- まえがき
- T 道徳科の特質・目標
- 1 学校での道徳教育の本質
- 2 道徳教育と道徳科
- 3 道徳科の特質
- 4 道徳性
- 5 道徳性発達
- 6 道徳的判断力
- 7 道徳的心情
- 8 道徳的実践意欲と態度
- 9 道徳的実践力と道徳的実践
- 10 道徳的価値と徳目
- 11 道徳的価値観と道徳的価値の自覚
- 12 道徳的習慣と道徳的慣習
- 13 道徳的価値の補充・深化・統合
- 14 道徳教育と道徳科の目標
- 15 道徳的諸価値の理解
- 16 多面的・多角的な道徳的思考
- 17 自己の生き方についての考えを深める学習
- 18 道徳科での「主体的・対話的で深い学び」
- 19 道徳科で育む資質・能力
- 20 考え,議論する道徳
- 21 OECD Education 2030と今後の道徳教育
- 22 4つの視点と内容構成
- 23 各教科等における道徳教育
- 24 道徳科カリキュラム・マネジメント
- 25 道徳教育推進教師
- U 道徳科の内容
- 26 善悪の判断,自律,自由と責任
- 27 正直,誠実
- 28 節度,節制
- 29 個性の伸長
- 30 希望と勇気,努力と強い意志
- 31 真理の探究
- 32 親切,思いやり
- 33 感謝
- 34 礼儀
- 35 友情,信頼
- 36 相互理解,寛容
- 37 規則の尊重
- 38 公正,公平,社会正義
- 39 勤労,公共の精神
- 40 家族愛,家庭生活の充実
- 41 よりよい学校生活,集団生活の充実
- 42 伝統と文化の尊重,国や郷土を愛する態度
- 43 国際理解,国際親善
- 44 生命の尊さ
- 45 自然愛護
- 46 感動,畏敬の念
- 47 よりよく生きる喜び
- V 道徳科の授業づくり
- 48 道徳教育全体計画
- 49 年間指導計画と別葉
- 50 内容構成の重点化
- 51 特別な支援を要する児童生徒への配慮
- 52 現代的な課題の取扱い
- 53 道徳科教科書
- 54 多様な教材活用とその要件
- 55 文部省・文科省教材,郷土教材の活用
- 56 自主開発教材の活用
- 57 教材吟味と分析
- 58 主題とねらいの設定
- 59 読み物教材の登場人物への自我関与が中心の学習
- 60 問題解決的な学習
- 61 道徳的行為に関する体験的な学習
- 62 教材提示
- 63 基本発問,中心発問,補助発問
- 64 場面発問,テーマ発問
- 65 ペア学習・グループ学習
- 66 ホワイトボード・ミーティング
- 67 ワールドカフェ
- 68 協同学習
- 69 道徳ノート,ワークシートの活用
- 70 動作化,劇化,役割演技
- 71 道徳的追体験と道徳的体験
- 72 構造的な板書
- 73 説話・道徳小話
- 74 ティーム・ティーチング
- 75 ゲストティーチャー
- 76 ローテーション道徳
- 77 ICTの活用
- 78 道徳通信
- 79 家庭や地域との連携
- 80 道徳科における個人内評価
- 81 道徳科における評価の視点
- 82 道徳科で学習評価を進めるための工夫
- 83 自己評価,他者評価
- 84 ポートフォリオ評価
- 85 エピソード評価
- W 様々な指導法
- 86 道徳価値葛藤論
- 87 新価値主義論
- 88 道徳的価値の一般化
- 89 道徳資料の活用類型,価値観の類型
- 90 資料即生活論
- 91 価値の主体的自覚論
- 92 総合単元的な道徳学習
- 93 構造化方式
- 94 統合的道徳教育
- 95 価値の明確化
- 96 モラルジレンマ
- 97 モラルスキルトレーニング
- 98 ウェビング
- 99 インテグレーティブシンキング
- 100 ユニバーサルデザイン
- 101 パッケージ型ユニット
- X 道徳の歴史
- 102 宗教・哲学・倫理学と道徳
- 103 修身科と徳育論争
- 104 教育勅語と修身教育
- 105 国定修身教科書
- 106 社会科教育と道徳教育
- 107 国民実践要領と戦後道徳教育論争
- 108 道徳の時間の設置
- 109 「特別の教科 道徳」(道徳科)の成立
- Y 諸外国の道徳
- 110 アメリカの道徳教育
- 111 ドイツの道徳教育
- 112 フランスの道徳教育
- 113 イギリスの道徳教育
- 114 韓国の道徳教育
- 115 中国の道徳教育
- 116 シンガポールの道徳教育
- Z 人物
- 117 ソクラテス
- 118 カント
- 119 ヘルバルト
- 120 デューイ
- 121 ピアジェ
- 122 コールバーグ
- 123 西村茂樹
- 124 廣池千九郎
- 125 天野貞祐
- 索引
- 執筆者一覧
まえがき
平成から令和へと時代が移ろい,我が国の道徳教育は今まさに道徳科新時代の只中にある。その直接的な契機となったのは,平成27(2015)年3月27日の中央教育審議会答申「道徳に係る教育課程の改善等について」を受けて文部科学省が告示した学習指導要領一部改正によってである。その改正で我が国の義務教育諸学校には新たに「特別の教科 道徳」=道徳科が設けられ,小学校及び特別支援学校小学部については平成30(2018)年度より,中学校及び特別支援学校中学部については平成31・令和元(2019)年度より全面実施されたのである。このような大転換は,戦前の修身科時代,戦後の昭和33(1958)年9月から60年の長きにわたって続いてきた「道徳の時間」時代に次ぐものである。
この「特別の教科 道徳」=道徳科が学校教育に位置づけられた背景には,平成23(2011)年に滋賀県大津市内の中学校で発生したいじめ自殺事件等を契機にした実効性の伴う道徳教育を求める世論の後押しがある。終戦後の混乱期を経て特設された「道徳の時間」は学校の教育課程において教科外教育として長きにわたって位置づけられ,実施されてきたが,国民のイデオロギーや価値観の変化,多様化に伴って道徳教育忌避感情や軽視傾向を背景にした建前道徳,実効性の伴わない裃を着た形骸化道徳と揶揄されながら平成まで至ってしまった。その間,子どもたちを取り巻く社会状況は激変し,実効性ある「考え,議論する道徳」への転換は必至となった。ここが「特別の教科 道徳」=道徳科の出発点である。
本書は,これから新たな時を刻み続ける令和の道徳科新時代が学校教育の中で有効に機能していくことを側面から支えるために企画されたものである。これまでも,「道徳教育は難解な用語が多くて理解できない」とか「なぜそんな言い回しをするのかわからない」といった批判も少なくなかった。その要因は様々な学問的バックグラウンドを背景に理論構築され,発展してきた道徳教育固有の事情があるためである。事実,道徳教育には難解ともいえる重要な専門用語が少なくない。ならば,それを他の用語に置き換えて本来の意図を十分に伝えられるかと吟味すれば,それはそれで難しい。この道徳教育が直面する重要語句を事典にしてわかりやすく解説しようと取り組んだのが本書の刊行企画意図である。
折しも,本書の出版企画が始動したのは我が国のみならず,全世界が新型コロナウイルス感染症に席巻されるという異常事態下であった。いわば目に見えざる脅威と真っ向から対峙し,素手で立ち向かうような何とも危うい未知の感染症との戦いの只中での取り組みであった。そんな中で,この時期に『道徳科重要用語事典』を刊行した。編著者として偽らざる必至の覚悟であったことをあえて吐露しておきたい。
人類はこれまでの歴史の中で,累々とその叡智を蓄積してきた。例えば,感染症に関しても過去にペストやスペイン風邪といった歴史上の感染症被害を幾度か被ったことで歴史的事実に基づく予備知識をもっていた。しかし,それがいざ新たな現実となり,目の前ののっぴきならない不可避的な自分事となれば,それはやはり別物である。ましてや,その新型ウイルスを制圧するワクチンも未開発とあれば,ことはまさに由々しき事態となって現代に生きる私たちに迫ってくる。また,コロナ禍は普段は理性によって抑圧されている人間の本能的な断片を露呈させもした。例えば,「自粛警察」とか「不謹慎狩り」といった心ない言葉の下,医療関係者やコロナ禍時代に自らの信念として状況に抗するような人,コロナウイルス感染症罹患者へのいわれなき差別や中傷が平然と行われている現実がある。人種差別や村八分的ないじめの台頭は,道徳性との関連においてどう理解されるべき事柄なのであろうか。コロナ禍であれば他者への誹謗中傷は許されるのか。はたして正当化されるのか。
編著者が学生時代に愛読した1冊に,コンラート・ローレンツの『攻撃 ―悪の自然誌』(T・U編)という本がある。オーストリアの動物行動学者であるローレンツは,本能的な動物の行動は種の維持ではなく,自分自身が遺伝子として生き残るためのものであったと主張した。共同研究者たちとノーベル生理学・医学賞(1973年)を受賞したローレンツは,多くの動物は仲間の動物を攻撃する習性をもっているが,人間も例外なく自然な衝動として他の人間を攻撃する生理的な本能を備えているというのである。現代社会において社会生活を円滑に営もうとすれば,当然のことであるがこの攻撃性は制御されなければならない。しかし,コロナ禍のような異常事態下の社会にあっては本来的な人間の遺伝子に含まれる攻撃性が刺激され,強化される状況が格段に露呈されやすくなる。それが,医療関係者やコロナウイルス感染症罹患者等へのいわれなき差別や中傷となっていると理解できるのではないだろうか。そんな刹那的で殺伐とした社会状況を健全な方向へと修復していく有効な手段となり得るのが,やはり「自分と同様に生きている他者と共により善く生きる」ことを標榜する道徳教育や道徳科教育に違いないと考えるのである。
論語の一節に,孔子の門人であった曽子の「吾,日に三たび吾が身を省みる」という言葉がある。これは人間として生きていく上で生涯つきまとう命題でもある。自己省察することで他者と共により善く生きることを可能にする冷静さ,平常心を取り戻すのである。価値を理解し,他者や人間を理解し,己自身をも理解する学校教育における道徳教育や道徳科教育の場はやはり必要不可欠なものである。
事実,この「まえがき」を書き進めている傍らで今日も全国,全世界で多くのコロナウイルス感染症罹患者が記録され,死亡者も同様に累々とその数を重ねている。こんな逃げ場のない悲惨な社会状況下であっても,私ども執筆者一人一人は各々に託された「善く生きる」という道徳的命題としっかり向き合い,自己内対話をしながら各項目についての解説を平易に噛み砕きながら書き進めてきたことを最後に申し述べておきたい。
2020年10月 編著者 /田沼 茂紀
道徳科の基本的なところやあまり知らないところまで学べる機会となった。