- 序
- /重松 鷹泰
- はしがき
- /学校長 高川 義治
- 第一章 われわれの主張―研究の基本的態度
- 第一節 子どもをみつめる
- 一 出発点が同一でない
- 二 到達点も同一でない
- 三 主体的個性的な学習
- 第二節 おしつけの排撃
- 一 思考体制の強化
- 二 内に育つ系統
- 三 問題解決学習
- 第三節 現場的研究の推進
- 一 授業の具体から
- 二 協同研究体制
- 三 積み上げと重ね合わせ
- 第二章 授業分析の進め方―研究方法の改善
- 第一節 よい授業を求めて(事前研究)
- 一 教材研究の態度
- 二 問題追究の視点の吟味
- 三 学習問題の構造化
- 四 実態調査の窓
- 五 指導計画の立案
- 第二節 研究の客観化のために(観察授業)
- 一 抽出児童の選出
- 二 観察方法のくふう
- 三 記録整理のくふう
- 第三節 分析を指導に生かすために(解釈研究)
- 一 解釈研究の角度
- 二 解釈研究の手順
- 第四節 より確かな分析を目ざして(内面的思考のとらえ方のくふう)
- 第三章 思考の高まりと深まり
- 第一節 文章と経験の間につながりを求めて
- 一 研究の立場
- 二 教材「いろいろなあいず」(二年)
- 三 学習の全体の経過と子どもの考え
- 四 抽出児の問題意識―H児を例として―
- 五 学習の流れ
- 六 中心問題の考察
- 第二節 社会事象相互のかかわりを求めて
- 一 研究のねらい
- 二 指導の意図
- 三 学習の流れ
- 四 中心問題の究明
- 第三節 確かな計算のうちに新しい理法を求めて
- 一 こんなことを究明したい
- 二 どのように学習をしくんだか
- 三 問題意識の概観
- 四 授業の流れと思考の高まり
- 五 発展過程の考察
- 第四節 自然現象の中に理法を求めて
- 一 研究のねらい
- 二 学習全体の経過
- 三 授業の流れと抽出児(T児)の思考過程
- 四 思考発展の条件に対する考察
- 第五節 より美しい音楽表現を求めて
- 一 研究の立場
- 二 研究ととりくんで
- 三 学習の流れ
- 四 感覚と表現の高まり
- 五 表現を高まらせた契機の考察
- 第六節 美しい配列の秩序を求めて
- 一 研究のねらい
- 二 学習のあゆみ
- 三 本時の流れと中心問題の究明
- 四 発展の姿と残された問題
- 第七節 すまい生活にくふう改善を求めて
- 一 研究の立場
- 二 学習の全体計画
- 三 子どもの実態
- 四 授業の流れ
- 五 子どもの思考の高まる姿とその考察
- 第八節 運動技能に確かさを求めて
- 一 研究の立場
- 二 学習の計画
- 三 全体児童の思考の姿と授業の流れ
- 四 O児の高まりの考察
- 第九節 のぞましい行動のよりどころを求めて
- 一 研究の立場
- 二 主題に対する構え
- 三 本時の授業の流れ
- 四 思考の発展過程の考察
- 五 指導上の問題点の考察
- 第四章 学習指導過程における四つの節
- 第一節 よい問題の開拓
- 一 畑を耕やす
- 二 問題の発掘
- 三 問題をひとりひとりの内に燃焼させる
- 第二節 共同学習問題の設定
- 一 ひとりびとりの子どもの問題を尊重する
- 二 核となる問題に焦点づける
- 三 個が全体の中に生きる
- 第三節 学習のからみ合いの指導
- 一 子どもの論理が尊重される
- 二 間合いのとり方
- 三 表層と底流の緊張関係
- 四 資料の選び方、出し方
- 五 学習形態
- 第四節 問題の発展・深化
- 一 深層における解決
- 二 問題が問題を生む―新しい問題への発展―
- 第五章 授業の姿勢を正す四つの条件
- 第一節 児童の構え
- 一 自分の考えに責任を持つ
- 二 自分の考えにすじを通す
- 三 他の考えとの関連を求める
- 第二節 教材の質
- 一 教材が子どもにはたらきかける
- 二 子どものうちに育つものをみきわめる
- 三 教材を子どもの側から再組織する
- 第三節 教師の姿勢
- 一 教師の断定をいましめる
- 二 子どもの考えの底流を見抜く
- 三 学習者として教材に立ち向かう
- 第四節 学級の態勢
- 一 おたがいの立場を認め合う
- 二 おたがいをきびしくみがき合う
- 三 子どもの結びつきを正す
- 第六章 分析研究から得たものと得ようとするもの
- 第一節 授業の体質改善
- 一 子どもの構えと学習の姿
- 二 教師の態度と授業の姿
- 第二節 今後の方向
- 一 研究成果の検証
- 二 全人教育をめざして
- あとがき
序
わたくしたちの授業研究がはじまってから、九年目、堀川小学校がこれと取組んでから八年目になる。この短い年月の中に堀川が前著「授業の研究」につづいて、この本を刊行されるようになったことを、心からよろこんでいる。これは、授業研究ということが、現場の教師にとって、生産的な活動であることを、証明するものであろう。
堀川小学校が、相続いて、このような著作をまとめ上げたことは、決してなみ大ていのことではない。高川先生を先頭とする同人の結束とねばり強い努力がなければ、到底できない仕事であった。授業分析は現場に密着したいい仕事であるが、実際に実施し、その成果をつみ上げていこうとすると、思いもかけぬいくつもの難関にぶつかる。第一には予想外の時間と努力が必要なのである。北陸の人々のねばり強さが、この難関を突破させるのに大いに役立ったにちがいないが、それにもまして堀川の先生方の子どもへの愛情と教育に対する真剣さとが苦闘の中を切り抜けさせたことを忘れてはならない。一つの授業の分析研究の完成とともに、その研究の司会者(堀川の先生方は葬儀委員長というユーモラスな綽名を奉つることにしていた)の発声で、互いの労をねぎらう様子は、筆舌につくしがたいものがあった。第二には、授業分析の効果のはやく見えてくる教科と、そうでない教科とが分かれる。後者の担当になっている教師たちには、悲観、焦燥、反発、断念というような感情が相ついで襲いかかってくる。その教師たちがそれに打ち勝つこと、まわりの人たちが励まし助けていくこと、それが容易でないのである。その授業分析の中に有効なものを発見すること以外に何の手段もないからである。それがどのようになされてきたかは、読者諸賢がこの本自身の中から読みとってくださるより仕方がない。堀川の学校自身が実に長いことそれに苦しんだのである。本当によくも分裂してしまわないで、ここまで漕ぎつけたものだと、感嘆している。第三には分析の視点や分析の成果を総合する角度について、よるべのない寂しさ、しのびよる不安を、耐え切らねばならないのである。わたくしや上田さんに助言を求められたこともあるが、わたくしたちは批判こそすれ、これならばというものを提示しはしなかったのである。この困難こそ先生方自身によって乗り越えられねばならぬものであるからである。この本の中にはきわめて謙虚に堀川の先生方のその足音が記されている。
授業分析、教育の研究の前途は、まだまだ多難であり、それだけに悠遠にして望みの多いものである。堀川はここに第二の踏石をおいてくれたのである。後に続くものへの期待が秘められているのである。
本書の一頁一頁は、堀川の血と汗との浸み込んでいるものである。授業分析とはどんなものか、堀川ではどんなことをやっているか、というような大ざっぱな考えで、通読するのは酷である。いっしょに授業を分析しその成果をつみ上げるという気持で読まなければ、同志の努力を生かす人とはいえないであろう。
高川先生をはじめ堀川の先生が教育界の表面の滔々たる大勢の中に一歩も退くまい、子どもたちの考えを自主的にし、自ら深めていくものにしようと、奮闘する中に、この本ができたことも見逃がしてはならない。先生方の日々の活動にも、子どもたちの生き生きした姿にも、刮目すべきものがあらわれている。本書の中にそれを看取するのもいいであろうが、心ある人は実地にそれを見て長く脳裡に刻み込んでおくべきであろう。
一九六二年八月五日 名古屋大学教授 /重松 鷹泰
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- 明治図書
- 堀川小学校のファンです。ぜひ復刻してください。2020/6/11ぶつぶつ