- はしがき
- たんぽぽのちえ(小学校二年光村)
- 1 教材本文
- 2 教材のねらい
- 3 文章構成
- 4 指導目標
- 5 指導計画(6時間)
- 6 全発問・全説明・全指示、および授業記録
- [第1時]全体を通読し、難語句について説明する
- 「第2時」形を変えた音読(二人一組)を継続させながら、「段落」に注目させる
- [第3時]形を変えた音読(列送り)を継続しながら、「たんぽぽ」の出現回数を確かめる
- [第4時]二人一組となり、各分担範囲を暗唱する
- [第5時]ワークシートを用いて、@〜E段落を「じく・花」の様子から考える
- [第6時]ワークシートにより、G〜I段落の「じく・花」「天気」から考える(授業記録)
- 7 全発問・全説明・全指示・授業記録の成果と反省
- さけが大きくなるまで(小学校二年教出)
- 1 教材本文
- 2 教材のねらい
- 3 文章構成
- 4 指導目標
- 5 指導計画(12時間)
- 6 全発問・全説明・全指示、および授業記録
- [第1時]題名を読み、内容を予想し、通読する
- [第2時]全文を読んで、感想を書く
- [第3時]文章のあらましをつかみ、学習計画を立てる
- [第4時]さけが川を上る様子と産卵の様子を、時・場所・大きさを表す言葉に注意して読み取る
- [第5時]さけの赤ちゃんの成長の様子を、大きさや様子を表す言葉を手がかりにして、正しく読み取る
- [第6時]さけの子どもたちが川を下る様子を、正しく読み取ることができるようにする(授業記録)
- [第7時]川口のところで生活する、さけの子どもたちの様子を読み取る
- [第8時]広い海での生活と、生き残って大きくなったさけの生活を、「いよいよ」「ぐんぐん」「およぎ回る」などの言葉に注意して読み取る
- [第9時]さけの成長過程を順序正しく表にまとめられるようにする
- [第10時]筆者のさけに寄せる思いについて考え、もっと知りたいことや不思議に思ったことを発表する
- [第11時]さけについてもっと知りたいこと、不思議に思ったことを本で調べる
- [第12時]さけについて調べたことや感心したことなど、自分の考えを作文に書く
- 7 全発問・全説明・全指示・授業記録の成果と反省
- あとがき
はしがき
このたび、市毛・渋谷の共同編集による『授業のための全発問』を刊行し、識者の批正に待つことになった。私どもは、すでに『授業のための教材分析』(一九八三年)を世に問うた。それは一編の教材全部についての授業を強く前提にした教材分析を志したものであった。世には教材研究という名の、その実は作品研究そのものが少なくなかったので、あえて「授業のための……」と銘打つ必要があったのである。ついで私達は、『読みを深める授業分析』(一九八七年)を世に問うた。その時点においては、一編の教材についての全授業記録がないことに授業研究の一つの隘路を痛感していたのである。三度めのこのたびの講座も、前二度の講座の趣旨との関連のもとに構想されたものである。
昨今では、授業研究の成果が、一九五〇年代とは比較にならないほどに、実践的にも理論的にも多様に行われている。その結果の一端として、質の深まりにかかわる実践的、理論的に克服すべき問題点も明らかにされつつある。質の高い授業の成立の契機としては、授業者の深くて広い教材解釈、児童生徒の学習状況の把握、授業展開上の技術、学級経営のあり方など、いくつかの事項があり、それぞれ相互に重要である。ただし、授業の研究においては、諸契機を同時に追究することは不可能である。
そこで、私達は、文章の読解指導における発問づくりを吟味して(児童に問いかける話ことば通りの形に作って)、当該教材の読み取りに必要な発問を順を追って配列して、各発問に、その意味についての解説を付して提示したいと考えた。質のよい発問とその組み立て如何が授業の良し悪しを左右する最も重要な契機であると考えるからである。
例えば「ごんぎつね」(新美南吉)や「せんこう花火」(中谷宇吉郎)の読解(読み)の授業においても、授業者AとBとCとでは、それぞれ担任の学級経営の相違に基づく教室の《雰囲気》の違いがあるし、三人ともほぼ、同等の学力と能力があるとしても、教材解釈のあり方も、発問の配列の順序も微妙に異なるので、授業そのものはそれぞれに異なった様相を呈する。もちろん、違いのあること自体はよいのだが、それは、授業者AとBとCにおいて、大部分の所が共通していて、部分的に相違点があるという状態であることが望ましい。
授業の現代化という名の画一化や、客観的で追試に耐える教材分析という名の形式化に傾く共通点の拡大は好ましくないし、さりとて、矮小化された読者論の適用による、読み手主体の尊重という名の恣意的な相違点の強調も好ましくない。
私達は、このシリーズにおいて、授業のための発問を提供して、画一的な対応を強いるつもりはない。同一教材による授業において、どの程度まで共通な発問が可能かについて、一つの問題を提起したいのである。私達が、授業の研究会や他の学校の授業を見に行くのも、まさにここに問題があるからである。これは、よい授業をするための、同時に授業研究上焦眉の問題である。
本講座の執筆上の基本的な方針については「執筆要項」に示した。その点においてどの巻も、構成と展開において同一の講座としての秩序を保っている。ただし、教材解釈の立場、ひいては発問作りの立場については、各担当者の考え方に委ねた。したがって、補助資料をたくさん使った単元学習形態のもの、読者論の立場を意識的に加味したもの、分析批評の立場がよく出ているものなど、顕著な特色の表れているものがある。その評価については読者に委ねたいと考えるものである。
なお、各発問・指示、などの記録には、筆者注の間の随所に市毛、渋谷がそれぞれの責任において授業上の一つの問題と考えられる所に、注を付けた。広く批正を得たいと考えたのである。これは、授業者や授業の共同研究者との、当初からの合意の許に行ったものではない。発問のあり方や授業記録の読み方についての多様な見方のあり得ることについて、随所に一つの立場を示した。編者の非力をためらいながらも、敢えてこのようなことを試みたのは、読者からも、執筆者、共同研究者からも、批正を得たいと考えたからである。指導者の助言とは全く違うものであり、講座の編集者としてのあり方の一つの表明の試みのつもりである。
これまでの講座と同様に、今回の試みについても批正をいただけるならば、授業記録の執筆者、協力者ともども、まことに有難いことである。
平成二(一九九〇)年四月一日 /渋谷 孝・市毛 勝雄
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- 明治図書