- はじめに
- 1章 インクルーシブ教育と道徳科
- インクルーシブな道徳科の実現のために
- 特別な支援が求められる子どもたちを理解する
- インクルーシブ教育としての合理的配慮やユニバーサル・デザインを考える
- 「困り感」への支援と道徳学習の両面から授業構想する
- モラルラーニング・スキルの視点から生き方学習としての道徳科授業を構想する
- 2章 道徳科授業で押さえておくべきインクルーシブな視点
- 視点1 教室環境
- 視点2 人間関係構築
- 視点3 教材選択
- 視点4 教材提示・教具
- 視点5 学習形態
- 視点6 話し方・聞き方
- 視点7 説明と指示
- 視点8 発問
- 視点9 問い返し発問
- 視点10 板書の基本
- 視点11 板書の工夫
- 視点12 表現活動
- 視点13 体験的な活動
- 視点14 評価
- 視点15 評価の生かし方
- 3章 インクルーシブの視点を入れた道徳科授業づくり
- 1年生 B−(7)親切,思いやり ほんの少しの動作化で気持ちがくみとれる授業をつくろう
- 1年生 B−(7)親切,思いやり 学習形態の工夫で「全員参加」の授業を行おう
- 2年生 C−(12)規則の尊重 スケール表を活用して,自分の考えを表そう
- 2年生 B−(9)礼儀 書く活動と役割演技でメリハリのある授業展開にしよう
- 3年生 A−(3)節度,節制 可視化と確認で共に学び合う授業を行おう
- 3年生 C−(12)規則の尊重 場面絵や人物絵で道徳的場面の理解を支援しよう
- 4年生 A−(2)正直,誠実 誰もが安心して参加できる授業づくりをしよう
- 4年生 B−(10)友情,信頼 教材提示の工夫で誰もが自分事として考える授業を行おう
- 6年生 C−(12)規則の尊重 「できる」「わかる」で全員参加の授業にしよう
- 6年生 B−(7)親切,思いやり 視覚支援で思考を明確にした授業を行おう
- 6年生 A−(3)節度,節制 視覚的な支援でよりよく自己を見つめよう
- 6年生 A−(1)善悪の判断,自律,自由と責任 時間の構造化で安心して発表できる授業を行おう
- 4章 インクルーシブの視点を入れた道徳学習評価とその活用
- 子どものよさを生かす道徳学習評価
- 子どものよさを見取る意味
- 子どものよさを見つけるための方法
- 子どものよさを開花させる手立て
- 5章 インクルーシブ教育×道徳科Q&A
- Q1 教材の内容を理解できない子には,どのような支援が考えられるでしょうか?
- Q2 本時のねらいを自分事と捉えるようにするためには,どのような支援が考えられるでしょうか?
- Q3 登場人物の気持ちを考えることや表現することが難しい子には,どのような支援が考えられるでしょうか?
- Q4 本時でつかんだ価値をしっかり理解させるには,どんな手立てがあるでしょう?
- Q5 登場人物の気持ちや考えたことを書けない子には,どのような支援が考えられるでしょうか?
- Q6 自分のことを振り返ることができない子には,どのような支援が考えられるでしょうか?
- Q7 友達の発言や経験談を聞くことができない子には,どのような支援が考えられるでしょうか?
- Q8 そもそも道徳なんておもしろくないという子には,どのような支援が考えられるでしょうか?
- おわりに
はじめに
もう30年も前のことです。編者は地方国立大学へ移籍する前,首都圏の公立学校教諭として勤務していました。若さという勢いだけを頼りに,特定の指導方法論に縛られないそれこそ自由奔放な「道徳の時間」の授業実践に明け暮れる楽しい時代でした。そんなある日の教室で,思いがけない,H君のたったひとりの道徳授業ボイコットに遭遇しました。
「オレ,もう止めた! みんなが何言っているのか,ちっともわからない!」道徳の時間にH君が突然叫んで教室を飛び出そうとしました。慌てて,「待ちなさい! どうしたっていうんだ!」と叫びながらH君を制止したのですが,そのときに編者に向けられた彼の悲しそうな必死で訴えかけるような瞳が今でも昨日のことのように思い起こされます。
いつも感性を研ぎ澄ませたするどい発言を浴びせてくるH君,直感的ではあるが屈託のないH君,小学校3年生としては大人びたような,それでいて幼児のような言動をするH君,担任としてどう理解してよいのかわからず戸惑うことばかりでした。その当時は,「なんであんなにムラがあるのか?」「あの強いこだわりの原因は何だろう?」「もしかして,自分の授業の進め方が何か間違っているのかな?」とあれこれ考えを巡らし,教室に向かうのが憂鬱になってしまうことも正直なところ一度や二度ではありませんでした。
そんな中で,ふと気づいたことがありました。H君が暴れるのは,きまって国語科や道徳の時間のときだったのです。そして,それも毎回ではありませんでした。その日に学習する教材内容に左右されるのでした。あるとき,「あっ!」と気がつきました。H君は,長文の児童文学作品や道徳感動教材がとても苦手だったのです。道徳授業で例示するなら,H君は登場人物相互の関係性,置かれた道徳的状況等が明確であれば,対比的に捉えて人物の内面的理解ができるのです。ですから,役割演技やグループ討論等で考えるような授業は問題なく参加できるのですが,感動教材を子ども自身がじっくりと自己内対話をして考えるような学習,これこそがH君がたまりかねたように癇癪を起こすときだったのです。
今さら悔いても仕方ないのですが,H君は今日でいうところの「合理的配慮」を必要とする発達障がいの傾向をもつ子どもだったに違いありません。ある学習では優れた洞察力が発揮されて大人顔負けのするどい観察眼を発揮するのですが,もう一方の学習では教科書等の教材をきちんと読み込めば容易に理解できそうなことが全く理解できないのです。そんなH君の道徳授業ボイコット事件があってから,国語科や道徳の時間の授業では教材を丁寧に提示し,みんなでまず登場人物の関係や置かれた状況,場面推移を十分すぎるくらいに押さえてから本質部分に切り込むような指導スタイルに切り替えました。ほろ苦い思い出です。
令和3年文月 /田沼 茂紀
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- 明治図書
- 具体的な事例がたくさんあり、実際に試してみたいものが多かった。また、子どもの見方について、視野が広がった。2021/10/2450代・中学校管理職