- まえがき 学校長 /恒田 勉
- 第T章 子どもを脅かしている諸問題
- 第1節 混迷深まる教育現場
- 1 危機に直面している教師
- 2 子どもに迫りつつある危機
- 3 子どもの学力は本当に低下しているのか?
- 4 「危機管理」という緊急課題
- 5 行政改革のあおり
- 6 「開かれた学校」と「学校評価」の意義
- 第2節 変革を迫られる学校・教師
- 1 子どもの尊厳…「子ども観の転換」
- 2 学校の在るべき姿…「学校観の転換」
- 3 迫られる教師の自己改革
- 第U章 子どもの危機を救うこれからの「評価観」
- 第1節 子どもの生きる世界を垣間見る
- ―子どもは何を学び,何を目的に活動を進めているのか?―
- 1 仰天!? 廊下のゴミを素手で集めている子ども
- ―廊下のほこりを楽しそうに集める子どもの世界―
- 2 詩の常識にとらわれない文言の連続
- ―沸々と湧き出る思いを詩に表そうとする子ども―
- 第2節 子どもはどのような自分を理解してほしいのか
- ―子どもを理解するために必要な評価観とは―
- 1 子どもの願いと教師の思いとの間に生じるズレ
- 2 対象の持つ不思議さや生命力で響き合う子ども
- 3 子どもの発言の中にある真意
- 4 子どもが理解してほしいこととは…
- 5 今,なぜ「自己形成」という観点が必要なのか
- 第3節 子どもの自己形成を生き生きと描くとはどういうことか
- 1 個性的な言動を追う(坂口さんの2年生から3年生に見られた事実から)
- 2 事実から解釈を試み,個性をとらえる
- 3 「自己形成」を「生き生きと描く」とはどういうことか
- ―これからの評価観―
- 第V章 学童期における自己形成を描く
- 第1節 かっこいいヒーローになる夢を追って今を精一杯生きる藤田君
- 1 はじめに
- 2 なかなか大変な小学校のくらし<低学年の頃の藤田君>
- 3 鬼の力を借りても高まりたい
- ―2年生単元「がんばるぼく・わたし」より―
- 4 本物を持ってきたよ
- ―4年生単元「ようこそ わくわくタウンへ」より―<中学年の頃の藤田君>
- 5 白の男子は弱かった
- ―5年生単元「稲田級 力一杯 運動会」より―<5年生の藤田君>
- 6 みんなで仲良く楽しく遊びたい
- ―6年生単元「みんなで遊ぼう」その1―<6年生の藤田君>
- 7 「一輪車」に乗れるようになりたい
- ―交流学習6年峠級体育科「一輪車」より―
- 8 トンネル遊びは楽しくない
- ―6年生単元「みんなで遊ぼう」その2―
- 9 「かっこいい」お兄ちゃんを目指して
- <小学校卒業を直前に控えての藤田君の姿>
- 10 おわりに
- 第2節 仲間から嫌われる生き物に心を寄せながら,平等感をはぐくんでいく新田君
- 1 はじめに
- 2 新田君の育ち(1・2年生での新田君)
- 3 新田君の自己形成
- 4 おわりに
- 第3節 論理と感情の狭間で揺れながら,自分らしい生き方を切り拓いていく鈴木君
- 1 はじめに
- 2 自分を思う存分表現できずに育った幼稚園時代
- 3 仲間に誘われながら,無邪気に活動に没頭する1年生の頃
- ―1学年 図工科「ぼく・わたしは森の動物○○だ」における鈴木君―
- 4 仲間を取り込みながら,自分の足場を築こうとする2年生の頃
- ―2学年 図工科「それゆけ! お絵かき隊―学校をキャンバスに―」における鈴木君―
- 5 自分の論に筋を通し,相手の納得を取り付けようとする2年生後半の頃
- 6 神秘的な生き物の世界に取り付かれる3年生の頃
- 7 自分の論理の再構築を図ることとなった4年生の頃
- 8 権威や支配に真っ向から立ち向かってきた5年生の頃
- ―5学年 国語科「セロ弾きのゴーシュ」における鈴木君―
- 9 自分の信じる生き方に確かな手応えを得ようとする6年生の頃
- 10 おわりに
- 第4節 真心と誠意で理解し合う関係を積極的につくり出す岡田さん
- 1 母親の目からとらえた我が子の育ち
- 2 外界との関係づくりに苦慮しながらの成長過程
- 3 個性が開花していく追究
- ―「くらしとチラシ」に見つける真心と誠意―
- 4 真心と誠意で応えることの大切さ
- 第5節 規範意識を解き放し,自らの世界を広げる北山さん
- 1 はじめに
- 2 自分では正しいと思って行動しているが,なかなか受け入れてもらえない
- 3 たくさんの人に手紙を出しても,仲良しが増える確証はない
- 4 よりどころにしていたものを失いたくない…
- 5 嫌いな人に手紙を出したくない
- 6 友達からの手紙にも焦りを募らせる
- 7 友達からとてもうれしい手紙が届き「自分の手紙がちっぽけに思えた」
- 8 私のことを分かってくれた友達がいてくれた…
- 9 自分の素直な気持ちを容易に受け入れてもらえない社会
- 10 挫折した自分の計画
- 11 「1分1秒を守らなくていいやと自分で思い,納得することは大変なこと」
- 12 あるがままの自分,感じたままの心を表出する
- 13 「自分らしさが出る短歌が詠めるときが調子のよいときです」
- 14 作者「宮澤賢治」の訴えようとしていることに強い関心を持つ
- 15 一途に生きる虔十の姿に自分を重ねる
- 16 自分にとっての「本当の幸せ」は,まだ半分しか見つかってない
- 17 おわりに
- 第6節 姉をよりどころとしながら,新たな自分像を確立しようとする佐藤さん
- 1 「お姉ちゃんと同じ学校に行きたい」
- ―佐藤さんの入学の頃―
- 2 姉に追いつくことを目指して励んだハーモニカ
- ―1年生の頃―
- 3 姉の言葉と自分の思いの間で揺れる
- ―2年生の頃―
- 4 思う通りにできないもどかしさの中で,恐怖心や苦手意識に対峙する
- ―3年生の頃―
- 5 自分の可能性を切り拓く勇気を湧き立たせ,自分と真正面から向き合う
- ―4年生の頃―
- 6 まとめにかえて
- ―リーダーとしての自分をみつめていく5年生―
- 第W章 自己形成をとらえる視点
- ―観察対象児を例に―
- 第1節 居場所やよりどころを確かにする幼児期から低学年
- 第2節 仲間との関わりや自分みつめを深める低学年から中学年
- 第3節 対象が持つ意味を吟味し,生き方を高める中学年から高学年
- 第X章 自己形成を支える特色ある学校経営
- 第1節 学びの相互作用が創る学校文化
- 1 子どもを学校生活の中心に据えた「教育経営」
- 2 掃除の時間を廃止することから生まれた「朝活動」(8:15〜8:35)
- 3 くらしを創造する心が発露する「くらしのたしかめ」(8:40〜9:00)
- 4 自然発生的に始まった「朝のトレーニング」(8:00〜8:10)
- 第2節 子どもの自立を促す校外活動
- 1 体力つくり活動の集大成としての立山登山
- ―学びの自覚を促す場として―
- 2 ファミリーの絆と自信を深めていく遠足
- 第3節 地域との連携
- 1 地域の教育力を生かす
- 2 子どもにとって実のある防犯対策
- ―堀川校区の「子ども110番の家」(仮称)―
- 3 学校評価への取り組み
- ―堀川型数値目標の設定―
- 第4節 自己形成をとらえるための研修体制
- 1 きびしい仲良し
- ―教師の同僚性を重視した研修体制―
- 2 開かれた学級王国
- ―教師が個性を発揮し,磨き合う経営―
- 3 子どもに学ぶ
- ―授業記録による授業分析を基にした子ども理解―
- 4 長い間培われた研修の歴史と風土
- ―研修の日常化と学校文化の創造―
- 5 教職員の心を動かす管理職のリーダーシップ
- ―教職員の連携と管理職の役割―
- あとがき 教頭 /清水 健太郎
まえがき
教育改革が急速に推し進められ,これまでに小学校設置基準の制度,学校評議員制や二学期制の導入をはじめ,中高一貫教育,地域運営学校の設置等々,従来の学校教育の制度や組織案を根本から検討し,大きな転換が図られています。
次々と打ち出される施策に対応できるよう,学校においては教職員の意識改革を図る努力をしているものの施策の理解が不十分のままで戸惑いが大きいのが現状であろうと思われます。
さらに社会の変貌に伴って保護者等の多様な価値観への対応に苦慮する教職員の姿も垣間見られる状況であろうと思われます。
こうした学校教育を取り巻く様々な課題に取り組む学校の現状について理解を深め,学校経営を充実していくことが大切でありましょう。ここに一面的,主観的なとらえ方であろうとは思いますが,それぞれの課題に対する取組みの現状について述べてみました。
さて,平成10年12月,現行の学習指導要領が公布されてまもなく学力低下の問題が浮上し,批判の中心は学習指導要領の改訂による内容削減に向けられました。以後,今日まで学力論争は留まるところなく,もうすでに「ゆとり」の中で生きる力をはぐくむ教育の理念が問い直されようとしています。
本校では,かねてから教科学習を中心に据えた「総合的な学習の時間」を提唱してきました。まず,子どもの追究は,教科を基点に進められ,やがて子どもの意欲が増し,追究が深まると,学んでいる内容は教科の枠を超えます。そこに子どもの個性や可能性が開花するという仮説をかかげ,「子どもの自己形成」に焦点を当てた研究主題を設定して研究を進めてまいりました。
校内研修で実施された知的障害学級での生活単元学習「げきをしよう―さるかに―」で私は衝撃的な子どもたちの姿に出会いました。島田君,井田君,そして車椅子の川田さんの三人でつくる劇について,当初「子どもたちは話の筋を理解できるであろうか」「台詞の掛け合いができるだろうか」などと疑問が出されました。ところが授業が始まると全く様相は異なりました。劇の最中のことですが,島田君が演ずるさるが木に登って柿(布製)を思い切り母がに役の川田さんに投げつけ,それがいくつも彼女の顔面に直撃する場面がありました。その迫真の演技に川田さんはさる役の島田君に向かって思わず「降りてこい!」と叫んだのです。本気になって柿を投げつけてくる島田君に対して川田さんは我を忘れ,憤りを隠せなくなったようです。さらに,その直後,川田さんが沈黙し,数分間にわたって劇が中断しました。やがて彼女は「死ぬのが怖かった」と告白します。前日までの練習では死ぬ母がにがかわいそうで,涙を流していた川田さんです。その彼女が迫真の演技で死への恐怖を本当に体感したのです。劇の配役になりきって涙を流すことがあっても,悪に対して憤りを露わにしたり,子どもを残して死ぬ母がにの遺恨を感じたりすることは全く私たちの予期していなかったことです。また,車椅子の川田さんの役を手助けし,さる役の島田君にアドバイスをして劇の進行に何かと心を砕いてきた井田君でさえも,二人の名演技に全く自分の出番を失い,最後までしどろもどろであったことも見逃せない事実です。
こうした感動的な彼らの姿を生み出したものは何だったのでしょうか。三人の個性は大きく異なります。島田君は明るく大らかな子どもであり,学級の中ではいいお兄さん的存在です。井田君は,いつも自信満々な態度を装っていますが,実は川田さんの面倒をよく見てくれる繊細な子どもです。井田君にとって島田君はいい遊び相手であり,島田君は年下の井田君を快く受け入れ,二人でよくふざけ合っています。川田さんはそんな仲のいい二人といることが何よりも安らぐようです。彼らの劇の背後には,こうした互いのことをよく理解し合った関係が成り立っているのです。くらしの中で培った人間関係が土台にあるからこそ,あのような感動的な劇が演じられたのでしょう。
改めて,学校でのくらしの意味を考えさせられました。子どもたちは,生涯にわたって生きていく上で,学校で創るくらしが基礎・基本になります。子どもたちは学校で,人間関係,コミュニケーション,規範意識,探求心など様々なことを学び習得しながら,それを基盤にして自分の能力を開花発展させています。学力論争が渦巻く中,私たちは批判が浴びせられている矛先を謙虚に見極め,子どもが小学校で培うべき基礎・基本とは何であるかを今一度見直し,確かな可能性を子どもの中に見いだしながら,子どもの成長を保障していく評価,指導の在り方を模索していかなくてはなりません。
そうした意味で本書では,複数学年にわたる長期間の記録を基に,子どもの成長過程をとらえてみようと試みました。子どもの成長は一単元の授業においてもとらえることはできますが,その成長が次の学年等にどのように反映し,成長を促していくかということを明らかにし,その子どもながらの成長の有様をとらえようとしたのです。もとより考え方やまとめ方に問題点が多々あろうかと思います。読者の皆様方の厳しいご叱正とご指導を賜りますよう,切にお願いします。
最後になりましたが,本書の出版を快くお引き受けくださった明治図書と取締役編集部長の樋口雅子氏に対し,深甚の謝意を表します。
平成18年3月 山市立堀川小学校校長 /恒田 勉
-
- 明治図書