朝の読書 日本の古典を楽しもう!@〜E
@竹取物語 A枕草子 B方丈記 C土佐日記 D大鏡 E宇治拾遺物語

朝の読書 日本の古典を楽しもう!@〜E@竹取物語 A枕草子 B方丈記 C土佐日記 D大鏡 E宇治拾遺物語

投票受付中

書評掲載中

国語学力を高める重点指導の一つとして「古典の指導」が注目されている。その前提として「朝の読書」で日本の古典に親しむ読書活動が言語技術教育学会長の市毛勝雄氏の指導の下に、現場の共同研究で古文の現代文化が試みられた。日本の古典を楽しむ運動を全国に掲げよう。


復刊時予価: 2,959円(税込)

送料・代引手数料無料

電子書籍版: 未販売

電子化リクエスト受付中

電子書籍化リクエスト

ボタンを押すと電子化リクエストが送信できます。リクエストは弊社での電子化検討及び著者交渉の際に活用させていただきます。

ISBN:
978-4-18-329811-9
ジャンル:
国語
刊行:
対象:
小・中
仕様:
A5判 216頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

もくじ

もくじの詳細表示

竹取物語
一 かぐや姫(ひめ)
二 五(ご)人(にん)の貴(き)公(こう)子(し)
三 仏(ほとけ)の御(み)石(いし)の鉢(はち)
四  (ほう) (らい)の玉(たま)の枝(えだ)
五 玉(たま)の枝(えだ)の正(しょう)体(たい)
六 火(ひ)ねずみの皮(かわ)衣(ぎぬ)
七 龍(りゅう)の首(くび)の玉(たま)
八 つばめの子(こ)安(やす)貝(がい)
九 帝(みかど)の求(きゅう)婚(こん)
一〇 帝(みかど)との出(で)会(あ)い
一一 かぐや姫(ひめ)の悲(かな)しみ
一二 かぐや姫(ひめ)との別(わか)れ
一三 不(ふ)死(し)の薬(くすり)
一四 ふじの山(やま)
枕草子
一 春(はる)はあけぼのがよい(第(だい)一段(だん))
二 帝(みかど)のおそばに飼(か)われている猫(ねこ)は(第(だい)七段(だん))
三 正(しょう)月(がつ)一(つい)日(たち)、三(さん)月(がつ)三(みっ)日(か)は(第(だい)八段(だん))
四 将(しょう)来(らい)ののぞみもなく、きまじめに(第(だい)二一段(だん))
五 にくらしいもの(第(だい)二五段(だん))
六 木(こ)の花(はな)は(第(だい)四四段(だん))
七 上(じょう)品(ひん)で美(うつく)しいもの(第(だい)四九段(だん))
八 めったにない珍(めずら)しいもの(第(だい)七七段(だん))
九 いたたまれない感(かん)じのするもの(第(だい)一〇一段(だん))
一〇 間(ま)のわるいもの(第(だい)一三一段(だん))
一一 九(く)月(がつ)のころ(第(だい)一三三段(だん))
一二 かわいらしいもの(第(だい)一五五段(だん))
一三 五(ご)月(がつ)のころに(第(だい)二〇四段(だん))
一四 五(ご)月(がつ)五(いつ)日(か)の菖(しょう)蒲(ぶ)が(第(だい)二〇六段(だん))
一五 月(つき)のとても明(あか)るい夜(よる)(第(だい)二〇八段(だん))
一六 大(おお)蔵(くら)卿(きょう)の(第(だい)二一八段(だん))
一七 珍(めずら)しいというほどのことではないけれど(第(だい)二二一段(だん))
一八 日(ひ)は(第(だい)二二七段(だん))
一九 月(つき)は(第(だい)二二八段(だん))
二〇 星(ほし)は(第(だい)二二九段(だん))
二一 雪(ゆき)のたいそう高(たか)く降(ふ)り積(つ)もった日(ひ)(第(だい)二七八段(だん))
方丈記
一 河(かわ)の流(なが)れ
二 安(あん)元(げん)の大(たい)火(か)
三  (つじ)風(かぜ)
四 都(みやこ)遷(うつ)り
五 飢(き)渇(かつ)
六 大(おお)地(じ)震(しん)
七 世(よ)に従(したが)えば
八 わが過(か)去(こ)
九 方(ほう)丈(じょう)
一〇 境(きょう)涯(がい)
一一 山(やま)は見(み)はらしがよく
一二 閑居(かんきょ)の気味(きび)
一三 みずから心(こころ)に問(と)う
土佐日記
一 日(にっ)記(き)を書(か)き始(はじ)める
二 送(そう)別(べつ)会(かい)を開(ひら)いてもらう
三 亡(な)くなった娘(むすめ)のことを思(おも)い出(だ)す
四 見(み)送(おく)りの人(ひと)たちと別(わか)れる
五 羽(は)根(ね)にちなんで歌(うた)をよんだ
六 足(あし)止(ど)めを食(く)って旅(たび)が進(すす)まない
七 月(つき)を見(み)て仲(なか)麻(ま)呂(ろ)を思(おも)う
八 海(かい)賊(ぞく)の恐(おそ)ろしさにふるえる
九 浜(はま)辺(べ)で貝(かい)や石(いし)を見(み)て子(こ)どもを思(おも)い出(だ)す
一〇 住(すみ)吉(よし)の神(かみ)様(さま)に捧(ささ)げものをする
一一 淀(よど)川(がわ)をさかのぼって京(きょう)の都(みやこ)へ向(む)かう
一二 山(やま)崎(ざき)に到(とう)着(ちゃく)してもてなしを受(う)ける
一三 夜(よる)になって京(きょう)の都(みやこ)に入(はい)る
一四 自(じ)宅(たく)に帰(かえ)り日(にっ)記(き)をしめくくる
大鏡
一 世(よ)継(つぎ)じいさんと繁(しげ)樹(き)じいさん(序(じょ))
二 左(さ)大(だい)臣(じん)の野(や)望(ぼう)をくじく(藤(ふじ)原(わら)基(もと)経(つね)の伝(でん)記(き))
三 道(みち)真(ざね)を左(さ)遷(せん)する(藤(ふじ)原(わら)時(とき)平(ひら)の伝(でん)記(き))
四 きんしん処(しょ)分(ぶん)を取(と)り消(け)す(藤(ふじ)原(わら)師(もろ)輔(すけ)の伝(でん)記(き))
五 兄(きよう)弟(だい)の出(しゅっ)世(せ)争(あらそ)い(藤(ふじ)原(わら)兼(かね)通(みち)の伝(でん)記(き))
六 天(てん)皇(のう)をかえる陰(いん)謀(ぼう)(花(か)山(ざん)天(てん)皇(のう)の伝(でん)記(き))
七 雨(あめ)の日(ひ)のきもだめし(藤(ふじ)原(わら)道(みち)長(なが)の伝(でん)記(き))
八 弓(ゆみ)の腕(うで)くらべ(藤(ふじ)原(わら)道(みち)長(なが)の伝(でん)記(き))
九 才(さい)能(のう)ゆたかな公(きん)任(とう)(藤(ふじ)原(わら)頼(より)忠(ただ)の伝(でん)記(き)から)
一〇 双(すご)六(ろく)でもてなす(藤(ふじ)原(わら)道(みち)隆(たか)の伝(でん)記(き)から)
宇治拾遺物語
一 鬼(おに)にこぶとられること(第(だい)三話(わ) 巻(まき)一の三)
二 児(ちご)の空(そら)寝(ね)したること(第(だい)一二話(わ) 巻(まき)一の一二)
三 絵(え)仏(ぶっ)師(し)良(りょう)秀(しゅう)、家(いえ)が焼(や)けるのを見(み)て悦(よろこ)ぶこと(第(だい)三八話(わ) 巻(まき)三の六)
四 袴(はかま)垂(だれ)、保(やす)昌(まさ)に合(あ)うこと(第(だい)二八話(わ) 巻(まき)二の一〇)
五 きこり歌(うた)のこと(第(だい)四〇話(わ) 巻(まき)三の八)
六 雀(すずめ)の恩(おん)返(がえ)しのこと(第(だい)四八話(わ) 巻(まき)三の一六)
七 日(にち)蔵(ぞう)上(しょう)人(にん)、吉(よし)野(の)山(やま)にて鬼(おに)にであうこと(第(だい)一三三話(わ) 巻(まき)一一の一〇)
八 五(ご)色(しき)の鹿(しか)のこと(第(だい)九二話(わ) 巻(まき)七の一)
九 後(あと)の千(せん)金(きん)のこと(第(だい)一九五話(わ) 巻(まき)一五の一一)

まえがき

竹取物語(たけとりものがたり)

1 内容(ないよう)のあらまし

 竹(たけ)の中(なか)からみつかったうつくしい「かぐや姫(ひめ)」に五(ご)人(にん)の貴(き)公(こう)子(し)が結婚(けっこん)を申(もう)しこむ。かぐや姫(ひめ)は五(ご)人(にん)にむずかしい問題(もんだい)をだして、あきらめさせる。さいごに帝(みかど)が結婚(けっこん)のもうしこみをする。それもことわって、十(じゅう)五(ご)夜(や)の晩(ばん)に月(つき)の世(せ)界(かい)にかえっていき、帝(みかど)も竹取(たけとり)の翁(おきな)もなげき悲(かな)しむ、という物(もの)語(がたり)です。

2 書物(しょもつ)の種類(しゅるい)

 つくり物(もの)語(がたり)。いまのことばで言(い)うと「フィクション」物(もの)語(がたり)です。平安(へいあん)時(じ)代(だい)初(しょ)期(き)には「物(もの)語(がたり)」ということばは「ほんとうにあったことをつたえる話(はなし)」という意味(いみ)でした。かぐや姫(ひめ)のむずかしい問題(もんだい)にくるしむ五(ご)人(にん)の貴(き)公(こう)子(し)に「阿倍(あべ)の御主人(みうし)・大(だい)納(な)言(ごん)大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)」という『日(に)本(ほん)書(しょ)紀(き)』などに登(とう)場(じょう)する実在(じつざい)の人(ひと)の名(な)があるために、とくべつに「つくり(事(じ)実(じつ)ではない)物(もの)語(がたり)」と名(な)づけたとおもわれます。

3 長(なが)さ・構成(こうせい)

 長(なが)さは「朝(あさ)の読書(どくしょ)シリーズ」の大(おお)きさに印刷(いんさつ)すると四十ページほどです。

 構成(こうせい)は、@竹取(たけとり)の翁(おきな)とかぐや姫(ひめ) A五(ご)人(にん)の貴(き)公(こう)子(し) B石作(いしづく)りの皇子(みこ)と仏(ほとけ)の御(み)石(いし)の鉢(はち) C〜D倉(くら)持(もち)の皇子(みこ)と (ほうらい)の玉(たま)の枝(えだ) E阿倍(あべ)の右(う)大(だい)臣(じん)と火(ひ)ねずみの皮(かわ)衣(ぎぬ) F大伴(おおとも)の大(だい)納(な)言(ごん)と龍(りゅう)の首(くび)の玉(たま) G石上(いそのかみ)の中(ちゅう)納(な)言(ごん)とつばめの子(こ)安(やす)貝(がい) H〜K帝(みかど)の求婚(きゅうこん)と姫(ひめ)の昇天(しょうてん) という整然(せいぜん)とした構成(こうせい)になっています。

4 成立(せいりつ)

 『万(まん)葉(よう)集(しゅう)』巻(まき)十六(三七九一)の詞書(ことばがき)に「むかしおきなあり、よびなを竹取翁(たけとりのおきな)という…」という文(ぶん)があります。また有名(ゆうめい)な紫(むらさき)式(しき)部(ぶ)『源氏(げんじ)物(もの)語(がたり)』(絵合(えあわせ))の中(なか)に「物(もの)語(がたり)のいで来(き)はじめの親(おや)なる竹取(たけとり)の翁(おきな)…かぐや姫(ひめ)ののぼりけむ雲(くも)ゐは…」という文(ぶん)があります。「かぐや姫」の話(はなし)は奈良(なら)時(じ)代(だい)から有名(ゆうめい)だったことがわかります。物(もの)語(がたり)の名(な)も室町(むろまち)時(じ)代(だい)までは「竹取(たけとり)のおきなの物(もの)語(がたり)」と呼(よ)ばれていました。奈良(なら)時(じ)代(だい)にはあらすじだけの短(みじか)い話(はなし)がおおく、室町(むろまち)時(じ)代(だい)になるとくわしい話(はなし)がおおくのこっています。このことから、この物(もの)語(がたり)は一人(ひとり)の作者(さくしゃ)が書(か)きあげたのではなく、長(なが)い時(じ)代(だい)にわたって、たくさんの人(ひと)がこの物(もの)語(がたり)にかかわったことがわかります。

5 価値(かち)

 @五(ご)人(にん)のりっぱな貴(き)公(こう)子(し)がみな失敗(しっぱい)して笑(わら)われるという話(はなし)で、平安(へいあん)貴(き)族(ぞく)の社会(しゃかい)を批(ひ)評(ひょう)的(てき)にえがいている。A五(ご)人(にん)の失敗(しっぱい)の場(ば)面(めん)、かぐや姫(ひめ)が天(てん)にのぼる場(ば)面(めん)など、目(め)に見(み)えるようにくわしく書(か)かれている。B貴(き)族(ぞく)の社会(しゃかい)で行(おこな)われた和歌(わか)のやりとりが、物(もの)語(がたり)の中(なか)でじょうずに正確(せいかく)におこなわれている。こういう特長(とくちょう)から、この「つくり物(もの)語(がたり)」は大人(おとな)がまじめに読(よ)む価値(かち)があるとして、むかしから尊敬(そんけい)されてきました。

6 作者(さくしや)

 「4 成立(せいりつ)」でも述(の)べたように、長(なが)い間(あいだ)にしだいにりっぱな物(もの)語(がたり)に成長(せいちょう)したものですから、作者(さくしゃ)を一人(ひとり)に決(き)めることはできません。


枕草子(まくらのそうし)

1 内容(ないよう)のあらまし

 宮(きゅう)中(ちゅう)で皇(こう)后(ごう)におつかえする生(せい)活(かつ)のようすを、清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)という女(じょ)性(せい)が書(か)いたものです。

2 書(しょ)物(もつ)の種(しゅ)類(るい)

 感(かん)想(そう)・日(にっ)記(き)・記(き)録(ろく)などいろいろな文(ぶん)章(しょう)をふくんでいます。

3 長(なが)さ・構(こう)成(せい)

 文(ぶん)章(しょう)の量(りょう)は、この「朝(あさ)の読(どく)書(しょ)シリーズ」のような本(ほん)にすると、やく三百(びゃく)ページにもなります。文(ぶん)章(しょう)の種(しゅ)類(るい)は、つぎのように三つにわける例(れい)が多(おお)いようです。(段(だん)とは文(ぶん)章(しょう)のグループのこと)

  一 ものはづけ 「春(はる)はあけぼの」のように「おもしろい」と思(おも)うことをあつめた文(ぶん)章(しょう)です。全(ぜん)部(ぶ)で百(ひゃく)六十段(だん)ほどあります。

  二 日(にっ)記(き)

    宮(きゅう)中(ちゅう)の生(せい)活(かつ)をくわしく日(にっ)記(き)・記(き)録(ろく)のように書(か)いた文(ぶん)章(しょう)で約(やく)八十段(だん)あります。ページ数(すう)はこの文(ぶん)章(しょう)がいちばん多(おお)くなっています。

  三 随(ずい)想(そう)(感(かん)想(そう))

 思(おも)いつくことをあれこれと書(か)いた文(ぶん)章(しょう)で、約(やく)八十段(だん)あります。

4 成(せい)立(りつ)

 清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)が宮(きゅう)中(ちゅう)につとめていた九九四年(ねん)ごろから一(いち)部(ぶ)の文(ぶん)章(しょう)が評(ひょう)判(ばん)になって、人(ひと)びとの書(か)き写(うつ)した本(ほん)が流(りゅう)通(つう)しはじめ、六年(ねん)後(ご)の一〇〇〇年(ねん)ごろにはほとんどの文(ぶん)章(しょう)ができあがったようです。一(いっ)気(き)に書(か)きあげたのではなく、すこしずつ書(か)いていったため、数(すう)種(しゅ)類(るい)の写(しゃ)本(ほん)(手(て)書(が)きのテキスト)ができました。

5 価(か)値(ち)

 『枕(まくらの)草(そう)子(し)』は宮(きゅう)中(ちゅう)に生(せい)活(かつ)している女(じょ)性(せい)が、見(み)たこと、聞(き)いたこと、体(たい)験(けん)したことをくわしく書(か)いたものです。おおくの貴(き)族(ぞく)の家(か)庭(てい)では、自(じ)分(ぶん)の娘(むすめ)がよい評(ひょう)判(ばん)をえて、よい結(けっ)婚(こん)をするために必(ひつ)要(よう)な教(きょう)養(よう)、知(ち)識(しき)、こころがけなどを知(し)りたがっていました。この『枕(まくらの)草(そう)子(し)』はそういう家(か)庭(てい)の最(さい)高(こう)の参(さん)考(こう)書(しょ)になりました。父(ちち)親(おや)は先(さき)をあらそって『枕(まくらの)草(そう)子(し)』を借(か)りて筆(ひっ)写(しゃ)して、娘(むすめ)に読(よ)ませました。

6 作(さく)者(しゃ)

 この本(ほん)は当(とう)時(じ)いろいろな呼(よ)び方(かた)がされました。「清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)」「清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)草(そう)子(し)」「清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)枕(まくら)」「枕(まくらの)草(そう)子(し)」などです。当(とう)時(じ)「枕(まくらの)草(そう)子(し)」という言(こと)葉(ば)はメモ帳(ちょう)という意(い)味(み)でしたが、この本(ほん)が有(ゆう)名(めい)になってからは、清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)の書(か)いた書(しょ)物(もつ)の『枕(まくらの)草(そう)子(し)』だけをさす呼(よ)び方(かた)になりました。このことから、作(さく)者(しゃ)は「清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)」と呼(よ)ばれた女(じょ)性(せい)であることは確(たし)かです。「少(しょう)納(な)言(ごん)」とは宮(きゅう)廷(てい)の官(かん)職(しょく)の名(な)です。「清」は当(とう)時(じ)の習(しゅう)慣(かん)で「せい」と音(おん)読(よ)みします。清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)は九九一年(ねん)、三十歳(さい)のとき、教(きょう)養(よう)と才(さい)能(のう)を見(み)込(こ)まれて十歳(さい)年(とし)下(した)の皇(こう)后(ごう)定(てい)子(し)に仕(つか)えました。皇(こう)后(ごう)定(てい)子(し)のライバルは中(ちゅう)宮(ぐう)彰(しょう)子(し)でしたが、その父(ちち)藤(ふじ)原(わらの)道(みち)長(なが)は清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)とは同(どう)年(ねん)齢(れい)でした。一〇〇〇年(ねん)十二月(がつ)に定(てい)子(し)が亡(な)くなってから、清(せい)少(しょう)納(な)言(ごん)は宮(きゅう)中(ちゅう)を退(たい)出(しゅつ)して、孤(こ)独(どく)な老(ろう)後(ご)を過(す)ごしたようです。


方丈記(ほうじょうき)

1 内(ない)容(よう)のあらまし

 『方(ほう)丈(じょう)記(き)』は京(きょう)都(と)郊(こう)外(がい)に住(す)んでいた鴨(かもの)長(ちょう)明(めい)が、京(きょう)都(と)のまちをいくつもの災(さい)害(がい)がおそうようすをくわしく記(き)録(ろく)したものです。そして、その記(き)録(ろく)のあとで、鴨(かもの)長(ちょう)明(めい)は一丈(じょう)(三メートル)四(し)方(ほう)の正(せい)方(ほう)形(けい)の小(ちい)さい家(いえ)を建(た)てて住(す)み、仏(ぶつ)教(きょう)信(しん)仰(こう)の生(せい)活(かつ)をつづけたと書(か)いています。書(か)いたのは六十歳(さい)のころです。

2 書(しょ)物(もつ)の種(しゅ)類(るい)

 この書(しょ)物(もつ)は、災(さい)害(がい)のくわしい記(き)録(ろく)が中(ちゅう)心(しん)です。そのあとに自(じ)分(ぶん)の人(じん)生(せい)、現(げん)在(ざい)の家(いえ)、毎(まい)日(にち)の生(せい)活(かつ)などをうつくしい文(ぶん)章(しょう)で書(か)いています。

3 長(なが)さ・構(こう)成(せい)

 『方(ほう)丈(じょう)記(き)』は全(ぜん)文(ぶん)の長(なが)さが、四百字(じ)づめ原(げん)稿(こう)用(よう)紙(し)でわずか二十八枚(まい)分(ぶん)です。構(こう)成(せい)は、つぎのようにみることができます。

 序(じょ)文(ぶん) 「河(かわ)の流(なが)れ」(この見(み)出(だ)しはのちの人(ひと)がつけたものです)

 第(だい)一部(ぶ)は災(さい)害(がい)の記(き)録(ろく)です。「安(あん)元(げん)の大(たい)火(か)・ (つじ)風(かぜ)・都(みやこ)遷(うつ)り・飢(き)渇(かつ)・大(おお)地(じ)震(しん)」

 第(だい)二部(ぶ)は自(じ)分(ぶん)の人(じん)生(せい)についての反(はん)省(せい)です。「世(よ)に従(したが)えば・わが過(か)去(こ)」

 第(だい)三部(ぶ)は現(げん)在(ざい)の生(せい)活(かつ)のようすです。「方(ほう)丈(じょう)・境(きょう)涯(がい)・山(やま)は見(み)はらしがよく・閑(かん)居(きょ)の気(き)味(び)」

 むすび 「みずから心(こころ)に問(と)う」

4 成(せい)立(りつ)

 文(ぶん)章(しょう)の最(さい)後(ご)に書(か)かれている「建(けん)暦(りゃく)二(一二一二)年(ねん)」が、この本(ほん)の書(か)かれた年(とし)です。このように書(か)かれた年(とし)がはっきりわかるのは、めずらしい例(れい)です。

5 価(か)値(ち)

 平(へい)安(あん)時(じ)代(だい)末(まっ)期(き)まで、社(しゃ)会(かい)のありさまをくわしく文(ぶん)章(しょう)に書(か)いた人(ひと)はいませんでした。だから、この本(ほん)の「第(だい)一部(ぶ)」は現(げん)在(ざい)で言(い)うドキュメンタリー文(ぶん)学(がく)の初(はじ)めです。また、深(ふか)い悩(なや)みを率(そっ)直(ちょく)にくわしく書(か)いた第(だい)二部(ぶ)の文(ぶん)章(しょう)は、その後(ご)の日(に)本(ほん)の思(し)想(そう)家(か)たちに大(おお)きな影(えい)響(きょう)を与(あた)えました。

 この本(ほん)でふしぎなことは、当(とう)時(じ)、日(に)本(ほん)中(じゅう)を騒(さわ)がせた平(へい)家(け)と源(げん)氏(じ)の戦(たたか)い、鎌(かま)倉(くら)幕(ばく)府(ふ)の騒(そう)動(どう)などをまったく書(か)かずに、京(きょう)都(と)の町(まち)と住(す)まいのことだけを書(か)いていることです。

6 作(さく)者(しゃ)

 作(さく)者(しゃ)鴨(かもの)長(ちょう)明(めい)は、賀(か)茂(もの)御(み)祖(おや)神(じん)社(じゃ)の神(しん)官(かん)の家(いえ)柄(がら)に生(う)まれ、あとつぎに決(き)まっていました。また当(とう)時(じ)、宮(きゅう)中(ちゅう)でも有(ゆう)名(めい)な歌(か)人(じん)でした。それが、家(か)庭(てい)の事(じ)情(じょう)や政(せい)治(じ)の混(こん)乱(らん)のために親(しん)戚(せき)や妻(さい)子(し)からきらわれ、ついに親(しん)戚(せき)の家(いえ)を追(お)い出(だ)されてしまいました。三十歳(さい)のころです。京(きょう)都(と)に住(す)むのがいやになった鴨(かもの)長(ちょう)明(めい)は、和(わ)歌(か)の仲(なか)間(ま)とも別(わか)れて京(きょう)都(と)の郊(こう)外(がい)に住(す)み、二(に)度(ど)と京(きょう)都(と)にもどることはありませんでした。


土佐日記(とさにっき)

1 内(ない)容(よう)のあらまし

 平(へい)安(あん)時(じ)代(だい)の初(しょ)期(き)、紀(きの)貫(つら)之(ゆき)は九三〇年(ねん)、国(こく)司(し)土(と)佐(さの)守(かみ)として四(し)国(こく)土(と)佐(さ)の国(こく)府(ふ)(南(なん)国(ごく)市(し)比(ひ)江(え))に着(ちゃく)任(にん)し、九三四年(ねん)に京(きょう)都(と)の自(じ)宅(たく)に帰(かえ)りました。その帰(かえ)りの旅(たび)は十二月(がつ)二十一日(にち)から翌(よく)年(ねん)の二月(がつ)十六日(にち)まで五十五日(にち)かかっています。その旅(たび)のようすを記(き)録(ろく)としてくわしく書(か)いたものが『土(と)佐(さ)日(にっ)記(き)』です。

2 書(しょ)物(もつ)の種(しゅ)類(るい)

 当(とう)時(じ)(平(へい)安(あん)時(じ)代(だい))は「日(にっ)記(き)」というと、宮(きゅう)廷(てい)や官(かん)庁(ちょう)で書(か)かれた儀(ぎ)式(しき)・政(せい)治(じ)・行(ぎょう)事(じ)などの記(き)録(ろく)のことでした。そういう時(じ)代(だい)に、現(げん)代(だい)の日(にっ)記(き)とおなじように、生(せい)活(かつ)の中(なか)であじわうよろこびやかなしみをくわしく書(か)いた本(ほん)は『土(と)佐(さ)日(にっ)記(き)』がはじめてです。

3 長(なが)さ・構(こう)成(せい)

 『土(と)佐(さ)日(にっ)記(き)』は、この「朝(あさ)の読(どく)書(しょ)シリーズ」のページ数(すう)になおすと、約(やく)四十ページくらいの長(なが)さの文(ぶん)章(しょう)です。和(わ)歌(か)が五十九首(しゅ)、船(せん)頭(どう)たちのうたった「舟(ふな)歌(うた)」が一(ひと)つあります。和(わ)歌(か)はほとんどが紀(きの)貫(つら)之(ゆき)の作(さく)品(ひん)です。

4 成(せい)立(りつ)

 この日(にっ)記(き)は旅(りょ)行(こう)中(ちゅう)の記(き)録(ろく)メモを参(さん)考(こう)に、かなり時(じ)間(かん)をかけて完(かん)成(せい)させたようです。こまかい部(ぶ)分(ぶん)をよくしらべると、事(じ)件(けん)の順(じゅん)序(じょ)を変(か)えたり、フィクション(つくりごと)を交(まじ)えたりというしかけがあります。

5 価(か)値(ち)

 日(にっ)記(き)をじぶんの心(こころ)の記(き)録(ろく)として書(か)いたという日(に)本(ほん)最(さい)初(しょ)の試(こころ)みが、この本(ほん)の価(か)値(ち)です。そして記(き)録(ろく)の方(ほう)法(ほう)として、会(かい)話(わ)、短(たん)歌(か)、舟(ふな)歌(うた)、景色(けしき)のくわしい描(びょう)写(しゃ)(ことばでようすを書(か)くこと)などの表(ひょう)現(げん)技(ぎ)術(じゅつ)をたくみに使(つか)い分(わ)けています。これは、当(とう)時(じ)としてはおどろくほど高(こう)級(きゅう)な文(ぶん)章(しょう)表(ひょう)現(げん)の技(ぎ)術(じゅつ)でした。この文(ぶん)章(しょう)表(ひょう)現(げん)の価(か)値(ち)を見(み)ぬいたのが大(だい)歌(か)人(じん)の藤(ふじ)原(わらの)定(てい)家(か)(一一六二〜一二四一)です。鎌(かま)倉(くら)時(じ)代(だい)の一二三五年(ねん)、定(てい)家(か)は七十四歳(さい)になっていましたが、紀(きの)貫(つら)之(ゆき)自(じ)筆(ひつ)の『土(と)佐(さ)日(にっ)記(き)』を一(いち)読(どく)してそのすばらしい文(ぶん)章(しょう)におどろき、二日(ふつか)がかりで書(しょ)写(しゃ)して、その本(ほん)を観(かん)察(さつ)した記(き)録(ろく)も残(のこ)しました(この「定(てい)家(か)本(ぼん)」は国(こく)宝(ほう))。このように紀(きの)貫(つら)之(ゆき)の『古(こ)今(きん)和(わ)歌(か)集(しゅう)』と『土(と)佐(さ)日(にっ)記(き)』の二(に)作(さく)品(ひん)は、漢(かん)詩(し)文(ぶん)全(ぜん)盛(せい)の平(へい)安(あん)時(じ)代(だい)を日(に)本(ほん)文(ぶん)優(ゆう)勢(せい)に変(へん)革(かく)した重(じゅう)要(よう)な作(さく)品(ひん)です。

6 作(さく)者(しゃ)

 紀(きの)貫(つら)之(ゆき)(八七一〜九四六)は平(へい)安(あん)時(じ)代(だい)前(ぜん)期(き)の歌(か)人(じん)で、官(かん)職(しょく)の地(ち)位(い)は低(ひく)かったのですが、歌(か)人(じん)としては一(いち)流(りゅう)でした。日(に)本(ほん)最(さい)初(しょ)の勅(ちょく)撰(せん)集(しゅう)『古(こ)今(きん)和(わ)歌(か)集(しゅう)』(九〇五)の指(し)導(どう)的(てき)な選(せん)者(じゃ)で、漢(かん)詩(し)・漢(かん)文(ぶん)全(ぜん)盛(せい)期(き)の平(へい)安(あん)時(じ)代(だい)に、日(に)本(ほん)最(さい)初(しょ)の和(わ)歌(か)の理(り)論(ろん)を純(じゅん)粋(すい)な日(に)本(ほん)語(ご)で書(か)いた「仮(か)名(な)序(じょ)」(序(じょ)「まえがき」)が有名(ゆうめい)です(『古(こ)今(きん)集(しゅう)』には別(べつ)に漢(かん)文(ぶん)の「真(ま)名(な)序(じょ)」があります)。『土(と)佐(さ)日(にっ)記(き)』の筆(ひっ)者(しゃ)は紀(きの)貫(つら)之(ゆき)の妻(つま)だと、本(ほん)文(ぶん)の最(さい)初(しょ)に書(か)いてありますが、現(げん)在(ざい)ではいろいろな証(しょう)拠(こ)から、紀(きの)貫(つら)之(ゆき)自(じ)身(しん)が筆(ひっ)者(しゃ)であることがわかっています。これは当(とう)時(じ)、日(にっ)記(き)は男(だん)子(し)が漢(かん)文(ぶん)で書(か)くものだという常(じょう)識(しき)があったためです。


大鏡(おおかがみ)

1 内(ない)容(よう)のあらまし

 『大(おお)鏡(かがみ)』は藤(ふじ)原(わらの)道(みち)長(なが)を中(ちゅう)心(しん)にして政(せい)治(じ)を描(えが)いた物(もの)語(がたり)です。時(じ)代(だい)は八五二年(ねん)から一〇二五年(ねん)までの約(やく)百(ひゃく)七十年(ねん)間(かん)、人(じん)物(ぶつ)は四百(ひゃく)五十人(にん)あまりが登(とう)場(じょう)します。

2 書(しょ)物(もつ)の種(しゅ)類(るい)

 人(じん)物(ぶつ)の会(かい)話(わ)や行(こう)動(どう)を中(ちゅう)心(しん)に描(えが)いた「歴(れき)史(し)物(もの)語(がたり)」です。たくさんの記(き)録(ろく)を参(さん)考(こう)にして、りっぱな行(こう)動(どう)も、わるい行(こう)動(どう)も公(こう)平(へい)にくわしく書(か)いています。

3 長(なが)さ・構(こう)成(せい)

 皆(みな)さんがいま読(よ)んでいるこのページの大(おお)きさで印(いん)刷(さつ)すると、約(やく)四百(ひゃく)ページ、三十八章(しょう)からなりたつ大(だい)長(ちょう)編(へん)歴(れき)史(し)物(もの)語(がたり)です。この本(ほん)では、その中(なか)から十編(ぺん)だけとりだして題(だい)名(めい)をつけ、みじかいお話(はなし)にまとめました。

 この物(もの)語(がたり)の最(さい)初(しょ)に、世(よ)継(つぎ)と繁(しげ)樹(き)というおじいさんが登(とう)場(じょう)します。年(ねん)齢(れい)は百(ひゃく)九十歳(さい)と百(ひゃく)八十歳(さい)で、この二人(ふたり)のおじいさんが昔(むかし)の政(せい)治(じ)の話(はなし)を、そこにあつまったひとたちに話(はな)して聞(き)かせるという構(こう)成(せい)になっています。そしてその内(ない)容(よう)は、たくさんの資(し)料(りょう)を活(い)かして組(く)みたててあり、正(せい)確(かく)でいきいきした歴(れき)史(し)の事(じ)実(じつ)を伝(つた)えています。

4 成(せい)立(りつ)

 平(へい)安(あん)時(じ)代(だい)は全(ぜん)国(こく)の生(せい)産(さん)物(ぶつ)が京(きょう)都(と)に集(しゅう)中(ちゅう)する仕(し)組(く)みができあがり、遣(けん)唐(とう)使(し)が廃(はい)止(し)され、日(に)本(ほん)独(どく)自(じ)の宮(きゅう)廷(てい)文(ぶん)化(か)がさかえました。その代(だい)表(ひょう)が『源(げん)氏(じ)物(もの)語(がたり)』と『枕(まくらの)草(そう)子(し)』です。宮(きゅう)中(ちゅう)ではたくさんの女(じょ)性(せい)が整(せい)然(ぜん)と暮(く)らすために「しきたり」が尊(そん)重(ちょう)されました。この当(とう)時(じ)書(か)かれた『栄(えい)華(が)物(もの)語(がたり)』『今(いま)鏡(かがみ)』などたくさんの歴(れき)史(し)物(もの)語(がたり)は、宮(きゅう)廷(てい)生(せい)活(かつ)の仕(し)組(く)み、宮(きゅう)中(ちゅう)のしきたり、貴(き)族(ぞく)の人(にん)間(げん)関(かん)係(けい)などをおおくのひとに知(し)らせる役(やく)目(め)をはたしました。しかし、貴(き)族(ぞく)をほめたたえる態(たい)度(ど)はみな同(おな)じでした。そういう物(もの)語(がたり)の中(なか)で、中(ちゅう)国(ごく)の司(し)馬(ば)遷(せん)の『史(し)記(き)』という歴(れき)史(し)書(しょ)にならった骨(ほね)太(ぶと)の批(ひ)評(ひょう)精(せい)神(しん)をもった歴(れき)史(し)物(もの)語(がたり)が現(あらわ)れました。それがこの『大(おお)鏡(かがみ)』です。

5 価(か)値(ち)

 藤(ふじ)原(わら)氏(し)一(いち)族(ぞく)がしだいに勢(せい)力(りょく)をましていくようす、自(じ)分(ぶん)の子(こ)どもを天(てん)皇(のう)の位(くらい)につけさせるための貴(き)族(ぞく)同(どう)士(し)の陰(いん)謀(ぼう)やかけひき、藤(ふじ)原(わらの)道(みち)長(なが)の英(えい)雄(ゆう)的(てき)な姿(すがた)などがくわしく書(か)かれています。明(めい)治(じ)・大(たい)正(しょう)・昭(しょう)和(わ)前(ぜん)期(き)には政(せい)府(ふ)が天(てん)皇(のう)制(せい)を政(せい)治(じ)の手(しゅ)段(だん)として神(しん)聖(せい)化(か)するために、この『大(おお)鏡(かがみ)』という本(ほん)をしっているのは大(だい)学(がく)の一(いち)部(ぶ)の研(けん)究(きゅう)者(しゃ)だけにしました。しかし、現(げん)在(ざい)では誰(だれ)でも自(じ)由(ゆう)に読(よ)むことができます。

6 作(さく)者(しゃ)

 一(いち)番(ばん)古(ふる)い写(しゃ)本(ほん)(書(か)き写(うつ)した本(ほん))にも作(さく)者(しゃ)が誰(だれ)であるか、書(か)いてありません。宮(きゅう)中(ちゅう)の政(せい)治(じ)の秘(ひ)密(みつ)のこともくわしく書(か)いてある本(ほん)なので、誰(だれ)が書(か)いたかわかると命(いのち)の危(き)険(けん)があったのでしょう。現(げん)在(ざい)でも、多(おお)くの研(けん)究(きゅう)者(しゃ)が作(さく)者(しゃ)を追(つい)求(きゅう)していて、その手(て)がかりとしては、漢(かん)文(ぶん)調(ちょう)の文(ぶん)体(たい)であること、悪(わる)いこともはっきりと断(だん)定(てい)的(てき)に書(か)いてあること、宮(きゅう)中(ちゅう)のしきたりにくわしいことなどから、男(だん)性(せい)であることだけはみとめられています。


宇治拾遺物語(うじしゅいものがたり)

1 内(ない)容(よう)のあらまし

 この『宇(う)治(じ)拾(しゅう)遺(い)物(もの)語(がたり)』には農(のう)民(みん)、お寺(てら)のお稚(ち)児(ご)さん、仏(ぶつ)像(ぞう)画(が)の絵(え)師(し)、強(ごう)盗(とう)、雀(すずめ)、坊(ぼう)さん、鹿(しか)などのいろいろな人(じん)物(ぶつ)や動(どう)物(ぶつ)が登(とう)場(じょう)して、めずらしい話(はなし)、笑(わら)い話(ばなし)、おそろしい話(はなし)などを展(てん)開(かい)します。そして、賢(かしこ)く生(い)きるためにどうしたらよいかを、仏(ぶっ)教(きょう)の立(たち)場(ば)から語(かた)っています。

2 書(しょ)物(もつ)の種(しゅ)類(るい)

 『宇(う)治(じ)拾(しゅう)遺(い)物(もの)語(がたり)』は説(せつ)話(わ)を集(あつ)めた本(ほん)です。「説(せつ)話(わ)」とは、お寺(てら)の坊(ぼう)さんが信(しん)者(じゃ)に仏(ほとけ)さまの教(おし)えを守(まも)るとどれほどよいことがあるか、守(まも)らないとどれほどたいへんなことになるかを、わかりやすく語(かた)ったお話(はなし)です。坊(ぼう)さんの「お説(せっ)教(きょう)」の「たね本(ほん)」です。平(へい)安(あん)時(じ)代(だい)には仏(ぶっ)教(きょう)がさかんになって、教(きょう)育(いく)制(せい)度(ど)のまったくなかった当(とう)時(じ)の日(に)本(ほん)では、お寺(てら)で坊(ぼう)さんがおもしろおかしく語(かた)る「お説(せっ)教(きょう)」が「社(しゃ)会(かい)教(きょう)育(いく)」の大(おお)きな効(こう)果(か)をあげました。そのためたくさんの「説(せつ)話(わ)集(しゅう)」がつくられました。「説(せつ)話(わ)集(しゅう)」の最(さい)古(こ)、最(さい)大(だい)のものは『今(こん)昔(じゃく)物(もの)語(がたり)集(しゅう)』三十一巻(かん)(一一二〇年(ねん)ごろ)で、千(せん)五十九話(わ)を収(おさ)めています。

3 長(なが)さ・構(こう)成(せい)

 全(ぜん)部(ぶ)で百(ひゃく)九十七話(わ)の物(もの)語(がたり)が収(おさ)められています。登(とう)場(じょう)するのは天(てん)皇(のう)、貴(き)族(ぞく)、女(じょ)流(りゅう)歌(か)人(じん)、坊(ぼう)さん、武(ぶ)士(し)、きこり、農(のう)民(みん)、強(ごう)盗(とう)のほか、雀(すずめ)・蜂(はち)・鹿(しか)などの昆(こん)虫(ちゅう)・動(どう)物(ぶつ)などさまざまです。また、中(ちゅう)国(ごく)・インドの話(はなし)、「いいつたえの話(はなし)」などがあります。

4 成(せい)立(りつ)

 この本(ほん)には「序(じょ)文(ぶん)」がついていて、それによると、もともと『宇(う)治(じ)大(だい)納(な)言(ごん)物(もの)語(がたり)』(いまは消(しょう)失(しつ))があって、そのつづきとして前(まえ)の本(ほん)に入らなかった話(はなし)を拾(ひろ)い集(あつ)めてつくった本(ほん)(拾(しゅう)遺(い))だということです。時(じ)期(き)は鎌(かま)倉(くら)時(じ)代(だい)初(はじ)めの一二二一年(ねん)ごろで、当(とう)時(じ)たくさんつくられた「説(せつ)話(わ)集(しゅう)」の一(ひと)つです。『今(こん)昔(じゃく)物(もの)語(がたり)』の中(なか)の話(はなし)と同(おな)じような話(はなし)がいくつか載(の)っています。

5 価(か)値(ち)

 この物(もの)語(がたり)集(しゅう)は、めずらしい話(はなし)、おどろくような話(はなし)をあつめただけという他(ほか)の物(もの)語(がたり)集(しゅう)とちがって、人(にん)間(げん)の行(こう)動(どう)や心(こころ)のうごきについての観(かん)察(さつ)がわかりやすい言(こと)葉(ば)で、するどく、深(ふか)く、くわしく書(か)かれている、りっぱな文(ぶん)章(しょう)が特(とく)徴(ちょう)です。これは漢(かん)字(じ)とかたかなで漢(かん)文(ぶん)調(ちょう)で書(か)かれた『今(こん)昔(じゃく)物(もの)語(がたり)』とちがって、和(わ)歌(か)をもとにして、ひらがなで書(か)かれた日(に)本(ほん)語(ご)の文(ぶん)章(しょう)が、この時(じ)代(だい)に完(かん)成(せい)したことを示(しめ)しています。話(はなし)の語(かた)りかたも、成(せい)功(こう)した話(はなし)、失(しっ)敗(ぱい)した話(はなし)、奇(き)妙(みょう)な話(はなし)、笑(わら)い話(ばなし)、皮(ひ)肉(にく)な話(はなし)など多(た)様(よう)で、『今(こん)昔(じゃく)物(もの)語(がたり)』のように仏(ぶっ)教(きょう)のありがたさを説(せつ)明(めい)するだけの説(せつ)話(わ)とは、ちがっています。

6 作(さく)者(しゃ)

 一人(ひとり)でまとめたか、何(なん)人(にん)かでまとめたかもわかっていません。ただ、作(さく)者(しゃ)は資(し)料(りょう)をたいせつにしている、仏(ぶっ)教(きょう)関(かん)係(けい)の人(じん)物(ぶつ)である、などがわかっています。

著者紹介

市毛 勝雄(いちげ かつお)著書を検索»

1931年東京都に生まれる。東京教育大学文学部国語国文科卒業。

日大三中・三高,都立武蔵高,小石川高,筑波大学付属高を経て,山形大,茨城大,埼玉大,早稲田大の教育学部大学院教授を歴任。

日本言語技術教育学会会長,埼玉大学名誉教授,日本教育技術学会常任理事,国文学言語と文芸の会運営委員。

村上 正子(むらかみ しょうこ)著書を検索»

1978年 山形大学教育学部卒業

1978年 神奈川県茅ヶ崎市立第一中学校

1983年 同        松林中学校

1993年 同        鶴嶺中学校

2003年 同        円蔵中学校


1991年 横浜国立大学大学院教育学研究科国語教育専攻入学

1993年 同  修了

大木 真智子(おおき まちこ)著書を検索»

1977年 山形大学教育学部卒業

1977年 山形県西置賜郡小国町立小玉川中学校

1980年 同  長井市立長井中学校

1982年 同  西置賜郡白鷹町立西中学校

1987年 同      小国町立小国小学校

1999年 同  長井市立長井南中学校

2003年 同  西置賜郡白鷹町立東中学校

長谷川 祥子(はせがわ さちこ)著書を検索»

1987年 埼玉大学教育学部卒業

1987年 東京都立足立聾学校

1991年 同  北区立堀船中学校

1999年 同  新宿区立牛込第二中学校


1998年 早稲田大学大学院教育学研究科修士課程入学

2000年 同             博士後期課程入学

西山 悦子(にしやま えつこ)著書を検索»

1989年 埼玉大学教育学部卒業

1989年 東京都足立区立舎人第一小学校

1993年 同  北区立王子第二小学校

2001年 同  台東区立平成小学校

西山 明人(にしやま あきひと)著書を検索»

1986年 埼玉大学教養学部教養学科中国文化コース卒業

1986年 東京農業大学第三高等学校

深谷 幸恵(ふかや ゆきえ)著書を検索»

1986年 埼玉大学教育学部卒業

1986年 埼玉県吉川町立中央中学校

1989年 同  越谷市立越谷小学校

1999年 同      花田小学校

2006年 同  春日部市立武里小学校


1995年 埼玉大学大学院教育学研究科修士課程入学

1999年 早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程入学

※この情報は、本書が刊行された当時の奥付の記載内容に基づいて作成されています。
    • この商品は皆様からのご感想・ご意見を募集中です

      明治図書

ページトップへ