- まえがき
- 第1章 国語科授業づくりの10の原理
- 01 言語技術と言語感覚を分けて考える
- 02 習熟三段階(言語知識→言語技術→言語技能)を意識する
- 03 言語感覚を醸成する体験を積ませる
- 04 指導事項に基づいた学習活動を仕組む
- 05 授業の牽引力は教材・題材に求める
- 06 連続型テキストと非連続型テキストを関連させる
- 07 帰納的指導と演繹的指導を分けて考える
- 08 説明・指示・発問の違いを意識する
- 09 ワークショップ型授業で活用させる
- 10 向上的変容を連続的に保障する
- ■必読文献
- 第2章 「話すこと」20の言語技術
- 01 姿勢
- 02 呼吸
- 03 発声
- 04 口形
- 05 声量の大小
- 06 速度の緩急
- 07 声音の高低
- 08 適切な間
- 09 IBC
- 10 ナンバリング
- 11 ラベリング
- 12 オリエンテーション
- 13 エピソード
- 14 データ
- 15 オブジェクション
- 16 ツール
- 17 アイコンタクト
- 18 ジェスチャー
- 19 ダイアログ
- 20 ユーモア
- ■必読文献
- 第3章 「聞くこと」20の言語技術
- 01 傾聴三動作
- 02 自己顕示欲の抑制
- 03 肯定的な質問
- 04 信頼性の担保
- 05 発話内容の核心
- 06 中心と付加
- 07 事実と意見
- 08 発話内容の再構成
- 09 目的の設定
- 10 内容情報の獲得
- 11 表現情報の獲得
- 12 獲得情報の再構成
- 13 主材と主想
- 14 具体例の妥当性
- 15 データの妥当性
- 16 発展的反論の構成
- 17 速記性
- 18 簡潔性
- 19 構造性
- 20 自己再現性
- ■必読文献
- 第4章 「書くこと」20の言語技術
- 01 主想
- 02 選材
- 04 文章構成
- 05 ナンバリング
- 06 ラベリング
- 07 ブランチ
- 08 オリエンテーション
- 09 説疑法
- 10 対比・類比
- 11 エピソード
- 12 データ
- 13 反論・例外の想定
- 14 視覚資料
- 15 視点・視角
- 16 比喩
- 17 修辞法
- 18 色彩語・象徴語
- 19 言語連鎖
- 20 挿し絵
- ■必読文献
- 第5章 「読むこと(説明的文章)」20の言語技術
- 01 音読・黙読
- 02 語彙
- 03 表記
- 04 文体
- 05 文章構成
- 06 事実と意見・中心と付加
- 07 対比・類比
- 08 要旨
- 09 接続語
- 10 指示語
- 11 理解要約
- 12 視覚資料
- 13 文種
- 14 吟味・評価
- 15 資料検索
- 16 主想
- 17 情報抽出
- 18 引用
- 19 表現要約
- 20 図解化
- ■必読文献
- 第6章 「読むこと(文学的文章)」20の言語技術
- 01 人(登場人物)
- 02 時(描かれる時間軸)
- 03 場(描かれる場所・場面)
- 04 冒頭部・展開部・終末部
- 05 起承転結
- 06 人物描写
- 07 比喩
- 08 色彩語
- 09 五感描写
- 10 情景象徴法
- 11 視線の移動
- 12 視点の移動
- 13 視点の転換
- 14 視角の転換
- 15 主題発見の技術
- 16 〈語り手の自己表出〉読み
- 17 呼称
- 18 副詞
- 19 文末
- 20 批評
- ■必読文献
- あとがき
まえがき
本書を江部満に捧ぐ。
二十数年前、私が同人誌に書いたたった一本の実践原稿に目を留め、著書の執筆を依頼してくれたのは江部満その人である。昭和から平成にかけて氏は明治図書の大編集長だった。その功績は明治図書出版一社に限らない。氏のプロデュースした『教育科学国語教育』『現代教育科学』の両誌は間違いなく昭和から平成前半の国語教育界をリードした。雑誌をプロデュースするのみならず、国語教育界をプロデュースしたと言ったら言い過ぎだろうか。氏の編集者生活は前半は文学教育を、後半は言語技術教育を間違いなく先導した。事実、氏の炯眼によって世に出た国語教育研究者・実践家のなんと多いことか。
実は、私が本書を江部氏に提案したのは二○○三年のことである。氏に「堀先生、これはすごい。これができたら国語教育を変えられるかもしれない」と余りある言葉をいただいたことをつい昨日のように想い出す。しかし、書けるという想いは空回りするばかり、形になるまでになんと十二年もかかってしまった。本書が形になる前に江部氏が明治図書を退職し、『現代教育科学』が休刊になるなどとは、当時の私には想像だにできなかった。江部満の企画として本書を上梓したかったというのが本音である。私の筆があまりにも遅かったことを悔やんでも悔やみきれない想いだ。
私の国語教師生活も四半世紀が経とうとしている。生活綴方と一九五○年代の日文協の文学教育の研究からスタートした私の国語教育研究は、三十代に入ると同時に言語技術教育の観点を導入し、なんとか現代にも通じる綴方実践と文学教育を打ち立てられないものかとの試行錯誤に明け暮れた感がある。私はかつての生活綴方や文学教育と、言語技術教育やファシリテーションとをなんとか融合できぬものかといまだに実践と研究を重ねる者だが、此度、自分がそれなりに納得できる義務教育で培いたい言語技術の体系をまとめるに至ったことは、遅きに失したとはいえ万感の想いである。今後、これを基礎として「文学教育」はどうあるべきか、「綴方教育」はどうあるべきか、そのためにどのような現実的な「言語活動」があり得るのか、そうした提案を創っていこうと考えている。とにかく、ここに中間まとめを提出できたことを素直に喜びたい。
さて、本書は学校現場で国語の授業を担当する小学校・中学校の教師が、国語学力の技術的な側面を曖昧にしたままに日常の授業に取り組み、試行錯誤しながらもときに手応えを得、万全の準備と自信を得ながらも実際には紆余曲折する、そんな授業づくりを送っている現状をなんとか変えられないかとの強い想いを抱いて執筆したものである。できる限り難解な技術や専門的な技術を廃し、あくまでも日常の授業で使える言語技術に絞って提案したつもりである。しかも、各領域・カテゴリーの技術をそれぞれ二十に抑え、普通の教師が常に頭に入れておけるだけの数に絞りもした。国語教育研究の専門家からすれば不備不足が多いことは承知しているが、学校現場の国語科授業を具体的に変えるためには、このような方法が良いのだと私なりに熟慮した結果の提案である。国語教育の専門家に御批正いただきたいのはもちろんだが、私がそれ以上に望むのは現場の教師たちに本書を使ってもらうことである。
私は私なりに、この体裁に整えるためにときにはほんとうは書きたいことを抑制し、ときには私自身の実践にはあまり必要としないことに紙幅を割いた。私の国語教育観、私の世界観において、義務教育の現場教師に必要と想われる言語技術体系を提示したつもりである。本書が毎日の国語の授業づくりに悩む現場教師にとって少しでも力になるなら、それは望外の幸甚である。
/堀 裕嗣
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