- まえがき
- 第一章 プロの「見る目」はちがう
- 一 「見る」ことと実力
- 二 教師の実力差も見る力のちがい
- 三 うらをかく見方考え方
- 四 目習いから手習いへ
- 五 「見る」ことの段階
- 1 「ながめている」
- 2 「見る」
- 3 「よく見る」
- 4 「見つづける」
- 5 「見ぬく」
- 第二章 子どものどこが見え、どこが見えないのか
- 一 試された子どもの指導法
- 二 子どもをつかむポイント
- 三 子どものどこが見えないのか
- 四 能力不足の教師
- 五 力まずに子どもを見る
- 第三章 子どもを知ることを楽しんで「見る」
- 一 子どもを知ることを楽しむ
- 二 変わった活動をするとちがった面が見える
- 三 「見る」ということ
- 四 百聞があって、一見が生きる
- 第四章 教師の視野が狭くなっている
- 一 視野が狭くなっている教師
- 1 クラスの全体が見えない
- 2 わくわく授業での子どもを見る目
- 二 子どもを見ながら「見る技術」を創り出す
- 1 理解しようとしなければ何も見えない
- 2 子どもを見る技術を創り出す
- 三 どのくらい先が見えているか
- 1 先の先が見えるようになる努力
- 2 保護者をも自然に動かす
- 第五章 子どもの「よさ」(特徴)をとらえる目(技術)をつくる
- 一 正確な子ども理解の技術の必要性
- 二 減点主義で子どもを見ない
- 三 教育は暗示の連続
- 四 教材を通して子どもを見ないこと
- 第六章 いかに具体的なめあてをもって子どもを見られるか
- 一 めあてをしっかりもって子どもを見る
- 1 具体的なめあてをもつ
- 2 具体的に「何を、どうするか」めあてを立てる
- 3 めあてをもって子どもを見ていない
- 4 人間性をみがく計画も立てる
- 二 「暗示」をかけて子どもを変えているか
- ――自分の「暗示」は生きているか?
- 三 子どもが係活動で力を発揮しているか
- ――個性が生きているか?
- 1 「新しい係をつくるぞ!」
- 2 アイデアと技術のある係をつくる
- 四 自分の命は自分で守ることの大切さを教える
- ――この目で子どもを見る
- 1 うまく逃げる方法を考えさせる
- 2 自分より弱い人を助ける心の教育
- 五 ユーモアあふれる文章が見られるようになったか?
- 1 文章表現が鋭くなる時
- 2 内容のあることばを使うようになる時
- 六 助け合い、みがき合いの風土ができているか
- 1 すなおで仲のよいクラス
- 2 教師も子どもから学ぼうとしている
- 第七章 子どもの「琴線にふれることば」をさがす
- 一 知識がないと何も見えない
- 二 琴線にふれることばさがし
- 三 簡単に見つからない琴線にふれることば
- 四 「君しかいないよ」
- 五 ことばも時とともに変わる
- 第八章 「子どもの才能」を見つける目(技術)
- 一 子どもの才能を見つける方法
- 二 作文に見える才能
- 1 秋さがし
- 2 きゅうきょくの秋さがし
- 3 ふりかえってみる〇一
- 三 工夫する才能
- 1 虫の実験
- 2 べんきょうの工夫
- 四 真冬に「春さがし」
- 1 ステキな文
- 2 どこまでも成長
- 五 六年生になって突然現れた才能
- 六 六年の歴史学習になって現れた才能
- 1 驚くべき文
- 2 生活化をはかる
- 七 学んだことをすぐ使ってみる能力
- 1 かんどう
- 2 天気予報
- 八 ある日突然開眼する
- 九 視点の転換のうまい子
- 十 教科書使いのプロ誕生
- 十一 反対意見を聞いているか
- 十二 思いがけないステキな発言
- 第九章 「ありがとう ありがとう」で子どもを動かす
- 一 「ありがとう」で子どもの反応を見る
- 1 けんかの限度がわからない子ども
- 2 けんかは「笑って」けりをつける
- 3 「ありがとう」を連発する教師
- 4 「ありがとう」で尊敬される教師に
- 二 子どもの性格を見ぬく技術
- 1 母親に相談する
- 2 母親の予言通り
- 3 子どもの手を借りる
- 4 他の教師の手(目)を借りる
- 第十章 「それ、知ってる」という子は伸びない
- 一 知ったかぶりをする子ども
- 1 「それ、知ってる」という子は伸びない
- 2 ワークやテストで自己評価力を育てる
- 3 細かい基準を示してやる
- 4 子どもが実力アップに気づくワーク・テスト
- 5 有能な子どもとは
- 二 この問題ができれば「わかった」という問題をつくってみる
- 1 「この問題ができればよい」というものをつくる → 子どもを見る
- 2 スモールステップを示す
- 3 次々と「めあて」を示す
- 4 授業の中で評価する
- 5 「本当にわかる」ということ
- 第十一章 「評論集」(ネタ帳)のようなノートをつくらせる
- 一 ノートで子どもをつかむ
- 1 ノートが「思考の作戦基地」になっているか
- 2 ノートを子どもの「財産」(ネタ帳)にする
- 3 教科書の中に「自分の教科書をつくらせる」
- 4 「評論集」のようなノートをつくらせる
- 二 ノートに「赤ペン」を入れるコツは「短く、端的なことば」で
- 1 赤ペンの入れすぎが多い
- 2 子どもが書けないわけ
- 3 点検の仕方でノートは変わる――ノートが変われば子どもも変わる
- 第十二章 子どもを見るということは「人間として」見るということ
- 一 精神レベルは上か下か
- 二 精神レベルを下げないようにする
- 三 困ったことにぶつかったら笑うこと
- 四 学級づくりの条件
- 五 人を見るのは大人も子どもも同じ
まえがき
書くことに苦労する「入門書」をとうとう書いた。とても書けないと思っていたのに――。本書が「入門書」として二冊目になった。わたしも、そんな年になったのだ。
今、教師たちが、「子どもが見えない」と叫んでいる。ベテランの実力者でさえ、「今の子どもは見えない」となげく。なるほど、わたしが担任していた時代とは、大きく変わってきて、つかみにくくなっているようだ。しかし、わたしは、年間三〇回くらい飛び込み授業をし、NHKの「わくわく授業」に出演したりしているが、「子どもが見えない」と思うことは少ない。それは、わたしが、子どもの実態を見極め、その実態に合わせているからであると思う。
新聞紙上をにぎわわせる子どもが多くなっているし、警察が手を焼くようなワルが出てきているのは確かである。
やはり、子どもたちは、時代の変化、社会の変化とともに変わってきているようだ。そこで、わたしが目にしたり、耳にしたり、授業でつき合ったりした子どもの実態や、そのとらえ方などを、入門書らしくわかりやすく書くことにした。
プロ野球やサッカーなどの試合の解説者は、「さすがプロだ」という解説をする。素人の見えないところが見えるのだ。だったら、わたしたち教師も、授業という「教師と子どもの真剣勝負」を見て、素人の見えないところが見えなくてはならない。
子どもの本当の姿が見えるようになる「コツ」のようなものがあるのか。よく考えると、ある。それを十二章にわけて書くことにした。多くの教師に、目の前の子どもの実態や、子どもの本質が、見えるようになって、きちんとした指導をしてもらいたいと考えて書いた。
もっとまとめて書いた方がよいかとも考えたが、大切なことを書いているうちに、十二になってしまった。
学習指導とちがって、人が人を見ることのむずかしさを感じながら、一章ずつ書いていった。書いた後で、順番を入れかえて、本書のような順にした。
書き出してみると、なかなか筆が進まない。わかっていると思っていたのに、実はわかっていないことに気づき、何度も筆が止まった。やはり、学習指導のように、さらさらと書けない。教材開発のように楽しく書けない。しかし、書き進めているうちに、「子どもについて書くこと」が、楽しくなってきた。なぜなら、「子どもがわからなくては教育は一歩も進めない」ということに気づいたからである。
本書の子どものとらえ方は、「コツ」というところまでいってないかもしれないが、すべてわたしの実践や、わたしの見たこと、体験したことをもとにして書いたものである。だから、いく分なりとも役立つものと思う。
子どもが見えないという声や、問題行動が多くなっているのに、子どものとらえ方などの著書が少ない。これは、書きにくいためである。「まじめな子が、事件をおこす」など、どう考えたらよいのか、むずかしい問題が山積しているため、簡単に書けないのである。わたしも、やっとの思いでここまで書いた。
本書も、明治図書の江部満編集長の企画と指名によって書かせていただいた。厚くお礼を申し上げたい。ありがとうございました。
二〇〇六年二月 /有田 和正
@「見る」ことの段階
有田実践の中で外せないものの一つであると私は考えている。
「ながめている」→「見る」→「よく見る」→「見つづける」→「見ぬく」
と進んでいく。教材を見る上でも、「追究の鬼」を育てていく上でも、そして、教師が子どもを見る上でも、大切な視点である。
教師12年が経ち、ようやく自分の実践に有田実践の視座をいれてまとめることができた。学んだことを実践に活かし、それをまとめることが修業になっていくだろう。
A百聞があって、一見が生きる
有田先生の教材研究観の柱でもある。「見るためには知識が必要」ということである。知識があるから「プラスα」の発見を得ることができる。
B教師の視野を意識する
この書で一番の学びはこのことである。教師の視野には「クセ」があるということは、目から鱗であった。その「クセ」に気づいて克服する努力が必要であると記している。「自分は、全員を常に見ているか」と、自分に問いかけることが大切である。
C教育は「暗示」の連続。子どもの「琴線にふれることば」をさがす
「暗示」の大切さは、有田先生は多くの著書で何度も述べている。本書では、「琴線にふれることば」について「暗示」と比較している
暗示……教師のねらう方向へ導く
琴線にふれることば……その子の伸びようとする方向へ、教師がついていくこと
そして、「琴線にふれることばなんて、簡単に見つかるものではない」とも言っている。見つけるためには、普段から子どもたちにいろいろなことばをかけ、どれがどの子に有効かと確かめておく必要がある。
D担任の方から子どもを好きになる
鉄則であり、これができなければ担任はできないとも言っている。子どもを見るという構えの根幹になるところであろう。
この書では、お孫さんが有田先生に「おじいちゃん」として質問をしに来るというエピソードもある「おじいちゃん」有田先生を垣間見ることができる。