- はじめに
- 本書の構成
- 第1章 スイミー
- 第2章 お手紙
- 第3章 モチモチの木
- 第4章 サーカスのライオン
- 第5章 世界一美しいぼくの村
- 第6章 ごんぎつね
- 第7章 大造じいさんとがん
- 第8章 海のいのち
- おわりに
- 執筆者一覧
はじめに
物語教材に纏わる違和感
『スイミーはなぜ教科書を逆に泳ぐのか?:「違和感」から広がる物語教材研究』は、国語科の物語教材として扱われる絵本─教科書教材の原典となった絵本や、児童文学作品を絵本化したもの─を、教科書教材と並べて読み直し、授業づくりの新たな可能性を探る試みです。そのきっかけになるものが、サブタイトルにある「違和感」です。
本書における「違和感」とは、例えば、物語が絵本として世に出てから教科書に採録されることで生じる表現や構成の違い。また、同じ物語であっても、絵本を通して読むときと、教科書教材として読むときとで生まれる、読みの感触や意味づけの違い─そうしたズレやゆらぎを指しています。
この本は、「違和感」に教師自身が向き合うことで、授業づくりが変わり、子どもとの読みの対話が少しずつ変わっていく、そんなきっかけになればと願って編んだ一冊です。
「違和感」から読み広げる
とはいえ、私のように「文学の授業はこうあるべき」「こうすれば大方うまくいく」といった、ある種の「型」をもっている者にとって、「違和感」と向き合うことは、決してたやすいことではありません。そこで私は、児童文学の研究者であり絵本専門士でもある松本と、「教材としての物語」と「絵本(作品)としての物語」のあいだにある違和感を、互いに率直に出し合いながら読むことにしました。
まず、教材「スイミー」について、私が抱いていた違和感を率直に松本に伝えました。スイミーの回復過程(絵本の第四〜第九見開き)は、授業でも丁寧に扱われることが多い場面です。しかし、私自身は、その場面の教科書を見ても「ここを、みんなで読みたい」と強く感じたことがありませんでした。この違和感について話すと、松本はページ・ターナーの役割について語ってくれました。そして、スイミーの位置や、スイミーがで進むことを感じながら絵本をめくっていくと、私の中にスイミーが生き生きとリズムよく泳ぐイメージが鮮やかに広がったのです。
他にも、絵本『大造じいさんとがん』(椋鳩十 作・あべ弘士 絵 理論社 二〇一七)は、児童文学作品がのちに絵本化された例です。私がこの絵本の表紙を初めて見たとき、大きく、そしてどこか怖ささえ感じる残雪の姿に強い驚きを覚えました。中心人物であるはずの大造じいさんは表紙になく、残雪のほうが圧倒的な筆致で描かれており、そこに強い違和感を抱いたからです。
頭の固い私は、思わず「この絵本を授業で扱ったら、中心人物がすり替わってしまうのではないか」と疑ってしまいました。すると松本は、私のそうした疑念を丁寧に受けとめながら、「中心人物を最初に定めてから読む」という当たり前に行ってきた授業営為に、静かに驚きと関心を示したのです。
こうして、絵本と教材を並べ、互いの感じ方や引っかかり――「違和感」を語り合っていくうちに、両者を架橋しながら読みを広げていくヒントが少しずつ見えてきました。それが、この本の中でを使って示しているキーワードたちです。
絵本『大造じいさんとがん』の表紙絵は、物語の山場である第一四見開き(大造じいさんを真正面からにらみつける残雪)と同じ絵が使われています。あえてで配置されているために、残雪がやたらと大きく、堂々と見えるのです。そして、その大きな残雪を読み手が真正面から見据える構図は、まさに大造じいさんが残雪と向き合う視線と重なっていきます。そうやって言語テクストと絵を併せて読んでいくと、私が抱いた「怖さ」は、「畏れ」や「敬い」へと変わり、大造じいさんの心情が自分の中に沁み広がっていくような感覚を得ました。
二つの例にあるような私たちの体験から、本書のサブタイトルに「『違和感』から広がる」という言葉を付しました。固くなった読みの型に、小さなひびを入れてくれるのが「違和感」なのかもしれません。そこからどんな読みが広がっていくのか――本書では、その手がかりを絵本と物語教材を架橋しながら読むためのキーワードを基に探っていきます。
本書では、数々の先行研究の蓄積に学びつつ、「違和感」を大切にしながら読んでゆく授業のあり方について、読者のみなさまと考えを深めていけたらと願っています。それは、子どもとともに違和感をおもしろがり、揺れながら読む時間をつくっていくことでもあります。本書が、教師一人ひとり、子どもたちの読みをひらく手がかりとなれば幸いです。
令和七(二〇二五)年 /山田 深雪
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明治図書

















