- まえがき
- T 序論
- 一 戦後国語授業研究論史の変遷
- 1 教育と科学の結合による授業研究
- 2 学力認識の在り方と人間認識の問題
- 二 戦後の年代区分による授業研究の特色
- 1 戦後初期の授業研究状況(昭和二〇年代〜三〇年)
- 2 授業研究の科学化・現代化(昭和三〇年代〜四〇年)
- 3 授業研究の実践化への探究(昭和四〇年代〜五〇年)
- 4 系統学習重視の授業研究(昭和五〇年代〜六〇年)
- 5 授業研究の発想転換期の現状(昭和六〇年代〜平成期年代)
- (1) 「教育技術の法則化」の授業研究論の動向
- (2) 「日本言語技術教育学会」の授業研究論の動向
- (3) 授業の導入改革を図る授業研究
- (4) 授業における学習者研究
- (5) 学習指導案に授業研究への要求を記す
- (6) 子どもの質問から授業研究課題を生む
- (7) 教師同士の問題提起による授業研究
- U 戦後の代表的授業研究論
- ―その課題と提言―
- 一 重松鷹泰「授業分析による授業研究」
- 二 木原健太郎「コミュニケーション過程としての授業研究」
- 三 砂沢喜代次「子どもの思考分析による授業研究」
- 思考過程の分析方法 /砂沢 喜代次
- 一 国語科授業の二、三のケース/ 二 思考過程の分析視点/ 三 思考過程の分析方法
- 学習の「つまずき」の授業研究論―「ごんぎつね」の授業― /鈴木 秀一 /小林 剛
- 授業の質の改善における教授学的考察/ 授業のつまずきということ
- 四 広岡亮蔵「授業改造への授業研究」
- 五 上田薫「ひとりひとりの子どもを生かす授業研究」
- 六 吉本均「授業のドラマをつくる授業研究」
- 七 波多野誼余夫「自己学習能力を育てる授業研究」
- V 戦後国語学習理論の授業研究
- 一 単元学習の授業研究
- 1 単元学習とは
- 2 単元学習の原理的特徴
- 経験と系統 /飛田 隆
- 一 問題の出現/ 二 対処の動向/ 三 対決の促進
- 3 系統学習への転換期の問題
- (1) 学習指導要領の改訂
- (2) 問題解決学習と系統学習の論争
- 二 主体的学習の授業研究
- 1 歴史的に見た主体的学習の変遷
- 2 戦後初期における「主体的学習」
- 中学校(一年)の国語科主体的学習の一実際 /村上 芳夫
- 一 この学習をはじめるに当って/ 二 学習指導の実際/ 三 まとめ
- 3 主体的学習の検討と課題
- 三 範例学習の授業研究
- 1 範例学習の特色
- 2 範例学習の問題点
- 中学校国語科の場合―範例方式的な構造化― /井上 弘
- 四 発見学習の授業研究
- 発見学習の検討と問題点
- (1) 仮説を立てる問題
- (2) 構造化された知識にまとめる問題
- (3) 教材が発見学習に適しているかどうかの問題
- 五 課題解決学習の授業研究
- 1 問題解決学習とは何か
- 2 問題解決学習から課題解決学習へ
- 3 課題解決とは何か
- (小)説明文教材の学習課題の明確化 /福井 松友
- 一 説明文における学習課題/ 二 説明文における基礎的・基本的技能/ 三 説明文の学習過程/ 四 学習課題と教材解釈
- 子どもと共に取り組む課題追究―詩の授業を通して― /岡本 博文
- 一 児童との話し合いで決める課題設定/ 二 課題追究の方法―その明確化―/ 三 課題追究の問題点
- 六 機能的学習の授業研究
- 「作文」の実践例 /花見 安憲
- 1 学習した教材/ 2 学習事項/ 3 内容面から受けた影響/ 4 形式面から受けた影響
- 七 集団学習の授業研究
- 1 集団学習の目的
- 2 集団思考の組織化
- 3 斎藤喜博の分団学習「島小の実践」
- 集団的問題解決のプロセス /木原 健太郎
- 八 プログラム学習の授業研究
- 実践例「鉄と石炭の町」 /矢口 新
- 実践例 /池田 新市
- 一 国語の指導過程とプログラム学習/ 二 プログラム学習による国語の指導過程/ 三 国語の指導過程への期待
- 九 スキル学習の授業研究
- 作文スキルの学習指導―段落の組みたての指導― /中津留 喜美男
- 十 「一読総合法」学習の授業研究
- 論説文「読書とわたしたち」(六年下・学図)の授業例――関係づけ指導を重点におく――
- 十一 学び方学習の授業研究
- 十二 探究学習
- 「くじらぐも」の授業(一年・光村)
- 十三 体験的学習
- 1 自己教育力と体験的学習
- 2 体験学習の効用
- 十四 完全習得学習の授業研究
- 十五 自己教育力を育てる学習の授業研究
- 1 二一世紀の教育をめざす文教施策―教育課程審議会の動向―
- 2 自ら学ぶ力(自己教育力)とは何か
- 3 現状における「自ら学ぶ子を育てる学習」研究について
- 新学力観をふまえた国語科授業の研究
- 「一人ひとりを受けとめ、自己表現させる」授業の実際――二年・作文の授業―― /吉永 幸司
- 1 学習指導案/ 2 授業の実際/ 3 自己実現をさせる促しと対応
- W まとめ
まえがき
戦後の国語教育五〇年の史的変遷を通して、国語教育理論の興亡をくり返した過去の歴史的な社会状況の動向と共に、どの時代においても、みなそれぞれに、その時代特有の教育をつくりあげたいという熱望を新たな形で示そうとするものであることを、あらためて認識させられる。
新しい理論には、新しい原理・法則が論理構造にあり、従来の教育理論の盲点を衝く問題を提起するという価値観をもっていた。また時代の教育的な社会要請と教育理念とが、ともに合致する適時性をもっていた。
しかし、教育理論というものは、それを授業という実践に移してみて、はじめてその客観的価値が認識されるものなのである。
この客観性は、単に実践の経験による判断ではなく、科学的に授業分析し、実証的検討の上に立った客観性でなければならないのである。そこに授業研究の意義が在る。ただし、実証的であれば実践的であるということではない。授業実践には、授業者と学習者相互における人間としての諸々の意識が反映されるからである。
本来、授業研究は、実践者自らが行い、あるいは授業観察を自らし、自ら記録し、その上で子どもの学習目標・内容・方法・評価等、研究の目的に沿って授業分析を行い、所定の研究課題の追求と解決をめざすものである。
この授業研究は、実践の検証として自らの授業を改善する手がかりとなり、改めて授業の工夫をする思索を生むきっかけをつくる効用がある。
さらには、教育理論を実践によって検討し、理論と実践との接近を実現したり、教育理論そのものをより実践的に豊かにすることも可能である。
逆に、授業研究によって既成のよしとされ、世に受け入れられている教育理論の問題点を解明し、盲信していた理論を批判し、新しい理論への創出を示唆することも可能となるはたらきがあり、その効用性は多義にわたるものである。
戦後五〇年における国語教育理論の消長も、授業を科学的・実証的に検討し、問題点と改善・改革の提言をし続けた授業研究者の存在価値を十分に認識しなければならないと考えるのである。
本書『戦後国語授業研究論史』は、戦後から今日までの授業を歴史的・実証的に検討するとともに、これからの新しい時代への動向をふまえての、改善・改革の現実的問題提示と展望を試みようとしたものである。
戦後から今日までの授業の進展をかえりみ、教育行政の視点に立ってみると、昭和二〇年代では「児童・生徒の生活経験の重視」、昭和三〇年代では「系統学習の重視」、昭和四〇年代には「教育の科学化・現代化」が強調され、昭和五〇年代では「基礎・基本的な言語能力の重視」と「個性や能力に応じた教育」「指導内容の精選」が求められてきている。そして平成元年の学習指導要領以来、情意面の学習意欲を重視するとともに、「自ら学ぶ自己教育力の育成」「基礎・基本の重視と個性教育の推進」が強調されている。
こうしたわが国の文教施策の変遷は、単に教育の問題のみではなく、科学・文化の進展に伴う世界の社会状況の変遷にかかわっているといえる。教育理念も一国のものではなく、諸外国の教育思潮を反映し、国語教育に変革をもたらせている。
わが国には、明治以来、欧米の思想や理論を忠実に紹介するという傾向があり、教育に関する理説についても同様である。戦後においてもデューイ、ブルーナー、等をあげることができる。授業理論の紹介を土台として新しい教育理論が次々にうちたてられている。「経験主義教育」「系統主義教育」「自己教育力」を含め「発見学習」「探究学習」「プログラム学習」「スキル学習」「完全習得学習」など、いずれも起点となる学説は諸外国から刺激を受けてわが国でも研究されてきたものである。
これらの多様な教育理論は教育学者、国語教育学者、心理学者、実践者等の立場から提唱され、それぞれの考え方が連続的に継承発展を遂げてきている。あるいは複数の理論を並列的活用により、あるいは総合的に改善・改革したものを展開させてきている。しかし、社会状況の変化に伴う教育への社会的要請にそぐわない面から衰退していった理論が生じたものもあった。
授業研究は「授業をよりよいものに改善し、その研究成果を高めるための目的をもつものである。」そのためには「実際の授業」をよく見ることである。いかに科学的、実証的、分析的に研究をすすめても、教師と子どもとの人間関係を重視し、とりわけ子どもの授業における諸認識について正しくみつめ、つかむ研究でなければならないと考える。
こうした基本的な立場に立って、それぞれの授業研究の目的により、研究論の特色があり、戦後の授業論は多彩である。しかし、授業研究論の問題意識は戦後の国語教育理論に沿ったものでなく、一般の教育理論そのものの課題を授業研究として展開されたものも多く見られる。逆に、国語教育研究者は、国語教育そのものの研究論に止まり、教育学としての授業研究にあまり関心を寄せていなかったようにも考えられる問題を感じてならない。
実践者はどちらかというと、国語指導の立場から国語教育理論の仮説を実現しようとした状況での授業研究、あるいはその改善を考えての研究が多く、教育学的理論の仮説に立つ授業研究への関心はうすかったと思えるのである。
本書では、教育学者の授業研究、国語教育研究者の授業研究を関係づけて自らの授業を改善することにつなげ得るものになるよう配意した構成をとった。
戦後五〇年を経た今日、新しい世紀への展望に立って、教育課程審議会第一回総会が発足(平成八年八月二七日)し、第一五期中央教育審議会の答申をふまえた活動がはじめられている。検討に当たっては、国の方針として、五つの観点が示されている。
1 自ら学び、自ら考える力などをはぐくみ、創造性を育てること。
2 一人一人の個性を生かし、豊かな人間性を育てること。
3 基礎・基本の指導の徹底を図ること。
4 社会の変化に適切に対応すること。
5 各学校段階を通じて調和と統一を図ること。
右の五観点の筆頭にあげられていることは、現行の強調点でもあり、一層この考えを深めていかなければならないであろう。そうした意味からもこれからの授業研究により、国語教育理論・実践の充実を希求するところである。そのためには、これまでの授業の歴史と理論を検討し、新世紀に耐え得る授業改革を考える時に在る。
現状の教育課題を克服し、授業をよりよいものに創出し合い、新しい時代を導く歴史を築いていくためには、歴史の再検討があってこそ実現し得るものと考える。本書がそうした意味で、少しでもその役割を果たせれば幸せである。
終わりに、本書の企画から刊行まで、全般的におせわいただいた明治図書の江部満氏に心から深謝するしだいである。
一九九七年二月四日 著 者
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- 明治図書