- はじめに
- 鼎談 最高の国語授業を生むために発問をどう工夫するか
- 実例 最高の国語授業に導く発問
- 物語文
- 1年
- おおきな かぶ
- くじらぐも
- ずうっと,ずっと,大すきだよ
- サラダでげんき
- 2年
- スイミー
- お手紙
- スーホの白い馬
- ニャーゴ
- 3年
- まいごのかぎ
- モチモチの木
- サーカスのライオン
- ゆうすげ村の小さな旅館―ウサギのダイコン
- 4年
- 一つの花
- ごんぎつね
- スワンレイクのほとりで
- 世界一美しいぼくの村
- 5年
- 銀色の裏地
- たずねびと
- 大造じいさんとガン
- 世界でいちばんやかましい音
- 6年
- 帰り道
- ぼくのブック・ウーマン
- 海の命
- 模型のまち
- 説明文
- 1年
- じどう車くらべ
- どうぶつの 赤ちゃん
- 2年
- ロボット
- あなのやくわり
- 3年
- すがたをかえる大豆
- ありの行列
- 4年
- 風船でうちゅうへ
- ヤドカリとイソギンチャク
- 5年
- 固有種が教えてくれること
- やなせたかし―アンパンマンの勇気
- 6年
- 時計の時間と心の時間
- イースター島にはなぜ森林がないのか
はじめに
こんにちは。関西国語授業研究会です。大阪の地で2か月に一度の定例会と,年に一度の全国大会(?)を開催している,(主に発表者にとって)日本一油断できない国語授業研究会です。機会を得て,このような本を出版させていただく運びとなりました。心より感謝申し上げます。
さて。
発問とは,単なる問いかけではありません。
たった一つの発問によって,子どもの思考が動き,対話が生まれ,学びが深まることがあります。それは,オーケストラの指揮者が振るタクトのように,授業の流れを決定的に変え得る力をもつものです。
発問の背後には,必ず教材研究があります。どの資料を読み,どの箇所で立ち止まり,どの言葉に心を動かされたのか。そうした準備の足跡が,問いかける言葉とともに見えてくるのです。同じ教材を扱っていても,どの部分を取り上げるかによって立ち上がる授業の姿は大きく異なります。それは,教師一人一人がもつ教材観の違いにほかなりません。発問とは,教材をどのように読み取ったのかという,教師自身の立ち位置の表明でもあります。
また,発問には授業構想が反映されます。教材のどこをつまむかによって,授業の展開は異なります。導入で問いを立てるのか,中心場面で思考を揺さぶるのか,終末で振り返らせるのか。その位置づけ一つで,子どもの思考の流れはがらりと変わります。そして発問は単独で存在するのではなく,単元全体の構想の中でこそ意味をもちます。言い換えれば発問は,単元という長い物語の流れを際立たせる,接続詞でもあるのです。
さらに,発問には教師の指導観が表れます。どこを示し,何を考えさせるのか。どのような言葉をつぶやき,どのような沈黙を待つのか。その選択によって,子どもの活動も,身につく力も大きく変わります。知識の確認にとどまるのか,思考を深めるのか。対話を広げるのか,価値に迫るのか。発問は,子どもをどこへ導くのかという教師の願いそのものを映し出します。
本書は,そうした発問の背後にある思いを丁寧に言葉にすることを目指しました。単に文例を並べるのではなく,支えている教材観や指導観を明らかにし,その発問がどのような読みから生まれ,どのような学びを希求しているのかを示しています。出来上がった発問だけを取り出せば便利な技法のように見えるかもしれません。しかし,そこに至る思考の道筋こそが教師の財産であると,私たちは考えています。
加えて,本書では別のメンバーによる発問の代案も示しました。このツッコミの切れ味こそ,我ら関西国語授業研究会の真骨頂です。発問は唯一の正解をもつものではありません。複数の可能性を往還しながら,自らの問いを磨いていく。その思考の広がりを大切にしたいと考えました。
本書を手に取ってくださった皆様には,単なる発問集としてではなく,授業を構想するための素材として活用していただければ幸いです。実際の授業で発問を試みることはもちろん,教材の読み直しの手がかりとして,あるいは単元を組み立てる際の視点としてもお役立てください。発問を磨くことは,授業を磨くことにつながります。そして授業を磨くことは,子どもの学びをより豊かにすることにほかなりません。
教室に響く一つの発問が,子どもの心にどのような波紋を広げるのか。その可能性を信じながら,本書が読者の皆様の,日々の実践に静かな光を当てる一助となることを願っています。
著者を代表して /宍戸 寛昌
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明治図書

















