- まえがき
- T 「指名なし討論授業」批判にこたえる
- ――『モチモチの木』――
- 一 授業は、どのようになされたか
- 二 野口氏の批判
- 三 石黒の授業は、教師の指導性、コントロールが無く成り行き任せの授業だったか
- 1 参りました、石黒先生 /竹田 博之
- 2 石黒氏の授業で身につく言語技術――石黒氏の提案授業を参観して―― /峯 浩明
- 3 討論の神髄を見た; /坂本 正徳
- 4 石黒先生の授業を見て /平田 淳
- 5 模擬授業に参加、生徒役になって /松本 俊樹
- 6 提案授業参加記 /星野 博之
- 四 野口氏の「指名なし討論の授業」批判は、一般的批判である
- 1 「指名なし討論の授業」は基本的に発言したい子が発言するのか
- 2 発言したがり屋が発言し、内気な子どもは発言しないか
- 3 偶発的なことを期待して授業を組んでいるのか
- 4 非能率的でねらっていることがぼけやすいか
- U 「ことば」を根拠にした国語の授業(分析批評の授業)
- ――『わたしと小鳥とすずと』――
- 一 検討できる問題づくり
- 1 「から」の授業から
- 2 問題づくりに挑戦
- 二 秋田大学附属小の子ども達と授業する
- 1 指導案
- 2 「授業づくりネットワーク」の報告より
- 3 多数決は、学問にはなじまない
- 三 追試 検討される
- 「わたしと小鳥とすずと」で討論の授業に挑戦して /中原 勇治
- V 道徳授業における討論
- 一 指導計画と指導案
- 1 指示・発問を明示する
- 2 話し合い、討論になっているか
- 3 授業を見て
- 二 道徳の授業の今後
- 1 「道徳の授業」(特設道徳)への考え方
- 2 現行の「道徳授業」の問題点
- 3 石黒式改善策
- 4 道徳での「討論授業」の有効性
- W 模擬授業で「討論授業」修業
- ――『虫のゆりかご』――
- 一 石黒流教材研究
- 1 コピーから始めよう
- 2 説明文指導の原則に従って分析する
- 3 討論となる「発問」を考える
- 二 法則化セミナー’ 模擬授業
- 法則化セミナー’・模擬授業 石黒修「虫のゆりかご≠ナ討論の授業」(テープおこし<翠 泰由)
- 三 向山洋一氏との対談
- 法則化セミナー’「虫のゆりかご」模擬授業後の対談(テープおこし<廣川 徹)
- 四 実際の授業に生かす
- X 討論づくりのための「教材」
- 一 話し合うべき「教材」
- 二 ことばを根拠にする「教材」
- 1 「討論教材」を使っての授業Α
- 2 「討論教材」を使っての授業Β
- 3 ピナクルを検討する
- Y 討論はどの教材でもやるわけではない
- ――『ちいちゃんのかげおくり』――
- Q 石黒先生は、どの単元、どの教材でも「討論」をさせるのですか。
- Z T・Tでも討論の授業
- ――社会科『わたしたちのくらしと商店がい』――
- 一 社会科討論の第一ステップも書くこと
- 1 まずノート指導が大切
- 2 一枚の写真から
- 二 「商店街の作戦βスーパーの作戦」で、討論が生まれる
- 1 商店街の写真とスーパーの写真を対比させる
- 2 近くの商店街の作戦さがし
- 3 作戦を分類する
- 4 それぞれの店の作戦と、商店街全体の作戦に分ける
- 5 商店街βスーパーマーケット
- 附録 「……にやさしいまちをつくろう」
- 3学年 社会科学習指導案
- あとがき
まえがき
「討論の授業」は、最高の授業形態である。その中で「指名なし討論」は、究極の授業と思っている。
「思う」のは私であるから、思わない人がいても、もちろんかまわない。
「教師の役割」とは何か。
さまざまあると思うが、私は、「やがて教師を必要としない子どもに育てること」ではないかと思っている。
学ぶ方法を子ども達が身につけ、自分で学ぶようになっていけば、教師は大いに満足すべきと思っている。
これも私の「思う」であるから、別な考えがあってよい。
Tで詳しく書いたが、「授業を参観する」見方もさまざまあってよいと思う。だが、どうでもよいというのではない。先人が伝えてくださった方法を知り、自分なりの見方をしていくことが大切であるのはいうまでもない。
私の授業を批判してくださった野口芳宏氏は「授業の名人」といわれる方である。
その授業の見方には、必ずや、野口氏なりの(野口氏が学んできたことをふまえての)見方があるはずである。
だから、後輩の私も大いに学ばせていただくのである。
しかし、納得いかないことについては、当然納得するわけにはいかない。
この本のでだしは、名人といわれる野口氏への反批判である。
しかし、今までの野口氏の授業のすばらしさを否定するものではない。ここをまちがえてもらっては困る。
「ふりかかる火の粉は、ふりはらわねばならぬ」のである。
野口氏の胸をかりて修業させていただくことに感謝感謝である。
それにしても、模擬授業を含め、各地で授業をさせていただけるのは、ありがたいことである。
武者修行というわけではないが、おかげさまで、体験できないことを体験し、「討論の授業」について考えることが、格段と多くなった気がする。
「討論の授業」は、討論の授業をせずに上達するわけはない。
批判をおそれず、授業に挑戦しよう。授業をしたあとの批判は、それはそれで次のステップへの糧となるはずである。
2000年7月 /著者
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- 明治図書