国語科授業改革双書32言葉の力をつける言語単元学習の開拓

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生きてはたらく言葉の力をつけるのが国語科の使命ではないか。ならば子供たちが学習材を集め学習方法を話し合い力をつけるのは国語科だと説く。


復刊時予価: 2,563円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-318821-0
ジャンル:
国語
刊行:
対象:
小学校
仕様:
A5判 160頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

目次

もくじの詳細表示

はじめに
T 新しい言語単元学習を求めて
一 単元学習の本質とその特性
二 単元学習の歴史
三 単元学習のいろいろ
四 単元学習と学力
五 単元学習と評価
U 言語単元学習のよりよい構成
一 子供にとって価値ある単元
二 自己の授業を振り返る
三 子供が作る単元
V 学習材『雑草』で生き方を教える
一 学習材としての『雑草』
二 単元の目標
三 学習の流れ
第一時の授業展開
第二時の授業展開
第三時の授業展開
第四時の授業展開
第五時の授業展開
第六時の授業展開
第七時の授業展開
第八時の授業展開
第九時の授業展開
第十時の授業展開 研究発表会・公開授業
第十一時〜十五時の授業展開
W 言語単元学習の可能性
資 料

はじめに

 この頃、テレビのスポーツ番組を見ていて気になることがある。

 それは、試合後のインタビューで、どの選手も、「そうですねえ……」を連発することである。「今日の勝因は、何だと思いますか。」「そうですね……」、「ストレートを投げてくると予想していたのですか。」「そうですね……」といった具合である。

 野球、サッカー、ラグビー、テニス、マラソン、水泳……と、あらゆる分野の選手たちが、この言葉を口にする。統計はとったことはないが、おそらく九〇パーセントは越えているであろう。この「そうですねえ」は、肯定を意味してはいない。考える間を取るためであるが、考えて答えるような質問でない場合にも多発するのである。個性化、個性化と叫ばれる時代に、なんと個性のない応答の仕方であろう。これが、我々の行ってきた話し言葉教育の結果だとすると、かなり重い気持ちにならざるを得ない。

 今、教育界では総合的な学習が注目を集めている。

 現在の教科の枠組みでは解決できない課題が生じ、それらに対処する力をつける学習として新しい教育が生まれようとしていることに反対する気持ちはない。だが、総合的な学習は、オールマイティーではない。この流れの中で、教科の学習が疎かにされることがあってはならない。学ばなければならないことは、学ばなければならないのである。

 新しい学習指導要領も告示され、文学作品で気持ちを扱うことが罪悪であったような風潮もあるが、果たしてそうなのであろうか。気持ちを扱うことが悪いのではなく、扱い方の悪い授業が多かったのである。気持ちについて考えることは、人間について考えることである。人間について考えることがないならば、文学作品を扱うことの意味があるのだろうか。

 勿論、わたしも、教科書の文学や説明文の教材を順次詳細に読解していくだけの授業に賛成しているわけではない。総合的な学習の名のもとに、国語科が手抜きの時間となっていくことを恐れているだけである。

 生きてはたらく言葉の力をつけるのが国語科の使命である。前述の「そうですねえ」でも、話は通じる。だが、よりよく自己を表現できる人こそが、生きてはたらく言葉の力をつけていると言えるのである。言語単元学習は、生きてはたらく言葉の力をつけることを目ざしている。そのためには実際に言葉がはたらく場で、生きた言葉を使うことを通して、言葉の力をつけていかなければならない。

 本書では、これまでの単元学習を振り返ることを通して、言語単元学習のあり方を考え、この考えにもとづいた実際の授業展開を詳細に紹介している。子供たちが学習材を集め、学習方法を話し合い、個性を生かして学習するという展開は、総合的な学習とも重なる部分は大きい。けれども、言葉の力をつけることを最重点課題とし、国語科という教科の中での活動であることが大きな違いでもある。お読みいただいてご意見をいただけたら幸いである。

 本書の出版にあたってご高配いただいた江部満編集長および友人社の方々に厚くお礼を申し上げたい。


  一九九九年三月   /大越 和孝

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