学年別による授業改革6学年別討論の授業 小学3年

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「指名なし討論授業」批判にこたえる/ことばを根拠にした国語の授業/道徳授業における討論/模擬授業で討論授業の修業/討論づくりのための教材/T・Tでも討論授業 他


復刊時予価: 2,849円(税込)

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-259316-2
ジャンル:
国語
刊行:
対象:
小学校
仕様:
A5判 200頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第

もくじ

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まえがき
T 「指名なし討論授業」批判にこたえる
――『モチモチの木』――
一 授業は、どのようになされたか
二 野口氏の批判
三 石黒の授業は、教師の指導性、コントロールが無く成り行き任せの授業だったか
1 参りました、石黒先生 /竹田 博之
2 石黒氏の授業で身につく言語技術――石黒氏の提案授業を参観して―― /峯 浩明
3 討論の神髄を見た; /坂本 正徳
4 石黒先生の授業を見て /平田 淳
5 模擬授業に参加、生徒役になって /松本 俊樹
6 提案授業参加記 /星野 博之
四 野口氏の「指名なし討論の授業」批判は、一般的批判である
1 「指名なし討論の授業」は基本的に発言したい子が発言するのか
2 発言したがり屋が発言し、内気な子どもは発言しないか
3 偶発的なことを期待して授業を組んでいるのか
4 非能率的でねらっていることがぼけやすいか
U 「ことば」を根拠にした国語の授業(分析批評の授業)
――『わたしと小鳥とすずと』――
一 検討できる問題づくり
1 「から」の授業から
2 問題づくりに挑戦
二 秋田大学附属小の子ども達と授業する
1 指導案
2 「授業づくりネットワーク」の報告より
3 多数決は、学問にはなじまない
三 追試 検討される
「わたしと小鳥とすずと」で討論の授業に挑戦して /中原 勇治
V 道徳授業における討論
一 指導計画と指導案
1 指示・発問を明示する
2 話し合い、討論になっているか
3 授業を見て
二 道徳の授業の今後
1 「道徳の授業」(特設道徳)への考え方
2 現行の「道徳授業」の問題点
3 石黒式改善策
4 道徳での「討論授業」の有効性
W 模擬授業で「討論授業」修業
――『虫のゆりかご』――
一 石黒流教材研究
1 コピーから始めよう
2 説明文指導の原則に従って分析する
3 討論となる「発問」を考える
二 法則化セミナー’ 模擬授業
法則化セミナー’・模擬授業 石黒修「虫のゆりかご≠ナ討論の授業」(テープおこし<翠 泰由)
三 向山洋一氏との対談
法則化セミナー’「虫のゆりかご」模擬授業後の対談(テープおこし<廣川 徹)
四 実際の授業に生かす
X 討論づくりのための「教材」
一 話し合うべき「教材」
二 ことばを根拠にする「教材」
1 「討論教材」を使っての授業Α
2 「討論教材」を使っての授業Β
3 ピナクルを検討する
Y 討論はどの教材でもやるわけではない
――『ちいちゃんのかげおくり』――
Q 石黒先生は、どの単元、どの教材でも「討論」をさせるのですか。
Z T・Tでも討論の授業
――社会科『わたしたちのくらしと商店がい』――
一 社会科討論の第一ステップも書くこと
1 まずノート指導が大切
2 一枚の写真から
二 「商店街の作戦βスーパーの作戦」で、討論が生まれる
1 商店街の写真とスーパーの写真を対比させる
2 近くの商店街の作戦さがし
3 作戦を分類する
4 それぞれの店の作戦と、商店街全体の作戦に分ける
5 商店街βスーパーマーケット
附録 「……にやさしいまちをつくろう」
3学年 社会科学習指導案
あとがき

まえがき

 「討論の授業」は、最高の授業形態である。その中で「指名なし討論」は、究極の授業と思っている。

 「思う」のは私であるから、思わない人がいても、もちろんかまわない。

 「教師の役割」とは何か。

 さまざまあると思うが、私は、「やがて教師を必要としない子どもに育てること」ではないかと思っている。

 学ぶ方法を子ども達が身につけ、自分で学ぶようになっていけば、教師は大いに満足すべきと思っている。

 これも私の「思う」であるから、別な考えがあってよい。

 Tで詳しく書いたが、「授業を参観する」見方もさまざまあってよいと思う。だが、どうでもよいというのではない。先人が伝えてくださった方法を知り、自分なりの見方をしていくことが大切であるのはいうまでもない。

 私の授業を批判してくださった野口芳宏氏は「授業の名人」といわれる方である。

 その授業の見方には、必ずや、野口氏なりの(野口氏が学んできたことをふまえての)見方があるはずである。

 だから、後輩の私も大いに学ばせていただくのである。

 しかし、納得いかないことについては、当然納得するわけにはいかない。

 この本のでだしは、名人といわれる野口氏への反批判である。

 しかし、今までの野口氏の授業のすばらしさを否定するものではない。ここをまちがえてもらっては困る。

 「ふりかかる火の粉は、ふりはらわねばならぬ」のである。

 野口氏の胸をかりて修業させていただくことに感謝感謝である。

 それにしても、模擬授業を含め、各地で授業をさせていただけるのは、ありがたいことである。

 武者修行というわけではないが、おかげさまで、体験できないことを体験し、「討論の授業」について考えることが、格段と多くなった気がする。

 「討論の授業」は、討論の授業をせずに上達するわけはない。

 批判をおそれず、授業に挑戦しよう。授業をしたあとの批判は、それはそれで次のステップへの糧となるはずである。


  2000年7月   /著者

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