- はじめに
- 第1章 小学校教室で、何故、物語の授業をするのか
- 1 物語を教室で詳しく読むことの意義―「私の読書」と「私たちの読解」
- 2 小学校国語教室で物語を読むことのゴール―「作品の心」と「主題」
- 第2章 物語の教材研究の観点
- 1 物語を読むことの学習過程
- 2 教材研究の観点「場面」―すべての物語は場面からできている
- (1) 「場面」を「時・場・人物」の観点から検討する
- (2) この物語は、どうして七場面なの?
- 3 教材研究の観点「あらすじ」―場面の数が「あらすじ」の文の数
- 4 教材研究の観点「人物」―残雪は「人物」? それとも「鳥」?
- (1) 「かさこじぞう」の「人物」―石の地蔵様は登場人物?
- (2) 「おおきなかぶ」の「かぶ」は「人物」?
- (3) 「ごんぎつね」の「人物」―「ごん」は人間ではなくキツネ
- (4) 「海のいのち」と「人物関係図」
- 5 教材研究の観点「構成」―物語の基本構成と四つの型
- (1) 物語の基本構成「前ばなし場面」
- (2) 物語の基本構成「出来事の展開場面」
- (3) 物語の基本構成「クライマックス場面」
- (4) 物語の基本構成「後ばなし場面」
- (5) 物語の構成の「四つの型」
- 6 教材研究の観点「視点」―話者は誰に寄り添い、誰の心を直接描いているか
- (1) 視点の学習@「一人称視点の物語と、三人称視点の物語」
- (2) 視点の学習A「三人称限定・全知・客観視点」
- (3) 視点の学習B「視点を変換して文章化」
- 7 教材研究の観点「変容」―三つの大きな問いと詳細な読解
- (1) 「初読の感想」から、「作品の心」へ
- (2) 「大きな三つの問い」をもとに詳細に読解する
- 第3章 「お手紙」の教材研究
- 1 小学校国語教師の私と、アーノルド・ローベル「お手紙」
- 2 「お手紙」の教材研究T―「出来事の流れ」の把握
- (1) 場面の構成
- (2) 基本構成とクライマックス場面
- 3 「お手紙」の教材研究U―「大きな変容」 誰の心が大きく変わるのか?
- (1) がまくんの「悲しみ」と「喜び」
- (2) 「悲しみから喜びへ」と大きく心が変わったのは、がまくんだけ?
- (3) かえるくんの「悲しみ」と「喜び」とは何なのか?
- (4) もう一つのかえるくんの「悲しみ」と「喜び」
- (5) 三つ目のかえるくんの「悲しみ」と「喜び」
- (6) 再び、もう一つのがまくんの「悲しみ」と「喜び」
- 4 「お手紙」の教材研究V―「お手紙」の優れた教材性
- 第4章 「ごんぎつね」の教材研究
- 1 小学校国語教師の私と、新美南吉「ごんぎつね」
- 2 「ごんぎつね」の教材研究T―「出来事の流れ」の把握
- (1) 「ごんぎつね」は、「六つのまとまり」の物語
- (2) 「ごんぎつね」は、「六章・八場面」構成の物語
- (3) 「ごんぎつね」は、「秋」の「半月」の出来事を描いた物語
- (4) 「ごんぎつね」の「あらすじ」をまとめる
- (5) 「クライマックス場面」で完結する「ごんぎつね」作品全体構成
- 3 「ごんぎつね」の教材研究U―「大きな変容」の詳細な読解
- (1) 最後のごんは、「幸せ」? それとも「不幸せ」?
- (2) ごんは「子ぎつね」、それとも「小ぎつね」―「前ばなし場面」の重要性
- (3) ごんの「後悔」と「つぐない」
- (4) ごんの「穴の中での後悔」は、勝手な思い込み?
- (5) 「ごんぎつね」が描く、最も大きな変容とは何か?
- 4 「ごんぎつね」の教材研究V―二つの「ごんぎつね」
- (1) 定本「ごんぎつね」と草稿「ごんぎつね」
- (2) 「もう一つの『ごんぎつね』」が投げかける課題
- 第5章 「海のいのち」の教材研究
- 1 小学校国語教師の私と、立松和平「海のいのち」
- 2 「海のいのち」の教材研究T―「出来事の流れ」の把握
- 3 「海のいのち」の教材研究U―「大きな変容」の詳細な読解
- (1) 「海のいのち」の内包する「必然の問い」
- (2) 何故、太一は、与吉じいさに無理やり弟子入りしたのか?
- (3) 太一の追い求めた「夢」とは何か?
- (4) 与吉じいさの「村一番の漁師」と、太一の「本当の一人前の漁師」
- (5) 太一の夢と「父の海」と「母の悲しみ」
- (6) 太一の「夢」と、太一の「逡巡と葛藤」
- (7) 太一の見た「青い宝石のような目」と「おだやかな目」
- (8) 与吉じいさと父の二人は「海に帰った」の意味すること
- (9) 太一は、だから、モリを下ろした
- (10) 後ばなし場面が描く、その後の「太一の生涯」
- 終章 国語教師として、今―物語の教材研究に終わりはなく
- 1 初めての国語の研究授業―新採用研修「大造じいさんとがん」
- 2 向山洋一「分析批評の授業」との出会い
- 3 西郷竹彦「文芸学理論」との出会い
- 4 大西忠治「科学的な『読み』の理論」との出会い
- 5 大村はま「単元学習」との出会い
- 6 そして今、国語教師として―「物語の教材研究」に終わりはなく
はじめに
新潟で十年、筑波大学附属小学校で二十四年、数え切れないほどの物語の授業をしてきました。
日本中の都道府県すべての様々な国語研究会で、その街の子どもたちと物語の飛び込み授業をし、その街の先生方と物語の授業づくりを一緒に学んできました。
数十冊の国語教育の著書を出版し、その多くの本で、物語の教材解釈を世に問うてきました。
そのたびに、物語に描かれた言葉を読み返し、そして、自分なりの読みを創ろうとしてきました。
最後の最後に、大きなかぶがやっと抜ける。かぶを抜こうと引っ張ったのは、おじいさん・おばあさん・孫・犬・猫・ねずみ。何故、このような人物が、このような順番で登場するのか。
自分に書いてくれた、かえるくんの手紙の言葉を知ったとき、がまくんは思わず、「ああ。」と声を発してしまう。そのわずか二文字に込められた、がまくんの思いとは何なのか。
あの夜、お医者様の背中で、豆太は、モチモチの木に灯が美しく輝いているのを見る。どうして、それが豆太にとっては「不思議なもの」だったのか。
火縄銃で倒れたごんは、「おまえだったのか。いつも、くりをくれたのは。」と兵十に問われ、目をつぶったまま、うなずく。そのごんは、涙を浮かべていたのか、それとも、微笑んでいたのか。
ゆみこに一輪のコスモスを手渡し、汽車に乗っていった父。その別れの日から十年後に描かれる場面の意味することは何なのか。母のミシンの音、コスモスのトンネル、小さなお母さんのゆみこ……。
大造じいさんは、「いまいましいやつ」から「えらぶつ」へと、がんの頭領・残雪への認識を大きく変える。そう思うようになったのは、いったい、どんな残雪の姿を見たからなのか。
太一が、水の中に吐いた銀のあぶくと、ふっと浮かべた微笑み。太一は、殺そうと構えたモリの刃先を下ろした。何故、あの巨大なクエを「おとう」と呼び、「海のいのち」と思えたのか。
そして、これらすべての物語が、読者である私に、「生きるってね、人間ってね……」と最も強く語りかけてくることは、どのようなことなのか。
昭和、平成と数十年にわたり、幾度も幾度も、たくさんたくさんの物語たちを読んできました。
そして、子どもたちとたくさんたくさんの授業をしてきました。
けれども、教え子たちには申し訳ないことに、その時々の教材研究は、きっと、拙く、薄く、浅い。
ただ、それが、その時々の私の精一杯の読みだったことだけは自負しています。
令和の今、あらためて、物語を読んでみます。
アーノルド・ローベルの「お手紙」。新見南吉の「ごんぎつね」。立松和平の「海のいのち」。
本書では、これら三編を中心に、物語の教材研究について詳述しました。そのすべては、これまでの数十年の試行錯誤を踏まえたものであり、そして、令和の今における「私の精一杯の読み」です。
本書が、読んでいただいた先生方の「明日の物語の授業づくり」に、ほんの少しでもお役に立てることを心から願っています。
桃山学院教育大学教授 /二瓶 弘行
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- 明治図書
- わかりやすい2023/9/2030代・小学校教員
- よかった2023/9/1030代・小学校教員
- 二瓶先生の物語の教材研究は本当に深く、すごく参考になるものばかりです。2023/1/740代•指導教諭
- 教材研究の大切さがわかる内容でした。2022/12/2440代・小学校教員
- 教材をどのように捉えていくかがとても分かりやすく、何気なく読み流してしまう部分に大事な教材理解になることを知ることができ、一文一文を大事に読もうと思った。2021/11/1950代・小学校管理職