- はじめに
- 第1章 失敗の本質
- 失敗を恐れる私たち
- 「普通はこうする」に囚われる
- 失敗の本質
- @ 人はいかにして学ぶのか
- A 「遊び」にみる学びと失敗
- B 「失敗」の否定=「学び」の否定
- 第2章 失敗を成功に変える40の突破口
- 「時間がない」を突破せよ
- 1 時間に追われる日本の教師
- 気がついたら五時になる
- 「アカウンタビリティ」が増やす業務
- 教師の本分
- 2 「早く帰れる」のはなぜ?:ある先輩教師との出会い
- 時間を消費する教師・創出する教師
- 時間を創出する教師の姿
- 3 「間に合わせる」から「間に合わない」:所見との戦い
- なんで所見に時間がかかるんだろう
- ちょっとずつ書くんだよ
- 4 0→1から1+1+1+…
- 今すぐできる1から始める
- 思考の燃費性能を上げろ
- 5 見えないところで何をしておくか
- 「やる気」を問題にする危険性
- 明日やろう=準備の証
- 6 マルチタスクを叶える秘訣
- 初期投資は最大の効率を生む
- 真面目に不真面目
- 思考力は知識量に比例する
- 「あたりまえ」を突破せよ
- 7 「マニュアル」がもたらす「失敗」
- めあて・まとめ症候群
- 授業への自己効力感とマニュアル主義
- 「やらされ仕事」「こなし」がもたらす負のスパイラル
- 8 研究授業の功罪:「授業のShow」化がチャレンジを阻害する
- 先生たち向けのShow
- 「プログラム」遂行―チェック図式
- 手段を目的化することによる「失敗」
- 9 「ちゃんと」「しっかり」症候群
- 小学生の頃の淡い記憶
- 指摘されないこと=是
- パノプティコンの外に出ろ
- 10 何のため? 誰のため?
- 手段と目的の区分け
- 目的―手段関係をシンプルに描く
- 11 逆転の発想:逆向き設計のススメ
- 自らの型をデザインする自由
- 逆・裏・対偶
- 自由を取り戻せ
- 12 ピンチはチャンス
- 企てと企てのコンフリクト
- 「あたりまえ」を捨てる
- 「思い込み」を突破せよ
- 13 授業熱心で頑張り屋のマキ
- 私が下手なことくらい自分でわかっている
- マキの本心やいかに
- 14 知的好奇心と学習意欲に溢れたジュン
- 好奇心旺盛の功罪
- お願いだからそっとしておいて
- 15 じっくり考え人の輪ができるサトシ
- オリジナル映画をつくろう
- それは先生が間違っている
- 16 ヤンチャで女王様的存在のヒトミ
- 女王の教室
- 悔しかったら満点取ってみろ
- 17 ワタシを疑う私=教師
- 「わからない存在」としての子ども
- あえて自分を「棚に上げる」
- 18 「気」を消して「気」を感じる
- ドラゴンボールの世界線
- 見えないあの子が見えてくる
- 真実は一つじゃない
- 19 「教師」を棚上げするとき
- seamlessな空気・noisyな空気
- ダブル・バインドとメタ・コミュニケーション
- 20 「見立て・見取り・見通す」
- 教師の成長と「見ること」
- 「見立て・見取り・見通す」
- 「二項対立」を突破せよ
- 21 Aなの? Cなの? どっちなの?
- どこからがC児童ですか?
- 全員Aにしちゃダメなんですか
- 22 終わらない信念対立
- 児童中心主義―教師中心主義
- どちらも正しいし、どちらも正しくない
- 23 アウフヘーベン
- AでもBでもないC
- OECD 2030とAARサイクル
- 24 教師が子どもとともに創る
- 子どもの文脈に参入する
- 成功体験がもたらす「企て」と「失敗」
- 25 対話のメカニズム:かけがえのない「私たち」
- 対話とモノローグ
- 矢印
- 相手に「住まう」
- 26 「あいだ」を共有する教師と子ども
- 「あいだ」
- 遊ぶ教師の身体
- 「不測の事態」を突破せよ
- 27 這い回る僕の授業
- 身体へのインストール
- 行き当たりばったり
- 28 子ども主体のワナ
- 子どもの話をどこまで聞けるのか
- そうして子ども主体は消えていく
- 予測不可能性への許容
- 29 環境に働きかける
- 主体的であるとは何か
- 自発性と内発性
- 30 制約が思考を駆動させる
- 風呂敷広げすぎ問題
- 既有知識・駆動発問・足場かけ
- ダブルダイヤモンド
- 31 逆向き設計のススメ
- 枠組みをもつメリット
- 登山型カリキュラム+α
- 32 仲間
- 教えるか―教えないか論争
- そう思うあなたは何なのか
- 仲間とともに
- 33 予測可能性と予測不可能性
- 予測可能な「不測」
- 予測不可能な「不測」
- 番外編としての「不測」
- 「自分」を突破せよ
- 34 感情的な負の連鎖
- 一生懸命になればなるほど
- 感情労働者としての教師
- 教師の社会情動的スキル
- 35 しつこいよ、先生
- 目に見える事柄の裏側
- ごんの気持ち
- 騙し絵
- 36 すべては子どもが教えてくれた
- 私を相対化する私
- シングル・ループとダブル・ループ
- 37 矛盾した存在としての教師
- ハング・パーラメント
- 中動態としての教師
- 38 力が湧くのはどんな人?
- 主意主義と主知主義
- 「交換」から「贈与」へ
- 39 失敗したっていいじゃない
- 「失敗」を前提とする
- わからなさへの開かれ
- 「学び続ける」の本来的な意味
- 40 成長的マインドセット
- 自分は変えられる
- リフレクション
- おわりに
はじめに
教員という仕事に希望をもてないという声が後を絶たない。「どうしてこんなこともできないの」と指摘を受け、「学級が落ち着きない」と日々指導される。しかし、どうしたらいいのかわからず、一人悶々としているうちに、いつしか感情を失ってしまった。希望をもって教職についたはずのある若手教員の叫びを耳にし、身につまされる思いになる。
そもそも、「学び」に「失敗」は不可欠である。「うまくいかない」からこそ、私たちは「自分」を越境し新たな旅に出る。「学びの条件」であるといってもよい。それは教師にとっても同じことだろう。「学び続ける教師」というスローガンをことさら持ち出すまでもなく、一人一人異なり、さらに日々変わりゆく子どもたちを前に授業を行う私たちは、絶えず「わからない」「うまくいかない」に向き合いながら、自分を更新させていかざるを得ない。その意味で、教師は誰よりも「学び」に開かれている存在であるといってよい。
それにもかかわらず、予測可能性と合理性に支配された社会システムにおいて、「学びの条件」である「うまくいかない」や「失敗」は、絶えず条件プログラムに反する「エラー」として感知されてしまうようだ。
確かに、そうした社会システムによる恩恵も多々あることだろう。しかし、それらに過度に依存し、「揺らぎ」が消失した現代社会において、「エラー」への糾弾を恐れて生きる私たちの安心安全が脅かされていないだろうか。何よりも教師たち自身が、そのことへの「生きづらさ」を感じているように思われてならない。「失敗」が「学びの条件」である以上、「失敗」自体が問題なのではなく、「失敗」に開かれ、そこから学び、ともに高め合い、よりよい何かを創出することこそが重要であるはずだ。学びの源泉が「エラー」として断罪される界隈で、「学び続ける」子どもたちが果たして育まれ得るだろうか。
本書には、私自身の「失敗」が数多く列記されている。お読みいただければわかるが、決して素晴らしい教師だったわけではない。勘違いされては困るが、そうした「失敗」を肯定するつもりはないし、美談にするつもりもない。ただ、私たちは「失敗」「うまくいかない」に絶えず開かれながら、自己更新を繰り返していくより他ないのだ。それが、自分の中だけではなく、隣の誰かに、職員室の誰かに、志を一にする仲間に、ともに開かれ合うことを願ってやまない。日々奮闘するすべての教師に敬意を表しながら。
二〇二五年六月 /久保 賢太郎
-
- 明治図書