- はじめに
- 第1章 大野街道の往来
- ふるさと半田のなりたち
- 岩滑の生家
- 秋葉さんの常夜燈「花を埋める」
- 通り過ぎて行った人生「音ちやんは豆を煮てゐた」
- 異界への旅―喪失の物語「家」@
- 奇妙なかなしみ―喪失の物語「家」A
- 悲劇の連鎖―異界からの侵入者「ごん狐」@
- 南吉の心象風景―異界からの侵入者「ごん狐」A
- 岩滑新田の養家―養子体験の意味@
- 別の世界に生きる人たち―養子体験の意味A
- 仏様のくにへ行く―人力車の行き交う街道@
- 太郎左衛門の嘘―人力車の行き交う街道A
- 志を抱くみなしご―人力車の行き交う街道B
- 海蔵さんの残した仕事―人力車の行き交う街道C
- 第2章 大道から紺屋海道への往来
- 宮池とビール工場に挟まれた一本道
- 狐にばかされた和太郎さんの〈村〉と〈町〉
- 東京外語時代から書き継いだ童話―母さん狐の問いかけ@
- 〈村〉から〈町〉へ―母さん狐の問いかけA
- 少年小説「うた時計」の背景―一本道の邂逅@
- 映画的手法の少年小説―一本道の邂逅A
- 第3章 安城高女時代と最晩年の童話
- 日本デンマークの安城
- 安城高等女学校と出郷の下宿
- 花のき村の往還
- 追憶の往還を辿る日々
- おわりに
はじめに
本書では3つの往還の行き来という観点から,新美南吉の童話や小説はいかに構想されたか,すなわち珠玉の名作はいかにして生まれたか,について読み解きます。
第一の往還は,半田地域の岩滑(生い立ちの地)から岩滑新田を経て大野(古い港町)に至っています。知多半島を横断するこの街道は「大野街道」(通称・黒鍬街道)と呼ばれ,人力車や牛車や馬車が往来し,大いに栄えました。また,南吉の頃には,ほぼ大野街道に沿って「県道乙川大野線」(のち県道265号線)が開鑿されています。こうした往還の行き来を通して,南吉は「ごん狐」「百姓の足、坊さんの足」「おぢいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」「嘘」「狐」などの着想を得ました。
第二の往還は,岩滑と半田市街地を結ぶ「岩滑街道」と「紺屋海道」です。また,南吉の頃には,古い街道とは別に「県道卯坂半田線」(通称・大道)が新たに開鑿され,岩滑から宮池や煉瓦造りのカブトビール工場(文明の象徴的存在)を経て官鉄(いまのJR)の武豊線「半田駅」や知多鉄道(いまの名古屋鉄道河和線)の「知多半田駅」に至っています。文明の利器である鉄道は,南吉の憧れた外の世界に続きます。すなわち,文化芸術の中心地で多くの文壇人の集う憧れの東京,文化芸術の香りを求めて通った名古屋,高等教育を受けた者にふさわしい処遇を初めて得た安城に続いています。南吉はこれらの往還の行き来を通して,子どもの心理をリアルに描く「うた時計」「家」「耳」「疣」など,少年小説他の着想を得ました。
第三の往還は,安城地域の出郷(南吉の下宿先),駅前の商店街や花ノ木,安城高等女学校(南吉の勤務先)などを結んでいます。この往還は広域の要所を結び多くの人びとの往来する街道とは異なり,身近な地域共同体の人びとの往来する街路や里道です。南吉はこうした街路の往来を通して,自らの心象中に理想的な地域共同体の在り様を思い描き,「花のき村と盗人たち」「和太郎さんと牛」など〈民話的メルヘン〉の着想を得ました。なお,結核という不治の病に侵されていた南吉は,江戸時代に明治用水の原型を計画して名を遺した都築弥厚の業績に心を寄せ,自分の死後にいかなる業績が遺せるのかについて思いを巡らせながら,この往還を行き来しました。
ところで,これまで南吉文学の研究や教材研究では南吉童話には郷土性がある≠ニいう指摘がなされてきました。ただ,そうした見地からの考察は,南吉文学に郷土性が反映している事実を指摘することに留まりがちです。例えば,「ごん狐」の〈はりきり網〉は半田地方に伝わる川魚漁の網である♂]々という説明によって,読者の疑問はとりあえず解消します。しかし,南吉文学の世界を構想するにあたり,郷土性がいかなる役割を担っていたかという本質的な意味,すなわち創作の秘密を読み解くには至らないのです。
南吉文学の世界に郷土性が豊かであることは,南吉の創作方法の必然的な結果に過ぎません。南吉の創作方法とは,3つの往還の行き来を通して,それぞれの地に暮らす人々の言動や風物を見聞きしながら物語の着想を得ること,そのうえで見聞きしたことを自らの人生に照らして意味づけながら童話や小説の構想を練ることでした。
また,本書では南吉文学の舞台となった場所やモデルとなった人物についても考究します。ただ,南吉文学の読者は舞台となった地の実景やモデルとなった人物像を,そのままご自分の心象中に再現する必要はありません。誤読でない限り,南吉文学の世界をどのようにイメージ化して読むかは,読者に任せられるべきでしょう。本書の立場は,南吉が心象中に舞台の地やモデルの人物をどのように思い描いて文学の世界を組み立てたのか,すなわち南吉の物語構想の有り様について読み解くところにあります。
以上のように,南吉文学の郷土性や舞台やモデルの人物について腑分け的に説明を重ねていくことと,南吉文学の文学的価値を究明することとはまったく異なる行為なのだという観点から,本書を世に問いたいと考えます。
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- 明治図書