解の深まり
2 作文における認識の深まり
三 理解・表現とイメージの役割
1 イメージは絵かことばか
2 読解とイメージ
3 作文とイメージ
第U章 読みの授業における発問の分析
一 発問の位置づけ
1 授業分析の有効性と限界
2 発問の位置づけ
二 発問の分類システム
1 ブルームによる分類システム
2 ギルフォードによる分類システム
3 グスザークによる分類システム
4 発問分類の条件
三 読みの授業における発問
1 読みの授業における発問
2 教師の発言の記号化と分析例
3 子どもの発言の記号化と分析例
4 指導案のくふう
四 良い授業の条件を探る
1 良い授業とは?
2 教師の発言を効果的にする条件
3 子どもの発言の質を高める条件
第V章 自己学習能力をどうつけるか
一 子どもの自問態勢をつくる
1 子どもの自問態勢をどうつくるか
2 ひとり読みと一読総合法
二 自己学習能力とメタ認知的スキル
1 自己学習のためのスキル
2 コリンズの「読解過程の指導」
3 方法の固定化を防ぐには
4 子どもの意欲と課題意識
三 自己学習の実践例 ――静岡大学附属浜松中学校の場合――
第W章 目標分析と評価
一 ブルームによる教育目標の分類学
1 何のための評価なのか
2 言語能力分析の試み
3 ブルームによる教育目標の分類学
4 ブルーム以後の研究
5 言語能力分析の最近の動向
二 指導目標⇔授業⇔評価規準
1 目標分析はなぜ必要なのか
2 国立教育政策研究所の報告書を吟味する
3 指導に役立つ評価規準表のつくり方
三 「評価規準表」のつくり方の実例
1 「ごんぎつね」の分析例
2 「評価規準表」の効用
四 評価の問題点
1 主観的な評価の重要性
2 個に応じた評価
3 情意的領域の評価
第X章 教材研究の基礎としての文章分析
一 文章分析のすすめ ――実践的文体論――
1 文章分析はなぜ必要か
2 実践的文体論の立場
二 文章分析のためのチェックポイント
1 文学的な文章の分析の観点
2 論証的な文章の分析の観点
3 「が」・「は」と読解との関連
三 文章分析の実例
a 『おこりじぞう』 /山口 勇子
b 『すいかの種』 /沖井 千代子
c 『にじの見える橋』 /杉 みき子
d 『夏の葬列』 /山川 方夫
e 『個人的な体験』 /大江 健三郎
f 『青が散る』 /宮本 輝
g 『経験と体験』 /森有 正
終章 一人ひとりが哲学を
1 時間的ゆとりを生み出すには
2 一人ひとりが哲学を ―自信喪失にどう対処するか―

まえがき

 本書は、教師の「指導技術」について論じたものです。私は二〇年前に『国語の授業方法論』(一光社 一九八三)を書きました。これは幸いに三版まで出ましたが、現在は絶版です。しかし、その後も読みたいという問い合わせが多く寄せられてきました。

 私は、旧著の基本的な考えは現在でも十分通用すると思っていますので、この二〇年間の学問的成果を加えて、このたび前著の改訂版を出すことにしました。

 いわば、パチンコ店の新装開店≠ンたいなものです。

 では、なぜ今になってわざわざ二〇年前の論を蒸し返そうと考えたのでしょうか?

 それは、国語教育界の現状をこれ以上座視するに忍びなかったからです。

 現在、子どもの「学力低下」が大きな問題になっています。このことについては既に論が出尽くした感があり、基本的には個々の教師の力を超えた社会的要因が根本にあるのは明らかです。

 しかし、教育界内部の問題としては、教師の指導力の低下、指導技術の拙劣さを要因の一つとして挙げなければなりません(評価の問題も、「子どもに対する評価」から「学校評価」へ、さらに最近では「教師の評価」へと、教育ジャーナリズムの関心も移ってきています)。

 最近、教育界の視野の狭さを是正する意味で、学校経営に民間人の登用が盛んに行われています。それにはプラス面も多々ありますが、「教育なんて素人にもできる、とくに国語の教師は、日本人ならだれだってできるんだ」というような印象を与えかねません。また、そういう印象もあながち否定できないような授業にお目にかかることがあるのも残念ながら事実です。

 「公立校の先生方が、なんと予備校の先生の講習を受けた」

という報道もありました。

 小・中学生に尋ねてみると、

 「学校の先生より塾の先生の方が教え方がうまいから、おもしろいし、わかりやすい」

といいます。また、

 「素人の先生の方がいろいろなことを知っていて、新鮮でいい」

という声もあるくらいです。

 世間にそういう印象を与えないためには、教育の専門家としてのプロフェッショナルな指導技術を身につけていることが教師には要求されます。

 そこで本書は、教師の指導技術の基礎・基本を論じました。

 経済界では「失われた一〇年」とよく言われますが、国語教育界では、授業研究や指導技術の研究に関する限り「空白の二〇年」といっていい状況があります。

 たとえば、最近、ある有力な国語教育雑誌で「絶対評価」の特集を組んだことがありましたが、論者のだれ一人として、ブルームの名を挙げた者はありませんでした。

 たしかにブルームは一時的なブームで、間もなく忘れ去られました。しかし、温故知新を持ち出すまでもなく、絶対評価が叫ばれるようになった今日、そのプラス面・マイナス面も含めて再検討すべきです。

 「発問」についても同様で、これも「『考える力』を育てる発問づくり」という同誌の特集の中で、体系的に発問を論じた人はありませんでした。

 いくら子ども中心の学習が大切だといっても、それは授業の場面でのことであって、指導計画を立案する段階では授業のオルガナイザー(組織する者)としての発問の研究は不可欠なのです。

 しかし、これらの分野で目新しい研究は最近ほとんど見られません。

 そこで私は、あえて旧著の考えを今日再び世に問うことにしました。教育界の現状を見ると、

 ・ 支援あって指導なし

 ・ 活動あって学習なし

 ・ ハウツーあって理論なし

といえます。その根本にあるのは、教師の不勉強に由来する自信のなさでしょう。更に根底には、超多忙による研究時間の少なさという現状があります。これには、教育を大切にしない日本の教育政策の責任が問われなければなりません。また、何でも教師や学校を叩けばいいという一部のマスコミの不見識も糾弾されなくてはなりません。

 こうした状況をこのままで放置することは、日本を亡ぼすことに連なります。

 そういう厳しい状況があることを十分承知の上で、なお、学校の先生方には理論的研究を忘れないでいただきたいのです。普段は忙しくて無理なら、その灯を消さないで夏冬のまとまった休暇中(それでもまるまる休めるわけではないが)に充電してほしいというのが私の願いです。

 私は、ときどき小・中学校で先生方を対象に話をすることがありますが、そのとき必ずいわれることは、

 「明日の実践にスグ役立つような話をしてください」

という注文です。そこで私は答えます。

 「私にはそれはできません。しかし私の話は来年の実践にはいくらかお役に立つかもしれませんよ」

と。世はインスタント時代。先生方も手っとり早い即効薬を求めているのでしょうか。そのくせ先生方は、子どもたちに向かっては、

 「すぐ答えを見るのではありません。答えを出す途中の過程が大切なのです。だからよーく考えなさい」

と言うでしょう。

 それならば先生方ご自身も、安易な答えを求めず、根本原理を、理論を、勉強していただきたいのです。図書室に並んでいる職員図書にしても、教材の扱いの載っている教育雑誌は手垢で汚れているが、『ピアジェの発達心理学』などという堅い本は真白なままで読まれた形跡がないという情景をよく見かけます。

 これではいけません。すぐ役立つということは、またすぐに役立たなくなってしまうことなのです。理論を軽視する人はすぐに行詰ってしまいます。この本は「国語の授業の(具体的)方法」ではなく、「方法論」です。この本は、子どもに直接どう教えたらいいかということはあまり書いてありません。この本の目指すところは、先生方ご自身が授業に臨む前に身につけておいていただきたいことなのです。

 ドイツの哲学者カント(Kant)になぞらえていうと、

 「理論なき実践は盲目であり、実践なき理論は空虚である」

のです。

 このことばは、実践家にとっても研究者(自分の授業について理論的に考えていこうとする人は皆研究者です)にとっても戒めとなるものです。研究者の側からいうならば、とくに「教科教育学」は、必ずどこかで実践と結びついていなければなりません。そうでなければ中味のない空理空論になってしまいます。しかし実践と結びつくといっても、それは必ずしも明日の実践にすぐ役立つという性格のものではないはずです。いわば辞書づくりのような作業といってもいいでしょう。辞書に載っているある語の意味は、個々の文章・文脈に当てはめてみると、必ずしもぴったりとはしません。そのかわり、どういう場合にも妥当するのです。つまり、個々の用法を抽象した一般的な意味が辞書には載っているのです。そうした一般的な意味を個々の具体的な文脈に合わせて解釈するという作業は、実践家としての読み手自身が行わなくてはなりません。この本もただ受け身の姿勢ではなく、これを自分の実践にどう生かすかということを絶えず考えながら読み進めていただきたいというのが私の願いです。また、そういう立場からみると、いろいろな欠点や不十分な点がたくさんあると思います。そうした点については、どうか厳しい批判をお願いしたいと存じます。

 私自身は、国語科教育学を、単なる「術」ではなく、垣内松三以来の悲願である「教育科学」として成立させたいと考えている一人です。この本は、表現としてはやさしく・わかりやすく書くよう心がけたつもりですが、内容的には理論書を目指したものです。

 私は次のような方々を頭に思い浮かべながら、その方々に自信と勇気を持っていただきたいという思いで本書を書きました。

 a ベテランの先生方に―ご自分の授業に新しい光を当てて見直していただくため

 b 初任者の先生方に―プロとしての第一歩を自信をもって踏み出していただくため

 c 教育実習生に―授業を組織する仕方を学んでいただくため

 d 国語科教育専攻の大学院生やゼミ生に―国語科教育の指導技術を理論的に考えるため

 e その他、国語の授業に関心を持って下さる多くの方々に―ハウツーの土台に必要な理論を理解していただくため

 本書の大部分は、旧著『国語の授業方法論』(一光社 一九八三)に基づいていますが、その他にも次の拙著・拙論から一部を手直しして転載してあることをお断わりしておきます。また、「注」については、読みやすさを考え最小限に止めました。旧著には注を多くつけておきましたので、もっと詳しく知りたいという方は、それを参照して下さい。


 ・第T章二、三、……『レトリックを作文指導に活かす』第U部(明治図書 一九九三)

 ・第W章二、三、……「『評価規準表』を分析する」、「教育フォーラム」34号、九六―一〇八ページ(人間教育研究協議会編 金子書房 二〇〇四)

 ・第X章二、三、……『授業に役立つ文章論・文体論』(共著)第T部(教育出版 一九八五)


 最後に、本書を他社から出版することを快くお許し下さった一光社の鈴木社長、また、転載を許可して下さった教育出版と金子書房、さらに旧著に新たな生命を吹き込んで下さった明治図書の江部満氏、以上の方々に厚く御礼申し上げます。


  二〇〇四年一〇月   /井上 尚美

著者紹介

井上 尚美(いのうえ しょうび)著書を検索»

1929年 東京都に生まれる。

1952年 東京大学文学部哲学科卒業。公立中学校教員,東京学芸大学教授を経て,現在創価大学教授。言語教育専攻。

※この情報は、本書が刊行された当時の奥付の記載内容に基づいて作成されています。
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    • 校内研究授業の分析等に生かすのに参考になった。
      2020/7/11Suga

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