- 序 批評力を育てる
- 批評の力――解釈の力・鑑賞の力――主材・主想――クリティシズム――知覚語――視点(思点)――人称――限定・全知・客観――論理的表現
- 一 分析批評で「批評力」が育つ
- 1 分析批評
- 分析批評――分析ごっこ――知覚語の資料づくり――資料に基づく批評
- 2 批評力
- 批評力――感動――論理的思考――ことわざ――タイトル(題)
- 3 分析力
- 分析力――知覚語法――時は流れず――主想・主材
- 4 視 点 1
- 視点――思点――人称
- 5 視 点 2
- 1人称視点――3人称視点――3人称全知視点――3人称客観視点――外在・内在・潜在――視座
- 6 批評読み(クリティカル・リーディング)
- 批評読み――『ごんぎつね』の思点――『走れメロス』の思点――それがどうした?
- 7 視点の変容直筆原稿を読む
- 『ごんぎつね』で泣いた――『坊っちやん』の話者――視点は変容する――『坊っちやん』で泣いた
- 8 言語文化の「序破急」
- 『坊っちやん』の筋立て――ゆっくり はっきり 力いっぱい――懲らしめてやりなさい――同志との別れ
- 9 設定語りの条件
- 『坊っちやん』のキャラクター――『坊っちやん』の時――『坊っちやん』の所――設定の効果
- 10 作調(トーン)――アイロニーの効果
- 『坊っちやん』の笑い――笑うのは誰か――アイロニー(逆調)
- 11 作型(モード)――時の流れに身をまかせ
- 時が滲む朝――国語の教科書の文章――時の流れにまかせる叙事型――決意を示す表明型――おおげさにもなる描写型――くいちがいを生む問答型――そっけない説明型――不条理を強調する規模
- 12 声の文化と批評力
- 風の又三郎――「どーどど」の批評力――清水(狂言)――「取ってかもう」の緩急――知覚語の音声化
- 二 「批評力」を鍛える
- 1 批評の文法――窮極の生涯学習
- 批評の文法――解読の力・解釈の力分析――分析の力――批評の力
- 2 解読に始まり批評に終わる
- 事柄を読む解読力――考えを読む解釈力――表現を読む分析力――構造を読む批評力
- 3 常識が覆えるとき
- 「言語教育と文学教育」論争〈時枝説は理解されなかった/ 時枝理論は形を変えて生きている〉――第2次「出口」論争――学び方学習
- 4 討論の授業に生きる批評力
- 声の文化――分析力――批評力
- 5 説得のための学習材研究
- 詳細な読解のどこが悪い――行きすぎた解釈は納得できない――とりあえず主想語あるいは主材語――批評のための詳細な分析――資料をどう判断するか
- 6 読む力は「批評力」に極まる
- 「読解力」?――「解読力」!――「解釈力」!?――「分析力」!!――「批評力」。
- 7 到達点としての批評力
- 訓詁注釈――基礎的・基本的な 知識・技能――分析のための観点――内容・表現の関連学習
- 8 批評に至る文学の学習指導
- 批評という用語――批評理論――自主学習――分析力
- 9 伝統芸能に基づく批評の試み
- 声を出す姿勢――腹式呼吸の練習――秋から春へ――結末はさらりと
- [参考] 批評用語抄
- あとがき
序 批評力を育てる(冒頭)
批評の力
批評の力批評力は、『国語の力』(垣内松三・一九二二年)に於いて、旧制高校(現在の大学に当たる)で学ぶことが適当とされていた。今、判断力・批評的精神を育てる論理的表現力の開発課題として、長く埋もれていた批評力が、ようやく小・中学校で日の目を見ることになった。
内容を読むことにこだわった戦後教育観から、内容と表現の1元論への脱皮、言語技術教育への転換だ。この方法を初めて具体的に提唱したのが分析批評(小西甚一・一九六七年)であった。『国語の力』が過去の遺産であるのと同様に、分析批評という名称も相当に年代物だ。
名称もそうだし、方法に至っては聞いたことさえないという世代のためにも、これら遺産を学んできた一人としてぜひとも伝えておかなければと思う。戦争の時代に小・中学校を過ごして来た一人として、戦争について語り伝える責任があるのと同じである。
地球規模で紛争が起きたのが一九六八年若者による世代交替の時代で、大学や高校の紛争は日本でも盛んであった。私は、当時高校教員として自主ゼミによる単位認定を約束し、分析批評に基づくレポートを課した。以来、いわゆるテストは、定年で退職するまで行わなかった。
解釈の力・鑑賞の力
解釈力・鑑賞力は、基本的には教室で扱わない。両者とも主観の世界で、受容者によってそれぞれ違う。だからすべて正解。優劣を問題にしないのだ。
教科書の文章は、分析の方法を学ぶためのもの。練習用だ。批評力は、自ら選んで繰り返し読んだことのある愛読書が最適。どうしてもそれがないというのなら、過去に学習した教科書の中から、気に入っている作品を一つ選べばよい。たとえば「ごんぎつね」。これなら内容はよく知っているはずだ。
解釈力は、主題をつき止めたところで終わりを迎える。当然のように一つの答えが要求された。受容者がみんなばらばらというのは困るのだ。その点、過去の教科書に載っていた学習材は、主題が一つということで終わっているので皮肉にも却って都合がいい。
主材・主想
いたずらとつぐない「ごんぎつね」の主題がこうだったとしよう。いたずらは事柄、つぐないは思想に属する。いたずらは具体的、つぐないは抽象的と分けることもできる。前者を主材、後者を主想ということにしたのが分析批評のはじまりだ。
発達段階によって、主材を理解するのが精いっぱいということがある。また、もっと抽象的な不如意などという主想を導き出す学習者も出てくる。
愛読書の批評ともなれば、その時の自分の生き方に直接かかわるものであるはずだ。生きる力の支えになるような問題意識がかかわっているはずだ。
クリティシズム
クリティシズムは、批判・批評の両様に訳される。批判は否定的内容のものを言う場合が多く、欠点探しと思われやすい。愛読書に欠点探しはふさわしくないので、文章のどこが優れているかを探す場合に限って使い、表現と主材・主想とのかかわりについて論理的に考える学習に役立てたい。
クリティカル・リーディングを、批判的に読むことと訳してしまうと、愛読書の欠点探しにもなる。批評読みと訳して、まずは感動の源泉がどこにあったか、表現の分析を通して確かめてみようという姿勢に変える。心情的に褒めるのではなく、論理的に褒めるのだ。
何度も読んでいるのだから、当然気が付いていそうなものなのに、新しい観点を示されると急に世界が広がる。読書感想文は独り善がりでも文さえうまければそれでよかった。批評読みは、論理的に他者を説得できるかどうかが最重要課題だ。指導者も驚くような新発見の資料に基づく、論理的文章が書けるかどうかだ。文の上手か下手かは問題にならない。
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- 明治図書
- 廃版になったものも少数でもいいので再版して欲しい2020/11/730代・小学校教員